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男「僕の声が聞こえてたら、手を握ってほしいんだ」
Part12


268 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:30:36 ID:f9WrwJvo
「見えないよ」生まれたままの姿の彼女を見ることはできなかった。「見えないんだ」
「でも、わたしはここにいる」
彼女は僕に残された手を掴んだ。「分かるでしょ?」
「うん」喉に何かが詰まって、それ以上は何も言えなかった。
彼女は黙って僕の頬に手を添え、自身の唇に僕の唇を引き寄せた。
それから、ゆっくり離れた。
「こんなのじゃ証明にならないかもしれないけど、
わたしはほんとうに君のことを想ってるの。
だからってわけじゃないけど、もう一度わたしを信じてほしい」
僕は崩れて、返事をすることができなかった。
代わりに馬鹿みたいに何度も頷いて、彼女の手を強く握った。

269 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:32:00 ID:f9WrwJvo

「だから、なんで泣くのよ」彼女は半ば呆れ気味だ。
「君が優しくするからだろうが」
きっと僕の目は真っ赤なんだろう。咳き込んで、鼻水を啜った。

270 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:32:35 ID:f9WrwJvo
風呂から上がった僕らは飽きもせずに、
一時間前と同じように布団の上で喋り合っていた。
玄関から逃げ出して、たったの一時間で
もとの場所に戻ってきてしまったという事になる。
でも、僕らの中の何かは大きく変化したように思える。
今度は背中合わせではなく、向かい合って眠ることになった。
たったの一時間だが、きっとそれは、時間以上の価値のものを僕らの内側に生み出したんだろう。
彼女の言っていた「正解」とは、このことなんだろうか?

271 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:33:50 ID:f9WrwJvo
「あのさ」と僕が彼女に確認しようとがらがらの声を出したとき、
それを遮るように「ねえ」と彼女が話し始める。「抱きついていいかな」
「どうぞ」僕は咄嗟に答えた。
直後に彼女が僕の身体に抱きつき、僕に残された脚に自身の二本の脚を絡ませた。
彼女のぬくもりと匂いを、今までに感じたことのないほどに強く感じる。
何かを訊こうとしていたような気がするが、忘れてしまった。
「あーあ」彼女は長いため息を吐いた。「もっと早くこうしてれば良かった」
僕は何も言い返さなかった。言い返せない。
彼女の今の言葉に、どういう意味がこもっていたのだろう。
僕の最期までの時間が短い、という事なんだろうか。

272 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:34:36 ID:f9WrwJvo
考えてみると、そうだ。
医者の言葉がほんとうなら、もう七ヶ月しかないのだ。
目が見えなくなったときは長いと思ったものだが、今は全く違う。
もっと時間が欲しいーー今は、そういう風にしか考えられない。
僕にはもっと、時間が必要なんだ。七ヶ月じゃ、足りない。
でも、どうすることもできない。
僕らは負けるために闘っているのだから。
そういうとき、人間はいつもこうするんだ。
目を瞑ってさ、こころで叫ぶんだ。
神様、お願いします。
どうか、どうか僕らを救ってくださいーーって。

273 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:35:50 ID:f9WrwJvo
「ねえ」彼女は小声で呟く。「起きてる?」
「起きてるよ」
「雨の日って、五月のことを思い出しちゃうよね」
「五月」僕は言い、回想する。
風景も色も見えていて、彼女の笑顔を見ることができていた頃。
初めてここに来たときのこと。
僕らの距離は、今ほど近くはなかった。
皮肉なことに、この病気のおかげで僕らの距離は急速に縮まったのだ。
そいつは永遠に平行で続くはずだった僕らの道を捻じ曲げ、交えさせた。
しかし代償は大きかった。
僕の道は捻じ曲げられて、壊されてしまった。
途中からは、彼女だけの道が続いている。
きっとその道は、いつか誰かーー僕ではない誰かと、交わるんだろう。
悔しいような、嬉しいような、複雑な心境だ。

274 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:36:38 ID:f9WrwJvo
あの雨の日ーー彼女に風邪をうつされた辺りからだろうか、
僕の道が彼女の道に向かって歪んだのは。
あのとき僕らは、ほんの少しだけ素直になれたように思える。
ただ僕は、彼女の前でだけは強い人間でいようとした。
数年前に一度情けない姿を見られているのにも関わらず、だ。
つまり、そのときの僕には余裕があった。
それが間違いだったのかもしれない。
今と比べると、他人に笑われても何も言い返せない。
もっと早く、あの雨の日に言っておくべきだった。
そしたら、もっとふたりの時間が増えていたのかもしれないのに。
でも、もう遅い。遅すぎる。

275 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:37:31 ID:f9WrwJvo
「五月というと、僕にまだ余裕があったころか」
僕は自分を嘲笑してやった。
「そう」彼女は僕に抱きついたまま呟く。
「わたしが素直じゃなかった頃だね」
「なんか、ものすごく昔のことに思えるよ。
あのときは目が見えなくなるなんて、考えもしなかった」
「わたしもだよ。あのときから今まで、考えられないようなことがいっぱいあった」
「たとえば?」

276 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:38:57 ID:f9WrwJvo
「君に告白されたこととか」
「ああ」僕は回想する。七夕の次の日。
視界が灰に染まり、脚が重くて仕方なかった頃。
彼女の笑った顔が、はっきりと思い出せる。
弱々しい蛍の光に包まれた、優しい、僕の好きな笑顔が。
「君の実家に行ったこととか」
僕は回想する。墓参りに行った日。
片脚が無くなり、僕らの距離は、よりゼロに近付いた頃。
父は僕に財布を渡してくれた。
母は僕をよく見ていてくれた。
妹は僕のために悲しんでくれた。
祖母は僕にいつでもここに来ていいと言ってくれた。
彼女は僕のために闘ってくれた。
たくさんの人に迷惑をかけて、僕は今ここにいる。

277 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:39:30 ID:f9WrwJvo
「それで、今日」
回想するまでもない。「ごめん」
僕らの距離はゼロになり、立ちふさがる壁は無くなった。
あとは僕の道のゴールに向かって、ふたりでゆっくり歩いていくだけだ。
「君が逃げ出したのは確かにすごく悲しかったけど、
いっしょにお風呂に入ってキスしたってほうが考えられないよね」
「言葉にして言われると、ものすごく恥ずかしい」
「たぶん君以上にわたしは恥ずかしい」
彼女は腕に力を込めた。身体が締め付けられる。
「でも、なんか夢みたい」

278 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:40:23 ID:f9WrwJvo
「夢か」全部夢だったら、この病気は無かったことになり、
僕と彼女がここまで来たというのも無かったことになってしまうんだろうか。
そう考えると、夢じゃないだとか夢だったらいいのになんてことは言えなかった。
「夢っていうよりは、運命って言った方がしっくりくるかな」
「かっこつけた言い回しね。嫌いじゃないよ」
「僕がこの病気に罹って、君とここまで来るってのは、きっと最初から決まってたんだ」
「そうなのかもね」
「運命は変えられるとか言うけど、変わらないよなあ」
「変わらないから運命っていうんだよ。たぶん」

279 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:41:20 ID:f9WrwJvo
僕らが黙り込んでも、静寂は訪れない。
外では馬鹿みたいな音を轟かせながら、雷が鳴っている。
それに張り合うように、雨が爆音を撒き散らしている。
「今言っておかないといけない気がするから、言う」
彼女は眠らずに、また口を開く。
「悪いけれど、君が死んだとしても、わたしは生きてくからね」
「うん、是非そうしてくれ」そうは言っても、胸中は泣き出しそうだった。
やっぱり僕は死ぬんだろうなと思うと、寂しい。
必死に堪えながら、続けた。
「君にはもっといい人がいっぱいいるよ。
君は綺麗だし、魅力もある。僕とは違うんだ」
「……そんな寂しいこと言わないでよ」
「……うん」

280 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:42:17 ID:f9WrwJvo
「明日から、いっぱい思い出作ろうね」
「うん」
「わたしのこと、忘れないでね」
「うん」
「わたしも君のこと、忘れないからね」
「うん」
「来年も蛍を見にいこう」
「うん」
「君の実家にも行こう」
「うん」
「また、みんなでアイス食べようよ」
「うん」
「だから、いなくならないで。わたし、こんなの嫌だよ……」
大丈夫だよ、とは言えなかった。
僕は嘘を吐くのが苦手だから。

281 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:45:06 ID:f9WrwJvo
「あのさ」代わりに僕は彼女にひとつお願いをした。「歌を歌ってほしいんだ」
「歌?」
「もっと君の声が聞きたいんだ」
「そう」彼女は素っ気ない返事の後に咳き込み、
「ワンス・ゼア・ワズ・ア・ウェイ」とへたくそな英語で歌い始めた。
子守唄にはぴったりの歌だ。

282 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:46:17 ID:f9WrwJvo
「へたくそな英語だね」おかしくて笑いが零れそうになるが、
同時に、それはとても愛しく思えた。
その細い身体をぐちゃぐちゃに汚してやりたいほど、愛しい。
柔らかい唇を貪って、綺麗な彼女の内側に
僕の汚いそれを吐き出してやりたいほど、ーー愛しい?
「うるさい」彼女は僕を黙らせると、「トゥ・ゲット・バック・ホームワード」と続ける。
二分もしないうちに彼女はその曲を歌い終わったが、次の曲は歌ってくれなかった。
限界が来たのか、それともわざと歌わなかったのか。

283 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:47:04 ID:f9WrwJvo
僕は、ほとんど限界だった。
結局、僕の身体が彼女の身体に覆いかぶさることはなかった。
身体が、動かない。
そのまま瞼を下ろし、たくさんの優しい別れに包まれながら、
心臓の鼓動が止まったような深い眠りに落ちた。

284 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:49:51 ID:f9WrwJvo

黄金の微睡みの中で、とても綺麗な夢を見た。
彼女がウェディングドレスを着て、誰かと歩いている、夢。
彼女の隣には二本の脚で立つ男がいて、ふたりは笑っている。
誰もが手を叩き、そのふたりを祝福する中、
僕は車椅子に座り、遠くから漫然とそれを眺めている。
これでいいんだ。これが僕の望んでいたことなんだ。
そう自分に言い聞かせるも、幸せそうな彼女と
顔も知らない男のことを想うと、頬があたたかい何かで濡れた。

285 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:50:34 ID:f9WrwJvo
夢というのは、目に映るものよりも
鮮明に
現実を見せつけてくれることがある。
僕は、目指したものにはなれないんだ。

286 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:52:52 ID:f9WrwJvo

昔から気になってたことがある。
耳が機能しなくなると、自分の声も聞こえなくなるのかということだ。
気にはなっていたが、調べてまで知ろうとは思わなかった。
でも、ようやく分かった。
自分の声は、聞こえない。
もちろん、彼女の声も。
あの日から毎日歌ってくれている歌も、もう聞けないんだ。
骨が揺れているのが分かるだけで、何も聞こえやしない。
なあ。君はそこにいるのかな。
僕の声は、君に聞こえてるのかい?

287 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:53:36 ID:f9WrwJvo
僕の声が聞こえてたら、手を握ってほしいんだ。

288 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:54:56 ID:f9WrwJvo
あたたかい。彼女の手が、僕の手を弱々しく握った。
柔らかくて、優しくて、心地良い。
それだけがあればいいと、そう感じさせてくれる。
彼女は今日も、僕の頭の中の小さな世界を救ってくれている。
今が何月何日で、何時何分なのか、そんな事はどうでもよかった。
彼女は僕の隣にいてくれている。
もう、それだけでいいと感じるんだ。

289 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:56:49 ID:f9WrwJvo

僕の中に永遠は存在しない。
永遠だと思い込んでいただけで、そんなものは無かった。
彼女との思い出も、彼女のぬくもりも、
彼女と初めて出会ったときのことも、そろそろ頭の中から消える。
仕舞いにはここがどこで、自分は誰で、
何故、光も音も匂いも味も感覚も無いのかが分からなくなる。
痛みは無いが、おそらく内臓もぐちゃぐちゃなのだろう。
両脚と片腕の無い身体はほとんど動かないし、
声を出すこともできないと分かれば、きっと記憶が壊れた僕は発狂してしまう。

290 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:57:48 ID:f9WrwJvo
彼女に関することだけは永遠だと思い込んでいた。
でも、声も匂いも、すでに思い出せない。
きっと今は、僕の手を握ってくれているんだろう。
神様が気を利かせて、この手だけを残しておいてくれたのかも。
救ってはくれなかった。
でも、分かるんだ。
彼女は僕の四肢のうち、唯一残った右手を
壊れそうなくらいに強く握ってくれてる。
感じるんだ。
目を閉じれば、
彼女のぬくもりが聞こえて、
彼女の声の匂いがして、
彼女の香りが見えるんだ。
僕は大丈夫だよ。もう、大丈夫だ。

291 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:58:41 ID:f9WrwJvo
なあ、そこのあんた。
僕の声が聞こえてるんだろう?
最期の頼みがあるんだ。
僕が駄目になる前に、
まだ正気を保てているうちに、
言っておかなきゃならない。

292 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:59:11 ID:f9WrwJvo
ーー彼女をよろしく。

293 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 21:59:49 ID:f9WrwJvo
誰かの慟哭が、聞こえるーー

294 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 22:00:41 ID:f9WrwJvo
おしまい

295 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 22:05:27 ID:OuKAsI6Q
ダメだ、涙腺決壊した……
ぐいぐい読ませる作品だった。
すごく悲しい話なのにすごくよかった。
乙でした。

296 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/13(木) 22:20:02 ID:KY3v0sKI
面白かった
感動のBADENDは俺の好みだわ
オリジナルで久々に良い物読めて満足よ乙
欲を言うと最後の文章で、もうちょっとお別れっぽさがほしかったなあなんて

297 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/14(金) 07:35:29 ID:0sAZRQVo
展開的にも作風から見てもハッピーエンドはあり得ないと思ってはいたが
どっかで幸せな結末を期待してたわ
とりあえず乙
すごい面白かった

298 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/14(金) 14:39:32 ID:gW9mqNmo
良かったって言い方でいいのか…
感動した!

299 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/14(金) 19:04:03 ID:cGjHvV..
すごく良かった。
世界観がたまらなく切ない。
乙でした。

300 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/14(金) 23:18:49 ID:w39fyBH2
すごい良かった