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男「僕の声が聞こえてたら、手を握ってほしいんだ」
Part1

男「僕の声が聞こえてたら、手を握ってほしいんだ」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/14562/1370875358/

1 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/10(月) 23:42:38 ID:BaXkk/Zo

「ありがとうございました」
僕は椅子から立ち上がり、医者に背を向けて言った。
こんなところ、もう二度と来ない。
「気を落とさないでほしい。きっと助かる方法はある」
医者はしゃがれた声で、なぐさめるように無責任なことを言う。
どうも業務的な発言に聞こえるのは、
僕の気分が最悪に近いだからだろうか。
もう医者の顔を見たくなかったので、
「そうですね」と適当にあしらい、
振り返らずに早足で診察室を出た。
夢を見ているような気分だ。まさに悪夢だ。
ただでさえ僕は病院と医者が嫌いなのに、
病院で医者に余命を宣告されるなんて、悪夢以外の何物でもない。
真っ白な壁と医者の声に挟まれて、
ゆっくりと潰されているような、いやな感覚がした。

2 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/10(月) 23:44:22 ID:BaXkk/Zo
「で、どうだったの? 結果は」
彼女は待合室の硬いソファーから腰を上げながら言った。
彼女は僕の友達だ。もう二十年ほどの付き合いになる。
こういう場合は、幼馴染という表現のほうが適切なのかもしれない。
いや、腐れ縁ってやつか? とにかく、僕の大切な人だ。
彼女は昔からお節介な人だった。それは今でもまったく変わらない。
そのおかげで、いま僕は好きでもない病院に来ている。
何も左手の小指がもげただけで病院に来ることはない、と
僕は思ったが、彼女は病院に行くべきだと言い張った。
彼女はいつも正しい。僕はいつも間違っている。昔からそうだ。
それに僕は『押し』に弱い。不思議なことに、彼女に押されると尚更だ。
だから、いま僕はここにいる。そして今回も彼女は正しかった。

3 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/10(月) 23:45:56 ID:BaXkk/Zo
「結果は、良くはなかったね」
「そりゃそうでしょうよ。いきなり小指が千切れるなんて、どう考えてもおかしもん」
彼女はご立腹だ。「で、これからどうする? 入院して手術でもすれば治るの? それ」
「いや」僕はかぶりを振った。「もうこの病院には来ない」
「はあ?」彼女は怒りと呆れを喉から吐き出した。
「君が病院嫌いなのは知ってるけど、今回はそんなこと言ってられないよ?
もっとさ、ちゃんと医者に診てもらわなきゃ。そもそも、なんて病気なの? 君」
「分からないんだ。なんて病気なのか、
どうやったら治るのか。なにも分からないんだ」
「え?」

4 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/10(月) 23:46:46 ID:BaXkk/Zo
僕は深呼吸してから訊いた。
「君はいつも正しい。だから、ちょっと訊きたいことがあるんだ」
「何?」
「君は医者の言うことを信じる?」
「まあ、ある程度は」
「そうか。僕は信じないけど、
君が信じるんなら、きっとそれは正しいんだろう」
「ねえ、大丈夫? どうしたの? 他にも何か言われたの?」
彼女の血色のいい頬から、だんだんと赤みが失せてゆく。
「あと一年と三日」僕は右手の指を三本立てて、弱々しく微笑んで見せた。
まだ夢を見ているような気分だった。
「あと一年と三日しか生きられないんだってさ、僕」

5 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/10(月) 23:48:50 ID:BaXkk/Zo
「なにそれ、三日って。つまんない冗談ね。エイプリルフールは一週間前よ」
彼女は引き攣った笑みをこぼした。
しかし、僕がばつが悪そうに頭を掻くと、
彼女の顔からふんわりとした雰囲気が消え失せた。「嘘でしょ」
「嘘みたいだろ。僕も信じてないけどさ、医者はそう言ったんだ」
「藪医者よ、そいつ。他の病院に行こう。もっと大きな病院にさ」
「そうだね」僕は肯定した。
「病院はいやだけど、このままじゃ気分が悪い。
もっとしっかり調べてもらわないとね」
「お、めずらしくその気だね。わたしは嬉しいよ」
彼女はちっとも嬉しそうじゃなかった。

6 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/10(月) 23:49:32 ID:BaXkk/Zo
「それに、僕はまだ死にたくない。まだやりたいことがあるんだ」
「やりたいことって、たとえば?」
「たとえば」僕は考えるふりをした。「まあ、とにかくいろいろだ」
「どうせ大したことじゃないんでしょ?」
「いや、すごく大したことだ」
「ふーん。まあ、そんなことは何でもいいよ」彼女は踵を返した。
「とりあえず外に出よう。病院ってなんだか息苦しい」
「同感だ」

7 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/10(月) 23:50:33 ID:BaXkk/Zo
自動ドアをくぐり、病院の外に出た。小鳥のさえずりが鼓膜を軽く揺する。
四月の空気は、まだ少し冷たい。
僕らは冷たい空気で肺を洗うように何度も深呼吸をした。
頭上の樹の葉には何粒もの水滴が付いてて、足元のアスファルトが湿っている。
ところどころに、小さな水溜りも見受けられた。空は晴れ渡っているが、
おそらく僕らが病院にいる間に雨でも降ったんだろう。
空には薄っすらと七色の橋が架かっていた。
「ほら、さっさと歩く」
彼女は僕の右腕を掴み、ぺったんこの靴でアスファルトを蹴りながら歩き出した。
彼女が脚を動かすたびに長いスカートが
ゆらゆらと揺れるので、歩きにくくないのだろうか、と思う。
「どこに行くの?」
煙草を銜えながら車椅子に乗った老人が、
僕らのほうを見てにやにやしていたので、
とりあえず僕は苦笑いを浮かべながら一瞥しておいた。

8 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/10(月) 23:51:30 ID:BaXkk/Zo
「どこって、病院に決まってるじゃないの」
「え、きょう行くの?」
「当たり前じゃない。思い立ったが吉日よ。
なに? もしかして、明日行こうとか思ってたの?」
「うん」僕は嘘を吐くのが苦手なので、正直に言った。
「たぶん、君は明日になっても『ああ、めんどくさい。明日でいいや』とか思ってるね」
「よく分かってるじゃないか」
「もしかして馬鹿にしてる? 君、自分の小指が
千切れたってのに、よくそんな平気でいられるね」
「そりゃ、びっくりしたに決まってるじゃないか。でもそんな、
いきなり余命宣告されたって信じられないよ。なんだか夢を見てるみたいだ」
数秒の沈黙の後、「そうよね」、と彼女は肯定した。「悪夢みたい」

9 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/10(月) 23:52:23 ID:BaXkk/Zo
彼女は僕を引きずりながら駐車場まで歩き、僕を車の助手席に押し込んだ。
そして運転席に座り、エンジンをかけ、さっさと車を発進させた。
スピーカーから流れるベースの低音と、
聞き覚えのある男性の歌声が、僕の内側に響く。
「悪いね。せっかくの休日に、わざわざこんなことさせちゃって」
僕は窓の外で流れる景色を漫然と眺めながら言った。
等間隔に植えられた街路樹。光の灯っていない街灯。
ペンキが剥げた歩道橋。濁った川。うんざりするほどの数のコンビニ。
ガソリンの浮き出た水溜り。長靴で跳ね回る子ども。赤く光る信号機。
医者の言葉を信じたわけではないが、飽きるほど見たような景色でも、
あともう数えられるほどしか見られないのかもしれないのかと思うと、
少し感傷的な気分にさせてくれるものだ。

10 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/10(月) 23:53:32 ID:BaXkk/Zo
「べつにいいよ。わたしも好きでやってるんだし。
それに、君に死なれるとわたしが困る」
「どうして?」僕は彼女のほうを向いて言った。
『好き』ってのは何に対しての言葉なんだ、と
訊きたくて堪らなかったが、そのことについては黙っていることにした。
「ただでさえ少ないわたしの友達が、さらに少なくなっちゃうからね」
彼女はハンドルに凭れかかりながら言う。
「ああ」僕はふたたび窓の外へ視線を滑らせた。「それは困るね」

11 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/10(月) 23:54:17 ID:BaXkk/Zo
僕らはそれっきり黙り込み、スピーカーから鳴る音楽に耳を傾けた。
重い沈黙ではなく、心地の良い沈黙だった。このまま、
いつまでも病院に着かなけりゃいいのになんて、くだらないことを思った。
しかし、物事というのはそう都合良くは進まない。
しばらくすると、彼女が「はい、着いた」と小声でこぼしたので、
僕はゆっくりと車を降り、湿ったアスファルトを踏みつけた。

12 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/10(月) 23:55:05 ID:BaXkk/Zo

神様ってのは、気まぐれで理不尽で、不平等だ。

13 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/10(月) 23:55:50 ID:BaXkk/Zo

「で、どうだったの? 結果は」
彼女は待合室のソファーから腰を上げながら、
一字一句違わず数時間前と同じことを言った。
待合室には二十ほどのソファーがあるが、その半分以上が空席だ。
「やっぱり君の言ったとおり、あの病院の医者は藪医者だったよ」
「じゃあ、あの病院の診断は間違ってたの? よかったあ」
彼女は顔の筋肉をほぐし、大きく息を吐いた。
「うん。僕の余命は、あと一年と三日じゃなくて、あと一年と五日だった」
「は?」どうやら、彼女の顔の筋肉はふたたび凍りついたようだ。

14 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/10(月) 23:56:41 ID:BaXkk/Zo
「このままのペースで病魔が侵食してくると、
僕は一年と五日で駄目になるんだってさ」
「嘘でしょ」
「嘘みたいだろ。いまの僕にできるのは、
ホスピスでターミナルケアを受けることらしいよ」
「何、そのホスピスって。ターミナルケアって、なんなのよ?
自分を賢く見せたいのか何なのか知らないけど、
やたら横文字を使うやつって、わたし大嫌いなの」
「いや、医者が言ったんだから仕方ないだろう。
僕も訊いたよ。ターミナルケアって何なんだって」
「で、何なのよ」

15 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/10(月) 23:57:29 ID:BaXkk/Zo
「終末期医療のことだって。末期癌患者やエイズ患者の
人生の質(クオリティ・オブ・ライフ)を向上するために行う措置だとかなんとか。
目的は延命じゃなくて、苦痛を和らげるみたいな感じらしいよ。
ホスピスってのは、そのターミナルケアを行う施設のことで……」
「ふざけないで!」彼女の怒号が待合室に響く。
もともと静まり返っていた冷たい空気が、凍りついたような気がした。
誰もが口を固く結び、室内に響くのは、時計の針が時間を刻む音だけになる。
部屋中の視線が彼女に突き刺さったが、
当の彼女はまったく気にしていない様子だった。
「と、とりあえず、外に出よう。な?」僕は宥めるように言った。
「そうね」彼女は震えながら息を吐き出した。
そして、頭を掻き毟りながら早足で出口に向かう。
「ああ、もう! なんなのよ!」
あとで彼女に謝っておくべきなのかな。

16 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/10(月) 23:58:39 ID:BaXkk/Zo
自動ドアをくぐり、病院の外に出た。足元に敷かれた石は乾いていた。
この病院には三時間ほど滞在していたが、
おそらくその間はずっと晴れていたのだろう。気温も上がっている。
「ほら、早く行く」
彼女は僕の右腕を掴み、早足で歩き出した。少し怒っているように見える。
「え? どこに? もしかして、他の病院に?」
「そうよ。ここのも藪医者よ」
僕は携帯電話をちらりと見た。
「もうお昼の三時じゃないか。ご飯でも食べて少し落ち着こうよ」
「君、自分の命が危ないかもしれないのに、よくそんな平気でいられるね」
「僕、医者の言葉はほとんど信じてないからね」
「ああ、そう」彼女はため息を吐いてから、
「そうね。ちょっと落ち着いた方がいいかも」、と言った。
吐き出した言葉とは裏腹に、どこか苛立っているような雰囲気だ。

17 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/10(月) 23:59:24 ID:BaXkk/Zo
「病院なんか明日行けばいいじゃないか。
きょうは君も疲れただろう。ちょっとゆっくりしようよ」
「なんで君のほうが余裕なの? もうちょっと危機感持ちなさいよ」
「大丈夫だよ。僕は死なない」
「だといいんだけどね」
彼女はそう言って、ふたたび僕を車の助手席に押し込んだ。
エンジンをかけると車は低く唸り、
スピーカーからベースの低音と息を吐くような男性の声が流れ始めた。
「じゃあお昼、何が食べたい?」彼女は前を見たまま言う。

18 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/11(火) 00:00:06 ID:vduQb7aE
僕はなんとなく彼女の横顔を見た。
昔から何度も見ていたはずなのに、もしかしたら、
あと数えられるほどしか見られないのかもしれないなと思うと、
少し悔しい。そして、少しだけ怖くなった。
僕が死ぬだって? そんなのありえない。
頭ではそう思ってはいても、
絡みつく不安をすべて振り切ることはできなかった。
それどころか、彼女のことを見ていると、不安は風船のように膨らんでいく。
その風船は、いつか破裂するんじゃないかと思う。おそらく、萎むことはない。
そして風船が弾けたとき、僕は壊れてしまう。
肉体的にではなく、精神的に壊れてしまうような、そんな気がした。
そうなってしまった場合はどうしようか。
誰にも迷惑はかけたくないけど、たぶん僕にそんな器用なことはできない。
なら、どうする? 頭がぶっ壊れちまったら、僕はどうすればいいんだ?

19 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/11(火) 00:01:16 ID:vduQb7aE
「なに? わたしの顔見てぼーっとして。話、聞いてたの?」
「え、ああ。うん、聞いてるよ」彼女の声で僕の思考は遮られた。
「金星の話だっけ?」
「違う。何を食べたいかって訊いただけよ。馬鹿じゃないの」
「うーん、食べたいものか」
くだらない冗談が真っ先に脳裏を過ぎったが、
それは内心に留めておくことにした。きっと怒られてしまう。
「スパゲッティが食べたいかな」
「うわ。ものすっごい普通」彼女は小さく吹き出した。
「何が面白いんだよ」
「いや、なんかね。君はいつも通りだなって」
「いいじゃないか。病魔とか余命とか、もう疲れた。
やっぱり、いつも通りがいちばんだよ」
「そうね」彼女は笑いながら言った。「普段通りがいちばんだ」

20 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/11(火) 00:01:58 ID:vduQb7aE

「普段通りがいちばんだって言ってもね、だからって
その病気のことを無視していいってわけではないと思うの。わたしはね」
彼女は皿の上のあさりの貝殻をフォークで転がしながら言った。
「ほえもほおはえ」と、僕。
それもそうだね、と言ったつもりが、口いっぱいの麺に舌の進路を遮られてしまった。
スパゲッティってのは、どうしてこんなに美味いんだろうか。
「口の中を空にしてから話してくれる? いまの君、不細工なハムスターみたいだよ」
いい例えだ、と思ったのと同時に、それはハムスターに失礼じゃないかと思ったが、
どちらの言葉も黙って麺といっしょに咀嚼し、飲み込んだ。「うん。悪かった」

21 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/11(火) 00:03:09 ID:vduQb7aE
ファミリーレストランは想像以上に空いていた。
僕ら以外の客は、四人で駄弁っている学生らしき男たちと、女性二人組しか見当たらない。
きょうは平日だし、時間も中途半端なので、当然といえば当然かもしれない。
もう少し時間が経てば学生の下校時刻になるので、ここもいやというほど繁盛するだろう。
ならば、あの学生らしき男たちはなんなんだと思ったが、いまはそれどころではない。
自分の命と他人への興味を天秤にかけて、自分の目というフィルターを通して
それを見れば、結果は明らかだ。重いのは自分の命。僕の命だ。
「でさ、とりあえず訊きたいことがいくつかあるんだけど、いいかな」彼女は言った。
「あ、はい。どうぞ」

22 :以下、名無しが深夜にお送りします:2013/06/11(火) 00:04:09 ID:vduQb7aE
「このままその病気を放っておくと
君の命が危ないってのは分かったんだけど、具体的にどうなるの?」
「いまは指が千切れたりするだけみたいだけど、
いずれは脚とかも千切れるかもしれないって。
千切れはしなくても、麻痺とか。
まあ、医者の話がほんとうなら、身体はぼろぼろになるだろうね。
仕舞いには感覚も死んでいくらしいし。
視覚に、聴覚に、嗅覚に、味覚に、痛覚に……あと何かあったっけ? あ、触覚か?」
「もういい。分かった」彼女はゆっくりとこぶしを僕のほうに突き出しながら言った。
「じゃあ次の質問。小指が千切れちゃったけど、痛くないの?」
「痛くないよ。千切れるちょっと前から、皮膚の内側が
腐った木みたいにぼろぼろになってたみたいだ。
その時点で感覚は死んでた。痛覚も死んでたんだから、痛みも何もないよ」