Part8
339 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/07(土) 20:58:35.91 ID:dlhGMPwp
奈央「明日、早いからね。寝坊はダメだよ」
俺「分かった。奈央も寝坊すんなよ」
奈央「うっさい」
皿洗いが終わった後、俺は真っ暗になった庭に出た。
使ってない自転車があるらしく、明日俺が使うために出してこようと思った。
家の居間からの灯りと、まばらな街灯の灯りだけが頼りだった。
341 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/07(土) 21:01:50.49 ID:dlhGMPwp
ぶどう畑の脇の、物置のような所から自転車を引っ張り出してきて、
水道の横に止めると、縁側にいたおじさんに声をかけられた。
おじさん「自転車なんか出して、どうするで」
俺「あ、いえ。ちょっと明日使わせてもらおうかと」
おじさん「明日どっか行くの?」
そう言われて少し戸惑ったが、すぐに「部活です」と自信たっぷりに答えた。
おじさんは「はは!」と高笑いし、「1君は高校生だったっけ」と笑っていた。
おじさん「ちょっとここ座れし」
そう言われて、俺はおじさんの横に座った。
342 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/07(土) 21:05:54.59 ID:dlhGMPwp
おじさん「奈央の部活でも、見に行くのけ」
俺「あ、そうです。ちょっと頼まれたので」
おじさんは、ふうっと煙を吐いて続けた。
おじさん「そんなこんやってないで、勉強しなくていいだか?」
俺は突然の言葉にドキッとし、一気に体温が上がる気がした。
俺「いや…もちろん勉強も…」
おじさん「勉強に集中するためにこっちに来たって聞いたけど」
おじさん「なんで部活に行くなんて話になってるだ」
俺「…すいません」
蒸し暑い夏の夜に、場が凍りついたようだった。
まさか怒られるとは思っていなかった俺は、
握りしめた拳に嫌な汗をかいた。
343 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/07(土) 21:11:07.03 ID:dlhGMPwp
おじさん「…なんて、いつもこんなん言われてた?」
俺「…はい?」
おじさん「1君、本当は勉強好きじゃないら?」
おじさんの態度がくるっと変わったので、俺は何て言ったらいいか分からずにいた。
おじさん「というか、他にやりたいことがあるらに」
おじさん「聞いたよ、畑も手伝ってくれたらしいじゃん」
おじさん「庭でよく奈央とバレーもしてるんだってね」
おじさん「でも俺は、それでもいいと思うんだよ」
おじさん「勉強ばっかりやってたら、人間頭がおかしくなっちまうよ」
リーンという夏の虫の声に揺られて、おじさんの横顔が暗闇にぽっかりと浮かび上がっていた。
344 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/07(土) 21:12:47.81 ID:dlhGMPwp
俺「明日の部活なんですけど」
俺「俺、ここ何年かずっと、やりたいことが何もなかったんです」
俺「したくもない勉強を毎日毎日ずーっとやって、そんな風に過ごしてきて」
俺「でも今、本当にやりたいと思えることが、目の前にできたんです。もう、何年もなかったのに」
俺「だから明日、俺は奈央さんの部活に行って来ます」
俺は無我夢中で、今自分の心にあることを吐き出した。
まるで小さい子供のように、心に燃える想いを躊躇なく吐き出していた。
345 :
名も無き被検体774号+:2015/11/07(土) 21:15:38.49 ID:1kSWbypm
おおおいおっちゃん
びびらしてくれたな
346 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/07(土) 21:20:34.45 ID:dlhGMPwp
おじさん「1君、どうしたで」
俺「はい?」
おじさん「なんか今、すごい楽しそうじゃん」
俺はおじさんのその言葉を聞いて驚いた。
俺「え、そうですか?」
おじさん「なんか、いい顔してたよ」
自分でも気づいていなかった。俺はそんな風に見えていたのか。
というか、そんな風になっていたのか。
おじさん「まあ、好きにしたらいい。早起きして部活に行くのも一興だ」
おじさんはそう言うと、笑みを浮かべて煙草をくわえた。
俺も、「そうかもですね」と笑って相槌を打った。
347 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/07(土) 21:21:41.58 ID:dlhGMPwp
俺は、変わり始めていたのかもしれない。
全てに自暴自棄になって、過去の記憶の亡霊に取り憑かれて流れ着いたこの場所で、
俺は何か大事なものを見つけかけていた。
その日、初めて奈央からLINEが来た。
「明日は8:30には家出るからね」
とだけ書かれた、簡素なものだった。
気合を入れて返事を返すのもアレなので、
俺は「りょーかい」とだけ打ち込んで、返事とした。
348 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/07(土) 21:31:16.88 ID:dlhGMPwp
同じ家にいるというのに、LINEをするというのも妙な感覚だった。
自分の部屋にいるのも、少しだけソワソワした。
灯りは豆電球だけにして、しばらくスマホを眺めていた。
窓の外からは相変わらず虫の声が聞こえていた。
その日は、なんだか不思議な夜だった。
今更ながら、自分が全然知らない世界に来たような、そんな不思議な気持ちになった。
349 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/07(土) 21:32:26.67 ID:dlhGMPwp
次の日、奈央は8時前には支度が終わったようで、やたらと俺を急かした。
シューズを持っていないことを話すと、渋々自分の体育館履きを貸してくれた。
俺は自前のコルセットを準備したり、
タオルやTシャツを準備するのに手間取った。
結局8:30前に家を飛び出して、俺は寝ぼけた頭を覚ますのに必死だった。
奈央「早く!」
奈央は庭先の道で自転車に乗って俺を促した。
夏の朝の真っ白な光が、俺たち二人を包み込んだ。
351 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/07(土) 21:41:26.12 ID:dlhGMPwp
自転車に乗るなんて久しぶりのことで、なんだか不思議な気がした。
「急ぐから、私のあと付いてきてね!」そう言う奈央の背中を追いかける。
風を切って坂道をどんどん下っていく。
前を行く奈央の後ろ姿が小さくなっていく。
いくつものぶどう畑が横目に通り過ぎていく。
あの駅前の道も通り過ぎた。遠くに、麓の街が小さく見えた。
太陽の光を浴びて、キラキラと光っていた。
352 :
名も無き被検体774号+:2015/11/07(土) 21:56:56.05 ID:vTmj6fMO
一部のシーンでもいい、実写・アニメでもいいからCMに使われてほしい情景だ!
353 :
名も無き被検体774号+:2015/11/07(土) 22:15:44.75 ID:MsdcBS/7
あっという間に追い付いてしまった
おもしろい
354 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/07(土) 22:21:58.65 ID:dlhGMPwp
なにせずっと下り坂で、風を思い切り浴びるので、
暑さはそこまでじゃなかった。
奈央が飲み物買うのを忘れたと言って、途中自販機の前で立ち止まった。
俺「ねえ、そこまで急がなくてもいいんじゃない?」
奈央「そうかな。まあ、それなら普通に行ってもいいけど」
俺「何をそんなに焦ってるの?」
俺は自販機の影に入るようにして、奈央の表情を窺った。
奈央「別に、焦ってなんていないけどさぁ」
奈央は怪訝な表情でこちらに視線を向けた。
355 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/07(土) 22:23:49.42 ID:dlhGMPwp
奈央「早く行って、準備したかっただけだよ」
奈央「…ごめんね」
俺は一瞬「ん?」と思って状況を理解できなかったが、
奈央が謝っているんだと気付いてすぐにフォローを入れた。
俺「や、やめて。謝ることないよ。いいんだ別に」
そう言うと奈央は「ううん」と首を横に振って、
「行こっか」と言ってペダルを踏んだ。
夏の朝の陽射しが揺れる中を、奈央が少し前を走っている。
「学校ちょっと遠いんだぁ」などと言って、時々こちらを振り返った。
俺はずっと、長い髪の結ばれた奈央の後ろ姿を見ていたから、
奈央が振り返るたびに目が合って、ちょっと困った。
358 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/08(日) 00:57:20.42 ID:9/BsGJdf
次第に何もなかった山道から、少々車通りの多い道が増えてきた。
いくつもの坂を下って、抜けた先に大きな川があって、
その河川敷の横には、ひまわり畑が広がっていた。
そして、その向こうには奈央の高校があった。
こりゃ、帰り道は一段と大変そうだな、と思った。
奈央のあとを追って校内に入ると、世界が一変するようだった。
不意に、空気と雰囲気が変わった気がしたのだ。
驚いて振り返ると、校門からは来た道が続いていた。
359 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/08(日) 01:01:01.03 ID:9/BsGJdf
こんな事ってあるもんなのかと思ったが、
遠くで「こっち!」と呼ぶ奈央の方を向き直って、
俺は自転車のペダルを踏み直した。
何もかもが懐かしく感じた。
そんなに遠い昔のことでもないのに、高校ってこんな感じだったよなぁと、
目に映るもの全てに親しみを覚えた。
どこで吹いてるのかも分からない、遠くから聞こえる吹部の「プア〜」という音。
朝練なのだろうか。熱心な生徒が練習前に来て吹いているのだろうか。
360 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/08(日) 01:11:50.63 ID:9/BsGJdf
野球部はすでにグラウンドで「おい!おい!」と掛け声を上げてランニングをしている。
俺の目の前を、弓を抱えた弓道部の一団が通り過ぎて行く。
これから試合にでも行くのだろうか。
かと思えば、何やら大きな荷物を抱えて歩いている屈強な男子たちともすれ違った。
ラグビー部か、レスリング部…と言ったところだろうか?
奈央は一足先に駐輪場に自転車を止めていた。
奈央「ここ、私の隣に置いちゃっていいから。テキトーに」
そう言われて、奈央の横に自転車をつける。
俺「にしても、部活が盛んな学校なんだね」
ここに来るまでに、一体どれだけの部活の子とすれ違っただろうか。
361 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/08(日) 01:15:27.90 ID:9/BsGJdf
奈央「まーね。一応伝統校だから、部活には相当力を入れてるよ」
奈央「文武両道、とか言って勉強にもうるさいけどね」
俺「へえ、立派な高校なんだね」
俺がそう言うと奈央は、
奈央「そんな事ないよ、この辺の子たちが集まってくる普通の高校だよ」
と言ってはにかんだ。
362 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/08(日) 01:20:27.44 ID:9/BsGJdf
奈央「私は部室に行って着替えてくるから」
奈央「ちょっと、ここで待ってて」
そう言われて、俺は駐輪場の自転車の脇で待っていた。
止めてある無数の自転車や、目の前にあった水道などを眺めて、
やっぱりここは高校なんだなぁ、としみじみとしてしまった。
この中だけ、時間の流れ方が違うようだ。
毎年沢山の生徒が卒業して、入学して、人はどんどん入れ替わるけど、
この場所だけは、永遠に終わらない青春の時間が流れ続けてるんだ、と思った。
364 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/08(日) 01:38:34.21 ID:9/BsGJdf
数分待っていると、奈央が駆け足で戻ってきて「いこ」と俺を誘った。
体育館は駐輪場のすぐ近くにあった。
中からはすでに「バシンバシン!」とボールの音が響いていた。
奈央はなぜか「後から入ってきて!」と言って俺を置いて中へ入った。
少し待って入ると、バスケ部の男子がこちらを見て「ちわーーっす!」と仕切りに挨拶をしてくれた。
体育館の特有の匂い。キュキュっとシューズの擦れる音。
高い天井から注ぐ無数の照明。
365 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/08(日) 01:39:56.21 ID:9/BsGJdf
その中に降り立って、俺は少し胸が詰まる想いがした。
そして、久々にやるぞ!と勇んで体育館履きを履こうとしたら、
サイズが合わずまったく足に入らなかった。
俺「靴が入らないんだけど」
奈央「かかと踏んで履いちゃえばいいよ」
俺「それはあぶないよ」
366 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/08(日) 01:41:16.82 ID:9/BsGJdf
俺がそう言うと、奈央は「もう」とむくれて体育館の入り口を指さした。
奈央「入口の下駄箱に、忘れ物のシューズがいくつかあるから、使いなよ」
それに「分かった」と答え、古ぼけた下駄箱から見繕って、
シューズを履いて中に戻った。
その間、奈央は体育館を仕切るネット越しに、
ずっと男バスの様子を夢中で眺めていた。
俺「準備、しないの」
俺が声をかけると、不意を突かれたように「ああ、そうだ」とおかしな声を出した。
367 :
名も無き被検体774号+:2015/11/08(日) 01:43:34.92 ID:5NYJDfbk
1の文章好きだわ
368 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/08(日) 01:46:54.01 ID:9/BsGJdf
奈央が倉庫のような所に駆け出して、一人でネットのポールを運んでくる。
「あぶないよ!」と言ってすぐに手伝った。
「いつも一人でやってるから平気」と言っていたが、足元はフラフラだった。
体育館でネットを立てるなんて作業、もう何年ぶりのことだったろうか。
ぎしぎしと軋むネットの音が何だか無性に心地よく感じた。
そんな風にして、二人で準備を進めていると、
他の部員たちも集まってきて準備を手伝い始めた。
後から来た子たちは皆、俺の方を不思議そうな表情で眺めていた。
俺も仕方なく、「こんにちは」と力なく会釈をするだけだった。
369 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/08(日) 01:50:31.44 ID:9/BsGJdf
奈央が後輩らしき子に、「あの人ですか?」と聞かれて困った笑顔を浮かべていた。
俺のことを、いつ説明するつもりなのだろうか。
そんな事を思っていると、
入り口の方でバスケ部男子が「こんにちはー!」と次々に言い始めて、
お腹の大きな一人の女性が入ってきた。
歩きながら男子たちと談笑しているようにも見えた。
それに気づくと、奈央はすぐさまその女性の元へと駆け寄っていった。
恐らく、あれが女子バレーの部の顧問の先生なのだろう。
奈央はそのまま先生と数分話していた。
370 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/08(日) 02:21:42.76 ID:9/BsGJdf
他の子たちが各々ストレッチを始めたので、
俺も端の方で軽くストレッチをしていた。
すると、奈央が手招きして「来て」と俺を呼んだ。
椅子に座った先生と、奈央を挟んで向かい合う格好になる。
俺が「こんにちは」と挨拶をすると、先生は、
「女バレの顧問の野方です」と笑って挨拶してくれた。
371 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/08(日) 02:34:50.72 ID:T3XlmZ6k
先生「1君、だよね。奈央から聞いたけど、あなたがうちを見てくれるんだよね」
俺「あ、はい。どの程度力になれるかは分かりませんが…」
先生「ほんと、突然ごめんね。私がこんなんにならなきゃね」
先生「今日も、旦那の車で送ってもらったんだけどw」
先生はそう言って、自分のお腹を触って笑った。
先生「明日から産休のつもりで、その間は他の部の先生に一緒に見てもらおうと思ってたけど」
先生「それでも、バレーの中身のことまではカバー効かないからね…」
俺「そうですよね…」
先生と俺が会話をする間、奈央は一心に先生の方を見つめていた。
372 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/08(日) 02:39:10.26 ID:T3XlmZ6k
先生「見てもらえたら、それは心強いけど」
先生「これから大会まで一週間くらい、本当に見てもらえる?」
その言葉を聞いて、俺の中で色々なものがフラッシュバックした。
途中で辞めてしまった部活
バレーをとったら何も残っていないと知ったあの日
春高決勝で輝いてたあのエースの風
出口の見えない勉強の毎日
過去の幻影に追われて何もしたいことのなかった毎日
373 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/08(日) 02:42:25.45 ID:T3XlmZ6k
そんな俺が、どういうわけか今、
再び体育館の中に立って、「部活」をしようとしている。
蒸し暑い、この体育館の中で、
シューズの擦れる音が響くこの体育館の中で、俺がいた。
先生のその質問に迷うことなく、
「はい、全力でやりますよ」と答えていた。
そう言うと、先生は笑って、
「ありがとう。他の先生にも、それとなく話しておくから」と言ってくれた。
俺は、再び与えられたこの時間で、一体何ができるんだろうか。
そんな事を思っていた。
374 :
1 ◆aPqsLiX.0g :2015/11/08(日) 02:43:49.10 ID:T3XlmZ6k
今日は一旦ここまでにします。
続きはまた明日書きに来ますね
それでは
375 :
名も無き被検体774号+:2015/11/08(日) 03:01:00.90 ID:e628sBxF
乙
376 :
名も無き被検体774号+:2015/11/08(日) 03:26:15.09 ID:MIWS0xg6
おつかれさま
379 :
名も無き被検体774号+:2015/11/08(日) 13:43:54.31 ID:fFcGDOgF
夢中になって読んだ
ひきこまれてびびった
380 :
名も無き被検体774号+:2015/11/08(日) 17:10:17.81 ID:E59KI1Tz
これは良い
支援
381 :
名も無き被検体774号+:2015/11/08(日) 20:21:20.08 ID:fFcGDOgF
たのしみだなぁ
>>1の描く夏が好きだよ