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勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」
Part44


153 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/18(土) 12:20:44.90 ID:SBjuN94j0
 エドが立ち上がって後ろを振り向いた。
 俺もつられてその方を向こうとして、それよりも早くエドの声がかかる。
エド「一品増えたな」
エド「ケンゴ、お前、蟹は食えるか?」
 軍隊ガニ。
 違う。軍隊ガニの……大群だ。
 わさわさと、木々の隙間から続々やってくる赤、赤、赤!
 甲殻と甲殻の擦れるぎちぎちという音が不気味でたまらない。しかもあいつら、蟹のくせにきちんと前に歩いてきやがる。
ケンゴ「……生き残れたら、たらふく食えるな」
エド「なに、レベル上げだと思えばいい。行くぞ」
 気楽に言ってくれる。エドにとっては大したことはなくとも、俺にとっては大仕事なのだ。こちとら旅に出て数週間のひよっこだぞ。
 もちろんそんなこと言いはしない。言えやしない。

154 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/18(土) 12:21:20.15 ID:SBjuN94j0
エド「ホリィ、いい加減リンカを起こせ!」
ホリィ「は、はいっ! ザメハ!」
 戦闘中のエドは僅かに口数が多い。それは単なる血気から来るものではなくて、その逆、熱を言葉とともに吐き出しているのだと俺は思った。
リンカ「ん、ごめんね、やられてーーってえぇええええっ、なにコレぇっ!」
エド「軍隊ガニの大群だ! 甲殻に守られて物理は通りづらい。お前ら二人の攻撃呪文に期待してるぞ!」
 気味悪い速度で近づいてくる蟹へ俺は彎刀を打ち下ろす。ガィンと鈍い音がして、痛いほどの震動が手に伝わってくる。思わず取りこぼしそうにすらなった。
 なるほど、確かに、硬い!
ケンゴ「中身はあんなプルプルしてるくせによぉおおおっ!」
 振りかぶられた鋏、その関節部を狙って正確に斬撃を打ち込む。流石に関節までは硬くするわけにはいかないようで、それでも十分な硬度はあったけれど、なんとか刃先を喰いこませることには成功した。
 そのまま捻って、関節を破壊する。

155 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/18(土) 12:21:53.14 ID:SBjuN94j0
「ごぎゅぅうおおおええおおおおおあああああ!」
 聞けば聞くほど魔物の声は醜悪だ。これだけで、存在が人間に敵対するものだとありありとわかる。
ホリィ「行きます! バギ!」
 風の塊が俺とエドの間を抜けていって蟹たちをまとめて吹き飛ばす。しかし、残念ながら甲殻は衝撃も分散するようだった。距離は稼げたが動きの止まる様子がない。
ホリィ「なら、上から!」
 天に向かって指を指したホリィが、そのまま地へと叩きつける。
 同時に、風の塊が高速落下。二体の蟹を捉えて叩き潰した。
ホリィ「は、はぁ、はぁ、やりましたね……」
 たった二体を倒しただけだというのに疲労の色が濃い。
 ホリィは回復魔法を主として学んでいたため、攻撃呪文は些細だし、弱体化など微塵も覚えていなかった。回復役として重宝していたが、それが今は逆に仇となっている。

156 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/18(土) 12:22:29.57 ID:SBjuN94j0
 更なる詠唱を続けようとホリィが手を合わせているが、顔色は明らかに悪い。このままでは無事に戦闘を終えたとしても倒れてしまうのではないか。
 俺とエドがやるしかないか。
 そして、それよりも、リンカ!
ケンゴ「リンカ!」
リンカ「わかってるわよ! ーーでっかいやつを、ぶちかます!」
リンカ「その名は凍結! 透き通り、屈折するプリズムと、冷気の通り道を啓く導よ! 突き刺し、満ち、生まれよ! 我が命ずるままに敵を討て!」
リンカ「ヒャダルコ!」
 澄んだ音色が連鎖的に空間へ満ちた。

157 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/18(土) 12:23:08.59 ID:SBjuN94j0
 空間に次々と生まれていく瑕疵。それは冷気の生まれる出入り口だ。
 一拍置いて、蟹たちを穿つ形で瑕疵を通って、冷気がーー凍結が、蟹たちを飲み込んでいく。
リンカ「もう一発!」
 エドの背後に近づいていた蟹の鋏が瑕疵に巻き込まれ、凍結した。そこへ目がけて俺は彎刀を叩き込む。
 依然醜悪な音をまき散らし、蟹がぐずぐずの瘴気とともに溶けていく。
エド「すまん」
ケンゴ「いいって、仲間だろう!」
エド「しかし、数が多いな」
 確かにその通りだった。まだ十数匹が後ろに控えている。ヒャダルコは範囲攻撃としては優秀だけれど、そもそも蟹と冷気は相性があまりよくない。メラかギラでも使えればよいのだけど……。

158 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/18(土) 12:23:37.69 ID:SBjuN94j0
ケンゴ「リンカ! メラかギラはーー!」
リンカ「使えない! 使えないっての! ちくしょう、もう一発!」
 ヒャダルコ。蟹が三体凍って砕けた。
 俺は果たして本当にリンカが火炎系や閃光系の呪文を行使できないのか疑問だった。ヒャダルコを覚えられる程度のレベルの持ち主が、である。
 だが、使えないのならば仕方がない。今はリンカのヒャダルコだけが頼みの綱なのだ。
エド「関節を狙え!」
ケンゴ「わかってるさ!」
ホリィ「怪我したら、すぐ治しますからっ!」
 ホリィの声を背に受けて、そのまま押し出されるように蟹の群れへと突進していく。
 両手の鋏は重く、硬く、鋭い。が、動き自体はそれほどでもなかった。道場の師範代の木刀の方が何倍も速い。
 見切れるとは言えないけれど、反応は余裕で間に合う。

159 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/18(土) 12:24:04.50 ID:SBjuN94j0
 鋏を鞘で受け、いなす。思わずたたらを踏みそうになるが、敵の軍勢の中でそれは自殺行為だ。勢いに任せて突っ切る。
 左右から迫る鋏を掻い潜り、そのまま蟹を踏みつけて跳んだ。
ケンゴ「うぉおおおおおおっ!」
 目の前にいた蟹の眼窩へと彎刀を突き刺した。関節、眼窩、口腔ーーいくら甲殻類でも、この辺りは硬くはできないだろう!
 暴れて振り回される鋏。エドが向かってくる気配を感じ取って、俺は横へと跳んだ。
 大上段からの斧の一撃が、真っ二つに蟹を叩き割る。
エド「次ィッ!」
リンカ「退いて!」
 俺とエドの間を縫う用に、瑕疵が連なって這っていく。
 反射的に腕で前面を守りつつ、後ろへ逃げる。
 氷の結晶体が顕現。それは蟹たちを飲み込み、砕いていく。

160 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/18(土) 12:24:30.17 ID:SBjuN94j0
リンカ「……っ、はぁ、はぁっ……!」
 リンカの疲労の色もまた濃い。詠唱を必要とするレベルの出力を二度も行ったのだから、ガス欠になるのは仕方ないのかもしれない。
 しかし今の一撃で蟹の数は大きく減った。これなら俺たちだけでもなんとかなる、か?
 そんな俺の希望をあざ笑うかのように、ばつん、と音がして木が倒れた。
 軍隊ガニの群れの奥、赤が犇めくその中に、唯一緑色が存在している。その緑は決して草木のそれではなくて……。
エド「逃げるぞ!」
 戦慄が伝わってくる。その内容まではわからないがーーエドの表情が全てを物語っている!
エド「上位種ーー地獄の鋏だ!」
ホリィ「だ、だめです! 退路が!」
 既に周囲は軍隊ガニに囲まれてしまっていた。強行突破をしても、その間に地獄の鋏は俺たちに追いつくだろう。

161 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/18(土) 12:25:16.86 ID:SBjuN94j0
リンカ「ヒャダルコォッ!」
 リンカが杖を振って凍結を放つ。それは三匹の蟹を吹き飛ばすも、突破口を開くというにはあまりにも力不足過ぎた。
 周囲から、蟹たちがじわりじわりと近づいてくる。
ホリィ「き、希望を捨てないでください! まだ可能性はあります!」
ケンゴ「わかってる! こんなところで死んでたまるか!」
 しかし、不思議だ。こんなところで地獄の鋏が出るだなんて聞いたことがない。それほど危険度の高いエリアではないはずなんだけど。
 それとも、近年魔物の活動が活発になっていることの証左なのだろうか。どのみち不穏なことが多すぎる。
ケンゴ「地獄の鋏を倒すことは?」
 お互いの背中を預ける形で俺は尋ねた。
エド「無理だな。今の俺たちでは、あまりにもレベルが足らなさすぎる」
 辛辣な言葉だった。けれど事実でもある。
 生存は互いの力量をきちんと把握することろから生まれる。突貫は自殺と変わらないのだ。

162 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/18(土) 12:25:43.70 ID:SBjuN94j0
ケンゴ「どうしたらいいと思う」
エド「……一点突破しかない。ヒャダルコ、バキ、俺とお前の直接攻撃で、なんとか……」
 最悪体の一部をあいつらにくれてやることになるかもな、とエドはぼそりと付け足した。
 命さえあればなんとかなる。俺は覚悟を決めて、彎刀を握り締めた。
ケンゴ「一点突破だ!」
リンカ「おう!」
ホリィ「は、はいっ!」
 振り向いて、軍隊ガニの一番薄いところへと突っ込んでいく。
「ぐきょおおおおぐううううぇきぃえええええええ!」
 視界の端に緑色がちらついた。
 緑色が!

163 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/18(土) 12:26:17.81 ID:SBjuN94j0
エド「ホリィ!」
 巨大な鋏がホリィを狙う。ホリィは咄嗟のことで動けそうにない!
 エドが腕を取って地面に引き倒す。僧侶の帽子が容易く両断され、地面へとはらりと落ちただけで、なんとか怪我はないようだ。
 巨大な、体高一・五メートルはあろうかという緑色の蟹が、俺の目の前に屹立していた。
ケンゴ「うぉおおおおおお!」
 恐怖を叫びでかき消して、自分自身を鼓舞して、彎刀を関節目がけて振り抜く。
 柔らかい感触が手に感じられた。が、そもそもサイズが桁違いの存在を相手に、人間の腕力では半分も切り込むことができない。
 地獄の鋏はそれでも痛かったと見えて、そのぎょろりとした目で俺を一瞥、大きく鋏を振り上げた。
 横っ飛び。まるで戦槌のような振り下ろしを間一髪で回避して、そのまま地を蹴って体勢を立て直し、エドたちと合流する。

164 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/18(土) 12:27:14.83 ID:SBjuN94j0
エド「大丈夫か」
ケンゴ「なんとかな。そっちは」
エド「こっちも大丈夫だ。ただ、あれは……」
ケンゴ「やばいな」
 規格外のサイズすぎる。
リンカ「わたしが行くわ」
エド「ヒャダルコか」
リンカ「どれだけ効果があるかもわからないけどね」
エド「やめておけ。それより逃げるぞ」
リンカ「あんなのから逃げられるわけ!?」
 と、甲殻の擦れる音を響かせて、地獄の鋏がこちらへ向かってきた。リンカは杖を構えてヒャドを放つが、瑕疵より生まれた氷塊を、地獄の鋏は一顧だにしていないようだった。その速度は衰えることがない。

165 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/18(土) 12:27:56.14 ID:SBjuN94j0
ホリィ「ピオリム!」
ホリィ「速度向上の呪文です。これが効いている間に、なんとか……!」
 確かに体が軽い。どうやら持続時間は一分もないようだ。そのうちにどれだけ蟹たちを倒し、距離を広げられるかーー
リンカ「嘘でしょぉっ!」
 リンカが叫んだ。羽の生えたような俺たちの速度に、地獄の鋏は追いつけはしないまでも、ぴったりと追随してくる!
 なんて速度だ! 見てくれ通りの化け物かよ!
 目の前には軍隊ガニの大群!
ケンゴ「退けぇええええええっ!」
 彎刀の一振りで鋏を切り飛ばしていく。そのたびに全身に負荷がかかり、手首が尋常でない痛みに苛まれる。そんなものに構ってる暇はないというのに。

166 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/18(土) 12:28:22.18 ID:SBjuN94j0
ホリィ「エドさん!」
 エドが追いつかれようとしていた。大きく振りかぶられた鋏。子供一人と同じ大きさのそれは、想像するまでもなく、恐ろしい破壊力を有しているに違いない。
 速度の乗った一撃をエドは寸でで防御する。ただし防御など殆ど意味がなく、鎧の左半分のパーツを粉々に砕かれながら、エドはそのまま地面を転がっていく。
ケンゴ「エド!」
ホリィ「よくもエドさんを!」
 ホリィが風の塊を叩きつけるが、甲殻の前では依然無意味だった。寧ろそれは火に油を注ぐだけの行為にも見えた。
 ぎろり。地獄の鋏の瞳が、今度はホリィを捉える。
リンカ「ヒャド! ヒャド! ヒャド! ーーくっ」
 氷塊を受けて地獄の蟹の体が僅かに揺らぐが、ダメージを受けたようには見えない。わずか数秒の時間稼ぎにしか。

167 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/18(土) 12:28:53.00 ID:SBjuN94j0
 その間に俺は切迫していた。脚へと足をかけて、三角跳びの要領で、勢いよく宙へと飛び出す。
 いくら甲殻類でも!
ケンゴ「関節と、眼くらいは!」
 彎刀を思い切り地獄の鋏の眼窩に突き刺してやる。地獄の鋏は醜悪な声を上げながらのた打ち回り、脚と言わず鋏と言わず、あたりかまわず振り回す。
 木や草が砕け、折れ、倒れていく。
 俺はといえば腕頭につかまって振り落とされないようにしているのだけで精いっぱいだった。だいぶ深くまで突き刺したと思ったけど、全然力が弱くもならないでやんの!
ケンゴ「くそっ!」
 暴れた鋏が、体勢を崩したリンカへ向かっていくのを、俺は見た。
 血の気が引く。飛びおりて、鋏を切るか? ーーいや、できるなら初めからやっているって!
 エドが地を蹴る。しかし、上から見ている俺にはわかる。間に合わない。
 間に合わない。

168 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/18(土) 12:29:28.99 ID:SBjuN94j0
 間に合わない。
 嘘だろ。
 誰か、
 誰か、
 助けてくれよぉ!
「呼んだか」
 声が聞こえた。陰鬱とした、感情の希薄な声だった。
 一人の男がリンカのそばに立っていてーー鋏を、素手で
 素手で?
 止めている?

169 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/18(土) 12:29:59.90 ID:SBjuN94j0
「この辺に、こいつが出るのか」
「……俺のせい、か」
 ぶつぶつ呟いて、僅かに腰を落とし、右拳を握る男。
 俺は男の次の行動がわかった。わからいでか。握った拳をどうするかなんてことは、子供だってわかることだ。
 だから、急いで彎刀を引き抜いて、蟹の甲殻を蹴りながら空中に逃げる。なるべく蟹から離れなければ、と。
 男は、そうしてそれを、地獄の鋏に叩きつけた。
 全ては一瞬だった。一瞬というよりは、あっという間というか、あまりにも単純なものだった。
 拳で殴る。蟹が吹き飛んで、砕けて、死ぬ。
 それだけ。
 「それだけ」なんて言葉で済ませていい事象でないのはわかっている。そんなレベルのできごとではない。俺たちとは住む世界が違う強さの世界を目の当たりにして、けれど俺は、住む世界が違うゆえに、それを表現できる語彙を有していないのだ。
リンカ「あ、あの」
 俺と同様に言葉を失っているリンカが、男に声をかける。
リンカ「あなたは、一体……」
 お礼よりも驚愕が口を突くのは確かに自然なことだった。俺だって、礼よりも何よりも、それが気になってしょうがないのだ。
 男は逡巡の間をおいて、視線を逸らしながら答えた。
「アルス・ブレイバと言う」
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173 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/24(金) 23:30:15.30 ID:Rwr0Gpnq0
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エド「アルス・ブレイバ?」
 怪訝な顔をしてエドが尋ねる。
エド「それもしかして、『あの』アルス・ブレイバか?」
アルス「……俺は寡聞にして、俺以外のアルス・ブレイバを知らん」
エド「失礼した。俺はこれでも元軍人で、一度聞いたことがある。先の大戦の際に活躍した小隊……遊軍、そのリーダーの名前を」
アルス「さぁな。人違いだろう」
 あっさりと答えて、しかしそれがあまりにもあっさりしすぎていたから、俺は逆に不思議に思った。この反応があまりにも厭世的すぎるんじゃないかと。
 立ち上がろうとするアルスへと慌ててホリィが声をかける。
ホリィ「ちょ、ちょっと待ってください! この森は、なんか、変です! 危険ですよ!」
アルス「大丈夫だ」
 確かにあれだけの強さがあれば危険なことなど皆無に違いない。それでも放っておけないのはホリィの仁徳だ。

174 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/24(金) 23:30:57.98 ID:Rwr0Gpnq0
ホリィ「待ってください!」
 あまりにホリィが引き止めるものだから、アルスは浮かせた腰を石の上に戻し、溜息をついた。
アルス「なんだ。なんなんだ、お前は」
ホリィ「……特に、なんていうことはないんですけど、その……」
 そして、だんまり。
 居心地の悪い空気が場を支配し、そのまま数秒が経過した。誰かが口を開かねばならないのはわかっているけれど、いざそうするには勇気が足らない。
 そしてその静寂を破ったのは、やっとこ続きを口に出せたホリィ自身だった。
ホリィ「あ、あっ、そうです。とりあえず近くの町まで一緒に行きましょう! ね!」
 別に俺たちの護衛を頼みたいだとか、きっとそういう打算的なもろもろはないのだと確信できる。ホリィがそういう駆け引きや機微と言ったものを捉えるのが不得手なことは一目でわかる。
 恐らくアルスもそれは一瞬で分かったはずで、だからこそ顔を顰めて首をかしげた。何を言っているんだ、というふうに。

175 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/24(金) 23:31:36.30 ID:Rwr0Gpnq0
アルス「近くの、町?」
ホリィ「そ、そうです! 多分あと数時間も歩けば森を抜けられるはずでーー」
アルス「あぁ」
 合点のいった顔をアルスがする。
アルス「お前ら、わかってなかったのか」
 嘆息。
 俺たち四人はアルスの言うことが何一つわからず、きょとんと顔を見合わせるばかり。しかしそうしていたって答えが落ちてくるはずもなくて。
 そんな俺たちを見て、アルスはもう一度嘆息した。
アルス「ここは惑いの森だ」
ケンゴ「迷いの森?」
アルス「『惑い』だ」
 訂正を入れて、続ける。

176 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/24(金) 23:32:21.70 ID:Rwr0Gpnq0
アルス「字面は似ているが中身はまるきりの別物だ。惑いの森は、迷わせるんじゃない。惑いを持った人間をおびき寄せ……喰う」
リンカ「喰う、って、どういうことですか」
アルス「そのままの意味だ。この森の養分にするのさ。魔物はうようよしている。出口を見つけるのは至難の業だ。行き倒れになって、分解されて、栄養になる」
アルス「森自体が何かするわけではない。ただ、森自体が一つの生き物なんだろうな。一種の魔法的素地をもった」
 俺はいまだにアルスの言ったことの重大さを理解しかねていた。
 恐らく、ある種の魔法的に隔離された空間に、俺たちは迷い込んでしまった。出る方法はわからない。が、とにかく、この森自体が俺たちの命を直接的にではないにせよ奪おうとしているのは確からしい。
 その事実を理解してなお俺が重大さを理解しかねているのは、同じく巻き込まれたアルス自身が、まったく慌てていないということだ。
 だから俺はこう思う。もしかしたら彼は脱出方法を知っているのではないのか、と。
アルス「四人パーティ全員が、か。因果めいたものを感じるな……」
 アルスがぼそりと呟いた。

177 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/24(金) 23:32:51.05 ID:Rwr0Gpnq0
 惑い。アルス曰く、この森は惑いを抱えた人間しか取って食わない。それはつまり俺たち四人ーーアルスも含めて五人ーーに、人知れず惑いがあるということだ。
 そこまで考えて立ち尽くした。俺が抱く惑いとは一体何か。
 そう。俺には惑いの自覚がないのだ。
 エドも、ホリィも、リンカも、あるいは思当たる節があるのか、視線を下に向けている。だが、俺は?
 アルスは今度こそ立ち上がった。ホリィの制止を喰わないように、さっと踵を返して、
アルス「じゃあ、俺は行く」
ホリィ「待ってください!」
アルス「しつこいな! なんだってんだ!」
ホリィ「アルスさん、あなた、その、し、死ぬ、おつもりでしょう!?」
アルス「     」
 気が付けば彎刀を抜いていた。
 それは図らずとも、エドやリンカも同様であった。ホリィを守るように、三人、アルスに対峙する。

178 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/24(金) 23:33:22.08 ID:Rwr0Gpnq0
 汗がぽたりと手の甲に落ちる。
 目の前の青年、アルス・ブレイバは、空虚な表情で俺たちを見つめていた。ただ口だけが小さく動いている。声にこそ出ていないが……なんだ? 「心が」?
 ……「心が読めているのか?」?
 一体どれくらいそうしていただろうか。張り詰める空気と緊張で瞬きすらも許されず、ついに涙が眦にたまってきたころ、ようやくアルスへと表情が戻ってくる。
 肩を僅かに竦めて、
アルス「何を言っているんだか」
 鼻で笑ってそのまま歩いていく。しかしホリィは追撃の手を休めない。まるでそれこそが役目であるかのように、走って、走って、前へと。
アルス「……退けろ」
 低い声。地獄の鋏を一蹴して見せた膂力を用いれば、ホリィなど容易く蹴散らすことができるはずだ。それをあえてしないのは彼なりの自制なのかもしれない。
ホリィ「い、いやです!」

179 : ◆yufVJNsZ3s :2013/05/24(金) 23:33:50.07 ID:Rwr0Gpnq0
 ホリィは退かない。弱気なくせに、ここ一番では誰よりも頑固なのだということを、俺はなんとなく知っている。
 リンカが普段からホリィを庇うようにするのは、こうなったホリィを表に出さないようにするためでもあった。
 拳を握りしめるアルス。不穏な気配が漂うが、エドやリンカと目配せして、まだ大丈夫だと合図を送りあう。
アルス「いいか、これはお前らのためを言っているんだ。俺から離れろ。お前ら、死ぬぞ」
アルス「俺は追っ手がいる。追っ手は惑いとは無縁の二人だ。この森には入ってこれないだろう」
アルス「けど、あいつらはどんな方法だってとる。お前らが巻き添えになる可能性は十分にある」
 アルスの言うことの意味を俺たちは理解できなかった。しかし、彼がナルシシズムでそう言っているのではないことは確かだった。本心からの忠告だ。嘗て酒場で名も知らぬ戦士が俺にしてくれたような。
ホリィ「い、いやです!」
 ついにアルスの手がぴくりと動いた。俺たちは反射的に二人の間に割って入る。