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勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」
Part39

勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」 2スレ目
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2 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:41:00.94 ID:3mmpyc380
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 アルプが死んだ。
 彼女の首を刎ねた兵士の視界は共有されている。それを通して、わしには光景が見える。
 全ての兵士はわしと魔術的に感覚を共有していた。流れ込む膨大な情報に神経が焼かれている。倒れないのが不思議なくらいの明滅が常に脳内で繰り広げられている。
 そして、兵士たちもわしの感覚を、思考を、共有している。彼らは全ての情報を知っていた。なぜこのようなことになっているのか。世界がいまどのような状況になっているのか。
 彼らが戦うのは決してわしのためではない。この呪文はあくまで蘇生、召喚の類であって、操作ではないのだ。それがルニとの最大の違いである。
 彼らは現状を知って、そして自らの意志で戦っている。人間には計り知れない、人間とは相容れない存在を打倒するために。

3 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:41:28.03 ID:3mmpyc380
クレイア「し、しょう」
 倒れ伏している弟子が呟いた。最早彼女の眼は見えていない。重力に逆らう体力もない。いつ死んでもおかしくないのに、依然として小康を保っているのは、ひとえに気力のおかげだろう。
 彼女が死ねばこの空間は解ける。この空間が解ければ、蘇生も意味をなさない。
 何もかもを擲って、明日の命もいらないと、クレイアは陣地を構築し続けている。
グローテ「アルプは死んだーー!?」
 言いかけて、眼を見張る。
 光の柱が屹立していた。
 ちょうどアルプが死んだ場所、そっくりそのままである。
 
 ぞわりと脳髄に手が伸ばされかけて、すんでのところで精神共有を打ち切った。
 思わず体を半歩引いてしまう。
 伸ばされかけた手、つながった精神を介して迫ってきた精神汚染の残滓が脳にくすぶっている。動悸が治まらない。よくわからなかったが、それでもわかった。あれはアルプの置き土産だ。
 兵士たちが倒れ伏していくのが数字で分かる。どれだけの数が召喚され、死んで召還されたのか、こればかりは精神を共有していなくてもわかるのだ。
 一一〇〇、一〇五〇、九五〇……まだ、減る!

4 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:42:11.65 ID:3mmpyc380
グローテ「ルニ。ゴダイ。無事か」
 魔術を介して通信する。精神を感応させるのは、流石に恐ろしかった。
ルニ『五体満足であることを無事というなら』
ゴダイ『単刀直入に言う。蝶が飛んでる』
グローテ「蝶?」
ゴダイ『あぁ。そいつが体に止まると発狂して死ぬ。どうしようもねぇな、ありゃ』
ルニ『もう半分くらいが死にましたね。僕の操作も、利きません』
 蚊柱ならぬ蝶柱、か。
 やはり速攻をかけるしかない。時間が経てば明らかに不利だ。わし自身の直観と経験もそう言っているし、何よりルニとゴダイがそういうのでは、信頼性が段違い。
ゴダイ『俺とルニが先頭切って突っ込んでく。ばあさんはサポートを頼んだ。もう後衛はあてにならん』
ルニ『そういう言い方は、ちょっと傷つくんじゃあ、ないですかね』
ゴダイ『そんな余裕も、ねぇぞ!』
ルニ『九尾です』
 短く二人が言って、通信が切断された。

5 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:42:37.29 ID:3mmpyc380
 なるほど、遠くでひときわ大きく炎のあがっている地点がある。光が走り、爆発が起こり、火炎が立ち上る。その繰り返し。
 全部で何度そうなったろうか。十回? 二十回? そうしている間にもカウントはどんどん減っていく。七五〇。七三〇。七〇〇!
 焦燥を感じた。このまま九尾が殺せないかもしれないーーというのではない。
 仲間を強敵に突っ込ませたうえで、自らは後ろで見ているだけのこの立ち位置に、だ。
 つまるところわしは指揮官向きではないし、何より魔法使いにすらも向いていないのだと思う。腰を落ち着かせ、気持ちを殺すことが、どうにも不得手だ。それは孫にも受け継がれているように思う。
 爪を噛んだ。異常に長い人差し指の爪。それはまじないだ。人を効率的に殺すための。
 ガンド。指をさして人を殺す、まじない。それを象った人差し指の爪。
 かりかり、かりかり。爪と歯が音を立てる。
 落ち着かない。
 叫び声が聞こえた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
 九尾だ。
 空高く力場を踏みしめ、兵士を握り潰し、燃やし、切り刻みながら、咆哮している。

6 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:43:17.21 ID:3mmpyc380
九尾「ろう、ろぶあ、あああああぁっ! ろっ、ろうびゃ、老婆! 貴様!」
九尾「アルプを、アルプをアルプを、あいつを! よくもあいつを!」
九尾「あいつを殺していいのは九尾だけであったのだ!」
 空気を蹴って突っ込んでくる。羽も生やさずに空を飛ぶなど、まるで化け物だ。いや、事実化け物なのだからしょうがないと言えばそれまでだが。
ルニ「させっ、」
ゴダイ「ねぇよっ!?」
 二人が足に縋り付く。途端に射出される火炎弾を、ゴダイの彎刀が間一髪で切り裂いた。
 ルニが力場を形成、二人はそれを蹴って九尾へと躍り掛かる。
九尾「ぬるいわ下種が!」
 真空の刃が、九尾の足を掴んでいた二人の腕を切断した。
ゴダイ「てめぇに言われたかねぇなああああああ!」
 咄嗟にゴダイが九尾の腹へと彎刀を突き刺した。飛び散る血液。九尾は一瞬顔を顰めるが、腹筋に力を入れて刃を砕いて見せる。
 大きく息を吸い込んで、刀の破片を口から吹き出した。

7 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:43:51.53 ID:3mmpyc380
 くぐもった声。地上の兵士たちが頭蓋を撃ち抜かれて即死している。
 九尾の肌には、すでに傷すらない。
ルニ「死ね、下種」
 黒い、魔法的な神経節が、二人の腕を修復している。その腕はいまだ九尾の足へとすがりついていて。
ルニ「この拳と!」
ゴダイ「この刀で!」
九尾「くたばれ虫けら!」
 暴走した魔力が爆発を起こす!
 世界に魔力の光が満ちる。
 炭化していく二人。千切れた肉片に伸びる黒い神経節すらも瞬く間に炭化して、けれど二人は追撃の手を休めない。
 一歩進むごとに一歩分体が炭となろうとも!
老婆「も」
 ういい、やめろ。喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。わしがそんなんでどうするのだ。駒をいつくしんで、どうするのだ。なにがしたいのだ。わしは。
 わしは。

8 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:44:20.95 ID:3mmpyc380
 世界を救う。世界を救いたい。世界を救いたかった。
 でも、わしにはそんな力はなくて、だからアルスに夢を見た。希望を抱いた。
 彼のできなかったことが、こんな自分にできるだろうか? 答えは否。それでも、やらなければいけない。義務だ。
 彼は、アルスは、決して諦めなかった。だからわしも諦めない。
 唯一、アルスが目的のために手段を選んだのに対して、わしは手段を選ばないというだけ。
 誰かを不幸にしたとしても、誰かを救えれば。
 死者を再度殺して、国を救えれば。
 アルプの体にルニの手がかかるーー炭となった手が形を崩す。
 ゴダイの彎刀はすでに溶けてなくなった。彼はせめてもの特攻として歯をむき出しにし、九尾の毛に覆われた耳を狙う。
 どちらも九尾には効果がない。九尾の制空権は依然九尾のものだった。

9 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:44:47.03 ID:3mmpyc380
 腕の一振りで、ついに二人が地面へと落下していく。
 カウントが二つ減った。
 じゃが、これでいいんだろう!? 二人とも!
 力場の形成ーー形成ーー形成! また形成!
 頭が痛い! 割れる! 体液が沸騰する!
 皮膚の内側に引きずり込まれる!
グローテ(保ってくれ、この老体よっ!)
 階段状の、不可視の力場。
 九尾へと至る勝利の階段。
 そこを駆け上る、残り六九三人。
グローテ「頼んだっ……」
コバ「全軍ッ、かかれぇえええええっ!」
 不可視の階段を駆け上って、全員、九尾の命を狙いにいく。
 前衛も、後衛も。みなが一様に。

10 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:45:13.48 ID:3mmpyc380
 九尾とは直線距離にして40メートルを切っている。二人との戦闘、そしてマダンテに意識を集中していた九尾は、そこまでの接敵を許してしまった。
 願わくばそれが敗因となることをっ!
ポルパ「ビュウッ!」
ビュウ「おうともっ!」
 ポルパラピム・サングーストとビュウ・コルビサが真っ先に九尾へと突っ込んでいく。二人の得物は剣。九尾の放つ火球を弾き、もしくは後衛の補助呪文に任せ、一気に切りかかる。
九尾「遅い遅い遅い遅い遅いぞ雑魚どもめ!」
 九尾の姿が消える。
 空間転移の先は二人の真上。ぎらりと光る、身体強化されたその爪の硬度は、鉄すらもたやすく引き裂く。
 振り下ろされる。

11 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:46:13.62 ID:3mmpyc380
 槍が投擲された。
 反射的に九尾はそちらを迎撃、空中で体勢を崩したところを火炎弾の驟雨が襲う。
 障壁で大したダメージは与えられなかったが、その隙をついてポルパとビュウは九尾の左手首を切り落とす。
 やはり真っ赤な血液が噴いた。
ルドッカ「突っ込み過ぎでしょ、馬鹿!」
 ルドッカ・ガイマンが叫ぶ。その間にも兵士たちは九尾へと剣を、槍を、儀仗を突き出していく。
九尾「イオナズン! イオナズン! イオナズン! ベホマ!」
 数度の爆裂の後、九尾の出血が治まる。しかし手首が再生することはない。それはすでに治癒の範囲を超えている。
 今の爆裂で十三人が死んだ。残り六八〇人。

12 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:46:56.67 ID:3mmpyc380
九尾「くそ、人間のくせに、わらわらわらわらっ! 蟻なら蟻らしく地べたを這いつくばっていればいいものを!」
ハーバンマーン「狙えぇっ……撃てぇっ!」
 ハーバンマーン・ホンクの号令とともに、儀仗兵が一斉にマヒャドを唱えた。城一つほどの氷塊が空中に生まれ、鋭利な破片に破砕しながら吹雪となって九尾を襲う。
 九尾は咄嗟にフバーハを張るが、反面肉弾までの対処が遅れた。向けられる幾本もの刃をぎりぎりで回避するものの、兵士たちを割って突進してきた騎馬ーーコバの長槍を止めることはできない。
 九尾の腹を長槍が突く。
 ごぶり、と九尾が血を吐いた。
九尾「ーーーー」
 おおよそ聞き取れない呪詛も、吐いた。

13 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:47:25.65 ID:3mmpyc380
ジャライバ「緊急術式起動ーー!」
 ジャライバ・ムチンの反応は早かった。号令とともに、幾度も繰り返された動きなのだろう、部隊の全員が懐から符を取り出して、それを一息に破る。
 防御障壁を閉じ込めた、詠唱破棄の符だ。
 暴走した魔力が爆発を起こす!
 光。
 莫大な魔力の放出。コンマの差で生成された障壁一一四人分が瞬時に溶かされ、兵士のカウントが一気に三ケタ減る。
 残り五二九人。
 おかしかった。なぜ九尾はマダンテを連続で放てるのか。魔力を回復する隙などないはずだし、ここはわしらの空間で、魔力を分解吸収などの芸当はできないはずだった。
クレイア「魔力源、わかり、ます」
 それまで倒れ伏していたクレイアが、震える指で九尾を指さした。
クレイア「尻尾、です。九尾。最初は、六本、でした。あの、塔で、会ったとき」
クレイア「今は、四……よん、ほん。二本減って……マダンテで減った分、補って、だから……」

14 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:47:53.87 ID:3mmpyc380
 つまり、最大であと四発のマダンテがやってくる。
 そして、それに耐えれば勝てる。
 ……勝てる?
 マダンテに、耐えられる?
 そんなことは有り得なかった。儀仗兵が緊急時用の防御障壁を総動員したうえで、百人以上が死んだあの威力を、あと四発。それはあまりにも、あまりにも現実的ではない。
 しかも次弾以降を防ぐ術はないのだ。至近距離での魔力の波動を軽減する術は彼らには備わっていない。頼れるのは数だけで、それも今や……。
 頭を振った。冷静に、冷徹に、それは当然求められるものであるが、それが諦めに繋がっては元も子もない。どうせ逃げる先もないのだから。
 九尾もーー今や四尾であるがーー全てを消費したくはないだろう。そして、魔力は何もマダンテだけに使用するわけではない。それを考えれば、マダンテは使えてもあと一発か、無理して二発。
 イオナズン、メラゾーマといった高等魔法も、早々連打はできないはずだ。それが唯一の希望であった。いくら九尾でも、ここまでの多勢を相手に、生身で挑むなど想像していなかったに違いない。
 超長期戦にもつれ込んだ現状は、こちらに利がある。危うい、僅かな利であるが、確かに。

15 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:48:22.93 ID:3mmpyc380
 ……要は、わしとクレイアがくたばらなければいいだけの話。
 我慢の先にある勝利が、微かにだが、見えてきたではないか。
ハーバンマーン「ジャライバ、メラゾーマの連打だ! 少しでも削るぞ!」
ジャライバ「俺に指図をするな! グローテ様の思念は、こちらにも届いている!」
 火炎弾が飛んだ。まるで流星群のように輝き、偽りの空を染め上げるそれは、確かにまっすぐ九尾へと向かっていく。
 あわせて歩兵団も突撃。メラゾーマの被害を気にすることなく、恐れも無理やり踏みつけて前へ、前へと。
 障壁を張る魔力も惜しいとばかりに、九尾は数多の火球を拳で打ち砕き、残った片腕で兵士たちの相手をする。無論それまで通りとはいかない。さすがに身体強化の呪文もその効果が薄れてきたようだ。動きが眼に見えて鈍い。
 そして、歴戦の強者たちは、その鈍さを見逃さない。
 あくまで戦争。狡賢く利用する。
ポルパ「ビュウ! 生きてるか!」
ビュウ「おうとも、相棒!」
 至近距離にいた二人は、運よくマダンテからの致命傷を逃れることができた。とはいえその体はぼろぼろで、剣も根元から折れ曲がっている。
 しかし武器だけはごまんとある。彼らの足元には仲間の死体が転がっているのだ。
 それを手に取り、走る。

16 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:48:57.45 ID:3mmpyc380
 目の前で戦っていた兵士が顔面を焼かれて倒れた。その背後から二人は二手に分かれ、満足に動かない体を何とか動かしながら、九尾を背後から切りつける。
 九尾の反応はいまだ十分に早いが、当初の神速からは程遠かった。剣ごとビュウの右腕を切断しーーポルパのほうまでは文字通り手が回らない。体勢を逸らしてなんとか回避した。
 ビュウの呻き声。一瞬ポルパがそれに気を取られた隙に、一歩九尾は後ろへ跳んだ。
 火炎弾が降り注ぐ。
九尾「ちぃっ!」
 マヒャドをぶつけて相殺させる。炎と氷がぶつかりあって、大量の蒸気が生み出された。
 その霧を切り裂いて、兵士たちの雪崩。
九尾「退けろ!」
 メラゾーマ。それは前方数十人をまとめてなぎ倒すが、兵士は前方だけではない。左右、背後からもまた迫る。

17 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:49:44.44 ID:3mmpyc380
 九尾は上空へと逃げた。そこへ槍がまたも投擲され、九尾の脇腹を掠ってゆく。
 バランスを崩した九尾へと、またもメラゾーマの雨。仕方がなしに障壁を唱えながら、足元にいったん力場を生み出し、緊急回避的に集団から距離を取る。
九尾「行きつく暇もーー」
コバ「与えない!」
 九尾の言葉を遮ったのは、コバ。助走をつけて大きく騎馬が跳び、退避よりも早く追いすがる。
 九尾が転移魔法を起動する。しかし、遅い。それよりも熟練の槍技が、僅かに上回っている。
 狙うは顔面。そこを潰されては、いかに魔物と言えど、四天王と言えど、生きてられまい。
九尾「しゃあらくさいぞっ!」
 爆発的に膨れ上がる魔力の波動。
 二回目のマダンテ。
 光にコバが、また後ろに控えていた数多の兵士が飲み込まれ、消失していく。
 その数、三八一人。
 残り一四八!

18 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:50:16.16 ID:3mmpyc380
ビュウ「右手はなくても左手があるっ!」
 誰も彼もが倒れ伏した中で、唯一彼だけが走っていた。
 力場を大きく踏みしめて、左手で剣を持って。
九尾「な、なにを、貴様、なぜ!」
ビュウ「知るか! 俺を守って死んだダチ公に聞いてくれや!」
 彼の背後には、倒れているポルパラピム・サングーストの姿を確認できる。ぼろぼろで、一瞬誰だかわからないほどに、焼かれていた。
 ただ、彼の死に顔はとても満足そうで……。
 ビュウが剣を振り下ろす。
 利き手ではない。体力もない。そんな状態での攻撃は、あまりにも鈍重。しかし、条件は九尾も似たようなものだった。マダンテの反動からいまだ脱していない彼女は、その剣の軌道を見ていることしかできない。
 普段ならば無論そんなことはないのだろう。しかし、塔での戦闘、そしてここに来ての戦闘と、彼女は戦いっぱなしだ。相当に疲弊している。

19 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:50:46.89 ID:3mmpyc380
 肩口に剣が食い込んで、腕を切断することはなかったが、確かに乳房まで傷が達した。
 九尾がぐらつくーー踏みとどまる。
 ビュウの頭から上を吹き飛ばして、頭部を齧った。
九尾「に、にっ、人間の、分際でぇっ! よくも、ここまでぇ……やってくれたな!」
九尾「見たところ、残り、二百人は、切ったな。ふ、ふはは、もうそろそろ終わりに、しようじゃあないか!」
クレイア「だめですっ! アルスさん!」
 唐突な叫びが戦場を劈いた。
「……」
 無言である。
 誰も彼もが、無言である。
 九尾も、兵士たちも、わしも。
 クレイアだけが忘我の表情で、さっきまでの疲弊はどこへやら、虚空を真っ直ぐに見つけている。

20 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:51:14.79 ID:3mmpyc380
 しかし、今、なんて言った?
 アルス、と。
 この弟子は言ったのか?
クレイア「……」
 たっぷり数秒、もしかしたら十数秒の間を開けて、クレイアは呟いた。
クレイア「アルスさんが、次元の狭間を破って……現世に戻りました」
グローテ「!」
 二つの意味で信じられなかった。
 一つは、次元の狭間を破るということ。あれはそもそも空間転移の応用、基礎理論の発展途中に見つかったバグを利用する形でーーいや、やめよう。ともかく、物理的にも魔術的にも隔離された空間から、逃げ出すなんて。
 そしてもう一つは、あの状態のアルスが現世に戻れば、どのような被害を齎すか。

21 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:51:40.73 ID:3mmpyc380
 わかったものではない。あぁそうだ。わかったものではないからこそなお恐ろしいのだ。何がどうなるのかわかっていれば対処の仕様もあるものを。
 ……魔王と化したあやつ相手に、本当に対処の仕様があるかは、甚だ疑問であったが。
 九尾は力場に直立したまま、ふん、と鼻を鳴らした。
九尾「よっぽどだな、あのバカは。魔王の力を好き勝手に使っているように見える」
グローテ「それを与えたのは、お前じゃろ」
九尾「その通り、だ。ふん。……ちっ」
 九尾は両手を合わせた。その間から、限りなく明るい光の珠が生まれていた。
九尾「まぁ、いい。お前らを殺して、現世に戻ると、しようか。ジゴスパークで、全員、死ぬがいいさ」
 息も絶え絶えではあるが、高等呪文を唱える程度の余裕はあるらしかった。反面こちらは頼みの綱である数にすら、最早頼れるほどではない。

22 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:52:22.25 ID:3mmpyc380
 しかし不思議と絶望はなかった。なぜなら、九尾が戦闘態勢に入っても、まだ兵士たちは戦闘態勢に入っていなかったからだ。
 生き残った兵士総勢一四八名は、全員がわしのほうを見ていた。九尾などには目もくれず。
 おかしな話であった。本来戦闘を放棄するはずもない彼らが、戦わないのだ。しかも臨戦状態に入った九尾を目の前にしても。
 だが、それが意味することを、わしは理解している。
 彼らは国のために戦っている。九尾を倒すためではない。それは過程であって、結果ではないのだ。
 だから彼らは戦わない。九尾を倒すことは、既に過程ではなくなった。
 国のため。世界のため。今重要なのは、九尾を倒すことではなく……。

23 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:52:51.18 ID:3mmpyc380
 笑いが零れる。涙が零れる。
 あぁ、眼が、頬が、頭が、熱い!
 彼らは九尾よりもアルスを敵と見做したのだ!
 世界の秩序を乱す存在だと!

24 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:53:23.57 ID:3mmpyc380
グローテ「九尾」
九尾「……今更命が惜しくなったか? 土下座でもすれば、考えてやらんでもない。こう見えて、九尾は結構、心が広い、ぞ、げほっ、げほっ!」
 咽て血を吐く九尾。口の中の血を吐き捨て、口元を拭ってから、続ける。
九尾「それとも、なんだ。部下に裏切られたか?」
グローテ「わしと一緒にアルスを殺そう」

25 : ◆yufVJNsZ3s :2013/03/20(水) 01:53:49.50 ID:3mmpyc380
九尾「……は?」
グローテ「世界の秩序を乱す輩を、国に危機を齎す輩を、わしらは常に排除してきた。その業から、最早逃れられない」
九尾「……」
 九尾は思案しているようで、もしくは疑っているのか、言葉を拙速で紬ぎはしなかった。
 ジゴスパークを握り潰し、訝しむ目でこちらを見てくる。
九尾「その申し出に、九尾が乗るメリットがない」
グローテ「アルスを放置すればお前の食料が減る。それは、お前にとっても都合が、悪かろ?」
 一瞬だけ意識が跳んだ。だめだ。もう少しだけ、あと五分でいいから持ってくれ、この体よ。
九尾「そのことにメリットがないと、言っている。九尾一人でも、勇者を」
グローテ「殺せるのか? 本当に?」
 九尾の頭部、狐の耳がピクリと動いた。