2chまとめサイトモバイル
勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」
Part28


665 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/01(土) 23:18:27.27 ID:9US10Z/s0
 遠方から飛んできた火炎弾を少女が壁となって吹き飛ばした。
 煤のついた顔を拭って、少女は「はん」と鼻を鳴らす。
少女「アンタ、なまってんじゃないのっ! ーーっ!?」
 新たな抉れが少女に現れる。脇腹に、拳大のものが。
 少女は思わず膝をついた。
少女(くっ……忘れてたっ! しかもだんだん大きくなってる!?)
 そうしている間にも抉れの進行は止まらない。太ももと胸部に同程度のものが二つ、新しく現れる。
少女(どういうことよっ!)
勇者「大丈夫か!」
少女「わかんないわよ!」
 そして、抉れがまた一つ。

666 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/01(土) 23:19:03.20 ID:9US10Z/s0
 二人の隙間を風が通り過ぎる。
 狩人の放った矢が、たった今二人に襲いかかろうとしていた兵士の顔面に突き刺さった。兵士は勢い余って二人に倒れこむ。
 さらにその後ろから十人ほどの兵士がやってくるのが見えた。どれだけ控えているのか想像もつかない。
 しかし逃げることはできなかった。友軍は聖騎士には勝てないだろう。ここで食い止めなければ不利な状態になるのは火を見るよりも明らかだ。
 しかも……。
狩人「もう一人、来る」
 二刀を携えた銀色が、森の奥からやってきた。彼が一歩歩くたびに兵士は横に避け、さながら海を割る預言者のような光景に、四人は途方もない圧を感じずにはいられない。
 聖騎士ーーしかも段違いな強さを持つ。
老婆「あいつ、見たことがある。聖騎士団の……団長だ」
 老婆がぼそりと呟いた。
 聖騎士団の団長。その言葉が意味するところを分からない勇者たちでは無論なかった。寧ろ、聖騎士団の団長クラスが出陣するほど、この戦場に意味があることのほうが驚愕の種でもあった。
 銀色に隙はない。一歩一歩距離を詰められるたびに、勇者は一歩一歩後ろに下がりたくなる気持ちすらしている。
狩人「やるしか、ない」
 狩人は矢を番えた。殺さずに済まそうなどと虫のよいことは言っていられなかった。

667 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/01(土) 23:21:54.26 ID:9US10Z/s0
 放つ。
「無駄だ」
 声が狩人の背後から聞こえてくる。
狩人「ーーッ!?」
 思わず反転ーーした先に、二刀のきらめきが眼を穿つ。
 反応できなかったのは狩人ばかりではない。少女も、勇者も、老婆も、誰もその速度に追いつくことはできていなかった。
 勇者が飛ぶ。
 刃はそのまま勇者の左腕を断ち切って、狩人の肩へと食い込む。噴き出る血液。二人は声を押し殺しつつ、体勢を立て直す。
 横からミョルニルが迫る。その勢いに僅かに驚きの反応を示した聖騎士だったが、一拍遅れて、今度は老婆の後ろに姿を現していた。
少女「速い!?」
勇者「っていう次元じゃないぞ……!」
 刃を動かそうとしたその瞬間、聖騎士が大きく弾かれ、四人との距離が開かれる。
老婆「障壁を展開した。ないよりはマシじゃ」
 それでもジリ貧には変わりない。多勢に無勢。聖騎士団長。呪術の解除すらままならない状況は、前門の虎、後門の狼だけでは窮地が足りない。

668 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/01(土) 23:22:58.53 ID:9US10Z/s0
 白銀の姿が消えた。
 四人の頭上で空気の弾ける音が聞こえ、障壁を無理やりこじ開けて白銀が降ってくる。煌めく二刀を携えて。
 もっとも反応の速かったのは狩人だった。矢を番える暇がないことを即座に察知し、鏃を素早く引き抜いて、振り向きざまに投擲する。
 四つの鏃は二刀によって防がれた。が、狩人はそれでいいのだと思った。
 両脇から勇者と少女が迫る。
 唸りを上げるミョルニルと長剣。しかし聖騎士は二刀を巧みにさばいて、攻撃を受け流す。
勇者(これも無駄かよっ! ……けどっ)
 大きく開いた上体目がけて、老婆が火炎弾を放った。
 突如として現れた火炎弾は、さすがに聖騎士でも回避が間に合わない。着弾、炸裂し、内包されていた大量の熱が拡散する。
 空中で吹き飛ばされたため、聖騎士は受け身も取れずに木に激突した。そのままさらに後方へと転がり、茂みの中に突っ込んでいく。
 周囲の兵士が慌てて四人へと向かう。今まで聖騎士に加勢しなかったのは、単に実力差故、彼らが聖騎士の足手まといにしかならないためだった。
 それぞれが剣を抜いて四人を囲む。その数、二十強。遮蔽物の多い林の中であるため平原よりも人数差の脅威は減るが、だからといって消耗する体力にそれほど差が出るわけでもない。

669 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/01(土) 23:23:27.38 ID:9US10Z/s0
聖騎士「なかなかやるな」
 恐ろしい声が聞こえた。それも勇者の眼前から。
勇者(いつの間にーー!? ノーダメージかよ!)
 既に聖騎士の刀は振るわれていた。限りない速度と鋭さをもって、勇者の首へと迫る。
狩人「くっ!」
 思わず狩人は弓を放り投げた。勇者と聖騎士の間に割って入る形で、弓は刀の進路をふさぐ。
 しかし刃は軌道を変えることすらなく、そのまま金属製の弓を両断する。
 鮮血が散る。
 勇者の胸部が横一文字に切り裂かれた。鎧の上からでもなおその傷は深い。狩人が弓を投げた際の一瞬の反応が聖騎士になければ、刃は勇者を上下に分割していたことだろう。
 体がぐらつきながらも、勇者は両手に雷撃を貯め、聖騎士に放った。白銀の鎧は高い魔法抵抗力を持っているようで、衝撃にたたらを踏みはするものの、昏倒する気配などは微塵もない。
 舌打ちする暇すら与えてくれはしなかった。聖騎士が一歩、踏み出す。
老婆「ここは一旦、引くぞ!」
 ぶつかり合おうとしていた少女と勇者の首根っこを掴み、老婆が転移魔法を起動する。座標の指定も適当に、老婆は慌てて飛んだ。

670 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/01(土) 23:23:53.22 ID:9US10Z/s0
 どさり、と衝撃が尻に来る。景色は依然林の中だったが、周囲に人影は見えない。どうやら距離を取ることはできたようだ。
老婆(これで終わりじゃないんじゃがな)
 そう、これは敗北であった。あの聖騎士たちの進軍をこれ以上許してはならなかったし、逆に彼女らは進軍しなければならなかった。打ち倒す策と、呪術を解除する術を考えなければ。
 が、現実は非情である。勇者は死んではいないものの、胸には大きな傷が刻まれている。脂汗を勇者はぬぐいながら平気そうに笑ってみせているけれど、それが単なる強がりであることは明白。
 狩人もまた、己が愛用していた弓が、勇者を守るためとはいえ破壊されてしまったことに大きなショックを受けているようだった。咄嗟に拾ってきた残骸の一部を握り締めながら微動だにしない。
 少女もまた、黒く抉れた部位がしっくりこないようである。先ほどから何度も手の握りを確認し、膝の屈伸を続けている。
 最早これまでか、という言葉が老婆の脳裏をよぎる。そしてそれを無理やり力技でねじ伏せる。諦めることが真の敗北を生む。死の瞬間まであきらめてはならない。
老婆(とはいってもどうする? どうすればいい?)
 老婆にも、なにもわからなかった。

671 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/01(土) 23:24:22.57 ID:9US10Z/s0
 思わず前後不覚になって、近くにあった石に腰かける。
 なんだか腹部に違和感を覚えて、老婆は無意識にそこに手をやった。
 ぬるり、と。
 短剣が突き刺さっている。
老婆「こっ、これ、はっ!」
 真っ先に反応したのはやはり狩人である。背後に向かって狙いも定めず鏃を乱射、弾く音を頼りにして、ナイフを抜いた。
 振るうよりも先に、二刀が振るわれる。それはナイフの刃を容易く切断して、周囲の木々を数本まとめて切り倒す。
 白銀。
 聖騎士!
少女「なんでーー!」
勇者(異常だ、あまりにも、異常すぎるっ! 人間を超えた速度ッ!)
狩人(弓も、ナイフも、失った。どうする? どうすればいい?)
 反撃を許さず聖騎士の姿が消えた。と思えば、次の瞬間には全くの反対方向から攻撃が降り注ぐ。
 少女がミョルニルで防いでいる間に勇者がカウンターを狙うが、剣は虚しく空を切るばかり。そして聖騎士はまたも全く違う方向から命を狩りに来る。
 速度という次元を超えている速さ。勇者は一つの予感を覚える。
勇者「少女、狩人! 多分、こいつの能力……時間操作だ!」
ーーーーーーーーーーーーーーーー

672 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/01(土) 23:24:49.63 ID:9US10Z/s0
ーーーーーーーーーーーーーーーー
 九尾の部屋に四天王が集まっている。
 九尾は椅子に腰かけ、デュラハンは地べたに腰を下ろし、アルプは胡坐をかいたまま宙に浮き、ウェパルはやる気なさげに壁へ体を預けていた。
九尾「さて、そろそろ佳境だ。ついに九尾も動く」
アルプ「首尾は上々だよー。デュラハンもウェパルも協力してくれるって言ってるし」
デュラハン「ま、そりゃ、ね。もう一度彼女と戦えるっていうおいしい話に飛びつかないわけがない」
ウェパル「……」
アルプ「もー、ウェパルは陰気くさいなぁ」
ウェパル「魔王様の復活なんか、僕にはまるで興味がないんだけど」
アルプ「でも、参加するんでしょ」
九尾「あぁ、そうだ。九尾はそれに対して礼を言わねばならない」
ウェパル「やめて、やめてよ。僕じゃなきゃだめだってんなら、別にいいよ。僕だけのことでもないんだし、ましてや四天王だけのことでもね」

673 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/01(土) 23:26:32.05 ID:9US10Z/s0
デュラハン「そんなぐちぐち考えて面倒くさくないのか?」
アルプ「本当にねー」
ウェパル「きみたちは特別でしょ」
九尾「いったん話を戻してもいいか」
九尾「タイミングは九尾が教える。してもらう仕事は先ほど教えたとおりだが、やりたいようにやってくれ」
ウェパル「もし、失敗した場合は?」
九尾「そんなことはないと信じたいが、そのときは……九尾の見込み違いだったということだ」
アルプ「手加減はしちゃだめなんでしょ」
九尾「無論。全力で、殺しあってくれ」
九尾「勇者の一行と」
ーーーーーーーーーーーーーーー

677 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/09(日) 04:16:04.18 ID:aaH0ifRe0
ーーーーーーーーーーーーーーー
聖騎士「……そのとおりだ。俺の魔法は時間停止」
 訥々と聖騎士は喋りだす。その口調にはどうも抑揚というものがなく、宙に浮いた語りであった。
勇者「自分から、ばらすのか」
聖騎士「どうせお前らに勝つのが目的じゃあないんだ」
勇者「じゃあ、何が?」
 老婆に治療を施す狩人を背後に、勇者は聖騎士に尋ねた。
聖騎士「俺の、過去のために」
 まさか答えが返ってくると思っていなかった勇者は思わず変な顔になる。しかも、それがどうやら軍隊がらみではなく、個人的な事情ならばなおさらだ。
 聖騎士の意図が読み取れなかったのは勇者だけでない。その光景を見ていた誰もが、聖騎士の言葉の意味を理解できない。
 剣を構える勇者。老婆の治療の時間を稼がなくてはならないが、あまり悠長にもしていられない。休んでいても戦争は進むし、呪術もいつ体を蝕むかわからないのだ。
聖騎士「俺には記憶がない。ある日、気が付いたら王城のベッドで横になっていた」

678 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/09(日) 04:16:33.56 ID:aaH0ifRe0
 勇者は跳んだ。聖騎士に言葉をかけたのは大きな間違いだったと、今更ながらにひしひしと感じている。もっと焦るべきだった。聖騎士を一人の人間ではなく、単なる化け物として対峙しておけばよかったのだ。
 近づく勇者に聖騎士は全く動じない。白銀の甲冑の下の表情は窺えないが、訥々と喋る様子から察するに、さほども動揺はないのだろう。
聖騎士「病院にもいった。高名な魔術師にも罹った。それでも、誰も俺の失われた過去を救ってはーー掬いだしてはくれなかった」
 少女も合わせて走り出す。勇者の剣が空を切ったその瞬間に、時間操作の解除地点へミョルニルを叩き込む算段だった。
聖騎士「途方にくれて、一つの光明を得たよ。人間は死ぬ間際に走馬灯を見るっていうだろう? 生死の淵に足をかければ、もしかしたら俺は過去が垣間見えるかもしれない」
 勇者の剣が振り下ろされる。しかし、一瞬前にはそこにいた聖騎士の姿は、いつの間にか掻き消えている。
 時間操作は超を幾つ重ねても足りないほどの高騰魔術だ。努力ではたどり着けない、素養が全ての世界。老婆も、九尾でさえも、それを操ることはできない。
 聖騎士、彼には速度という概念が存在しない。本来連綿と続くはずの時間軸を唯一断絶できる彼は、認識したものからダメージを食らうなど、考えられるはずもない。
 勇者の剣が、やはり空を切る。

679 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/09(日) 04:17:20.03 ID:aaH0ifRe0
 聖騎士は勇者の背後へと姿を現していた。
 しかし、そこまでが少女の読み通りである。
 そこに合わせてミョルニルをすでに振るっている。
少女「ーーっ?」
 少女の視界に銀色が入る。白銀の鎧ではない。もっと、いわゆる銀色然とした銀色が、一つ二つではなく、十数視界の中で煌めいている。
狩人「危ない!」
 四方八方からナイフが少女を狙っていた。
少女「いつの間にっ……!」
 言ってから少女はそれがまったく見当はずれであることに気が付く。時間を止めている間にナイフを投げれば、こんな芸当は他愛もない。いくら少女がまばたきすらも止めていたとしても、である。
 叩き落とすか、差し違えるか。その逡巡が、けれど命とりであった。
 聖騎士の姿が消える。

680 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/09(日) 04:17:47.58 ID:aaH0ifRe0
少女(後ろーーっ!)
 わかっているのに体が動かない。目の前の脅威、ナイフの豪雨に備えてしまっている。
 既に初動は始まっている。ミョルニルを振り、その風圧でナイフを叩き落とすがーー
聖騎士「無駄だ」
 背後から声が聞こえた。
 わかっていた。そこに聖騎士が現れるだろうことを、少女は想定していた。していたが……
少女(間に合わない!)
 それでも振り向く。腕の一本、腹の肉はくれてやる。だから、その命を。
 戦闘不能になるだけの怪我を。
少女「アタシによこせぇえええっ!」
 その刹那、少女の視界の中で火花が弾けた。それが、端からやってきた何かが聖騎士の剣に激突した衝撃であることを、少女は当然理解しているはずもない。それでも確かに体は動く。
 体を捩じりながら、一息で聖騎士の肩口へとミョルニルを叩きつける。

681 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/09(日) 04:18:32.99 ID:aaH0ifRe0
 肉体だけの堅さではなく、鎧だけのそれでもない手応え。恐らくは物理障壁を発生させる魔法が鎧に刻まれているのだろうと少女は思った。
 ミョルニルの一撃は物理障壁を容易く打ち破り、聖騎士をそのまま森の奥へと吹き飛ばした。しかし油断はできない。先ほども彼はすぐに復活し、勇者たちに追いついて見せた。それがまぐれでも偶然でもないと、誰もが思う。
 事実、聖騎士はむくりと起き上がったのだ。
狩人「二人とも!」
少女「おばあちゃんは!?」
狩人「気を失って……血の量はそうでもないけど、あたりどころがあんまりよくない。早めに何とかしないと」
勇者「魔法救護の道具が一つだけある、けど」
 勇者は二人を見た。二人の考えも同じであった。
少女「あいつが許してくれはしない、か」

682 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/09(日) 04:19:13.32 ID:aaH0ifRe0
 がちゃり、と聖騎士の鎧が音を立てる。今回は時を止めて近づいてこない。魔力が切れたわけではないようなので、単調な攻撃が利かない相手であると理解したのだろう。
 勇者は苦し紛れに雷撃を放った。紫電はそのまま、まっすぐに聖騎士へと直撃する。
勇者「避けなかった……?」
 白銀の鎧の魔力抵抗の高さでダメージは微々たるものらしいが、確かに命中した。勇者はてっきりまた時間操作で回避されると思っていたのだ。
 いや。彼は考える。本質的に、雷撃を回避できる人間などいやしない。もし回避できるのだとすれば、それは発動を事前に予測したうえで射線上からずれているだけであって、雷撃が放たれてからでは遅いのだ。
 恐らく聖騎士の時間操作は自動で行われない。誘発しない以上、聖騎士が自ら魔法を使っているのだ。
 であるならば、雷撃は意識よりも早く聖騎士を襲うことができる。ダメージの多寡はともかくとして。
 そう、問題はダメージなのだ。あの鎧を破壊するか、それともより強い雷撃を見舞うか……しかし勇者の雷撃は先ほど放ったもので精いっぱいである。あれ以上の威力は、先に彼の魔力が枯渇する。
 解決の糸口は見つかりそうなのだが、途中で道がなくなっている。歯がゆい思いだ。

683 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/09(日) 04:20:26.87 ID:aaH0ifRe0
 狩人もまた歯がゆい思いをしていた。弓を失くした彼女はもはや狩人ではなく、ただの少女であった。鏃も先ほど少女を助けるのに最後の一個を使ってしまい、腰に括り付けた袋の軽さは彼女の無力を現している。
 なにをどうすればいいのかがわからない。いったい自分に何ができるのか。それを考えてはいるものの、これといった結論は探り当てられなかった。
 せめて自分にも魔法が使えれば。生身で戦える強さがあれば。悔いても詮無いことを、けれど悔やまずにはいられない。
 ずい、と狩人の視界の端で、少女が一歩前に出る。ところどころ黒く侵食されたその体は、万全の体調でないのは明らかだのに。
 それを狩人は素直に凄いと思う。囚われ、勇者に助けられてから、彼女は明らかに変わった。
 恐らく勇者が変えたのだという確信を狩人は持っている。そしてそれは事実である。
 誰もが勇者に頼りたくなる、不思議な何かを彼は持っているのだ。
 彼なら大言壮語が、本当に実現するのではないかと思えるほどの何かを。

684 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/09(日) 04:21:29.74 ID:aaH0ifRe0
少女「つまり、こういうことでしょ」
少女「認識よりも早くーー意識されるよりも早く、アイツにミョルニルを叩ッ込めば!」
 音もなく、今度は少女の顔面がーー右の眼窩から耳、頬と額の一部に跨る形で、黒く抉り取られた。
 何がスイッチなのか、彼らにはわからない。
 少女はそれで己の視界が確かに半分になったことを知る。遠近感覚もうまく働かない。脳もいくばくか削り取られているはずだが、とりあえずは前後不覚になっていないし、思考もきちんとできている。
少女(わかった、わかった。オーケー。アタシにはどうせ考えることなんて似合わない)
 今度はつま先から足の甲に至るまでが消えた。地面を掴んでいる感覚がない。
 下手の考え休むに似たり。ただミョルニルを自分のために、何より勇者のためにふるえていれば、彼女は畢竟問題なかった。
 心臓さえ働いていてくれれば。

685 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/09(日) 04:22:20.81 ID:aaH0ifRe0
 地を蹴る少女。消える聖騎士。雷撃を放つ勇者。
 聖騎士に攻撃は当たらない。しかし、聖騎士の攻撃もまた、彼らには当たらなかった。
 いや、すんでのところで勇者と少女が避けているのだ。
 これではだめだ、と狩人は思った。自分はいったい何をしているのだ、と。
狩人(私にも何か)
 できることを。
 狩人は嘗て勇者に、彼女の窮地を救いに来てと頼んだ。結果的にその言葉が勇者の窮地を救ったけれど、決して勇者を救うために言ったのではない。彼女は確かに一人の女として恋人に守ってもらいたかった。
 それを少女趣味が過ぎると言うのは女心を理解していない人間だけだ。
 が、今は違った。今は彼女「ら」の窮地であって、彼女の窮地ではない。今はむしろ、彼女が仲間を助けなければいけない場面。
狩人(もう、仲間を失うのは、いやだ!)
 誰も目の前で死なせたりなんてしない。
 そう念じた瞬間、指先に暖かさが募るのを狩人は理解した。
 ゆえに、理解が、できない。

686 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/09(日) 04:22:49.21 ID:aaH0ifRe0
 「ソレ」の正体は、魔力。本来彼女の体内には未熟な回路しか備わっていないはずの、魔力。
 狩人自身はその正体を知らないが、ただ、何に使うためのモノであるのかはわかった。長年彼女の右手にあったもの。生きる道具。守る道具。自己同一性が形を成したもの。わからいでか。 
 虹の弓。
 光の矢。
 魔力によって具現化された武具。
 たとえば、ウェパルの武装船団の同質の。
狩人「……っ!」
 まるで誘われるように矢羽へ手を伸ばした。手に吸い付くような感触が伝わって、そのまま筈を弦にかけると、力を入れてもいないのに引き絞れる。
 射る。

687 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/09(日) 04:23:20.99 ID:aaH0ifRe0
 光の矢は確かに光であった。ただひたすらに真っ直ぐ飛び、直線のままに聖騎士の腕へと突き刺さる。
 聖騎士は咄嗟に踏ん張りを利かせて転倒こそ避けたが、数メートル地面に足の痕跡を残すこととなった。
 三人の視線が一斉に狩人へと向く。
狩人「虹の弓と光の矢」
狩人「正確に、関節をーー」
狩人「撃ち抜く!」
 光が集まって自然と矢を形作り、狩人はただ指を離すだけでよかった。
 白い奔流が聖騎士へと降り注ぎ、鈍い音を立てながら鎧を穿っていく。それでも聖騎士の鎧の魔法抵抗は十分で、大したダメージを与えられているようには見えない。
狩人(威力が足りない……でもっ)
少女「隙ができれば十分ッ!」
 光の僅かな隙間を縫って、少女は聖騎士へと逼迫する。
 数度二刀とミョルニルが打ち合って、その間に光が聖騎士の足元を掬った。
少女「アタシたちの邪魔を、すんなぁあああーー!」

688 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/09(日) 04:25:13.50 ID:aaH0ifRe0
 ごぶり。
 ミョルニルを振り上げて、そして、そのまま少女の口から血が噴き出す。
 胸元に大きく黒い抉れ。心臓はかろうじて回避している位置であるが、胃と、肺と、横隔膜が根こそぎ奪われている。
 脚を踏み込んで押しとどめようとするが、すでに聖騎士は少女の眼前にはいない。
勇者「ちっ!」
 勇者はあたり一面へと雷撃を降らせる。追撃だけは何としてでも避けなければならなかった。
 草木を踏み倒す音の方向には聖騎士が立っている。おおよそ三人から十メートルといったところだろう。彼には一瞬で詰められる距離だ。
勇者「大丈夫か」
 少女に迂闊に駆け寄ることはできなかった。聖騎士がにらみを利かせていて、不用意になど動けない。
少女「なんとか、ね」
 それが強がりなことは一目瞭然だ。口から下は血まみれで、脂汗も酷い。足も常に震えている。

689 : ◆yufVJNsZ3s :2012/12/09(日) 04:26:40.04 ID:aaH0ifRe0
狩人「二十秒、耐えて」
少女「それだけで、何ができるって、言うんですか」
狩人「できる。やって見せる」
少女「……」
少女「やってもらなくても、死ぬだけ、か」
 狩人はすっと手を勇者に差しだした。
 その動きのあまりの自然さに、勇者も少女も、聖騎士さえも、動作が終わってからようやく気が付くありさまだった。
 狩人の穏やかな顔。パーティ会場で「エスコートしてくださる?」とでも言わんばかりの、優雅な、そして何より満ち足りた表情。
 思わず勇者はその手を取った。敵の眼前であっても、手を取らねばならないような気がしたから。
 二人は互いの手を握り締める。
 体温が交換される。
狩人「勇者、行こう」
 あなたとならば、どこまででも行ける。