Part14
316 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/15(水) 08:59:43.27 ID:nCIrDtoE0
柔らかく反復するトリツチェルマジネ電離層が俺の背中を押してくれていた。足元も蚕の微笑みが渦巻くように前転をしていて、放っていても自然と足が前に進む。実に快適な環境だった。
思わず夢野の唇を貪る。
頭の中でリトルボーイが五人ワルツを踊っている。おーい、俺も混ぜておくれよ。お料理教室のテーマに沿って踊りましょう。
快楽物質で世界中の多幸感が俺にハッピーエンド。スポイトで一滴一滴垂らされたラブ&ピースは俺の幸福上限値に表面張力を働かせる形で盛り上がる。
気持ちいい。
気持ちいい。
このまま溶けてなくなったとして、俺は何一つ不満がないだろう。
夢野「ちょっと勇ちゃん、そんなにがっつかないでよ」
苦笑しながら夢野は言った。そんなことを言われても止まらない。夢野を壁に押し付け、唇と言わず耳朶と言わず、舌を這わせて吸い尽くす。
仄かに甘い香りは香水だろうか? いや、ケミカルな感じではない。もっと生物由来の、艶めかしい香りだ。
窓の外は夕焼けだった。橙の光が俺と夢野のシルエットを部室に浮かび上がらせる。
窓は空いていて、そのためか陽光だけでなく風もふんわりと差し込んでくる。外の景色は不思議と見えない。きっと夢野だけを俺が見ていたいからそうなったに違いない。
誰かの苛立ち交じりの声が聞こえて、硬いものと硬いものがぶつかる音も聞こえた。
別に、そのまま夢野の体を漂っていてもよかったのだけれど、当の夢野が「ほらほら、勇ちゃん」と引っ張って、外を見させてくれる。
ちょうど真下で、狩野が暴行を受けていた。
317 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/15(水) 09:01:26.75 ID:nCIrDtoE0
四人の女子が彼女を取り囲んで、ひたすらに足蹴にし続けている。狩野は蹲って耐えているようだが、それにどんな意味があるだろうか。
もっと楽に生きればいいのに。だって世界はこんなにも濃密な乳白色の空なのだ。
辛いことなど何もない、悦楽だけがそこにある、桃源郷色のユートピア。
いや、ユートピア色の桃源郷なのかもしれない。どっちだろう。
俺のへらへらした笑みが零れ、狩野に落下する。
音符の見えない世界において、どうしてだろう、俺はその事実を視覚的に捉えた。
そうして、彼女は俺を見る。
鋭い、余りにも鋭い、まるで矢のような視線が俺を打ち抜く。
血を吐いた。
いや勿論そんなことはなくて俺は健全健康な学生だし肺尖カタルなんてもってのほかだから急に血を吐くことなどありえない。袖で口元を擦っても学生服の黒は黒のままで黒々しくそこにある黒でどこにも赤い要素が見当たらないということはつまりそういうことになるだろう。だけれど果たしてそれが本当にそうなのかはわからないという思考の波と波と波と波と大回転と
318 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/15(水) 09:02:23.49 ID:nCIrDtoE0
「わたしがピンチになったら、絶対助けに来てね」
誰かがそう言った。
誰がそう言った?
言われたのは、いつだ?
助けるって誰を?
ん?
夢野「勇、ちゃん?」
夢野の顔が驚愕に彩られている。
心配をかけてしまったか。俺はせめて大丈夫だと示すため、引き攣る顔面の筋肉を総動員し、笑顔をつくって見せる。
夢野「まさか、なんで、こんな、今更……っ!」
夢野「私の勝ちだったのに、そのはずだったのに、なんで!」
珍しく見る夢野の恐慌状態だ。なんとか宥めなければ。ほら、俺は大丈夫だぜ。いつも通りの田中勇だぜ。だから落ち着けよ。
勇「ら、らい、らいじょーぶ、らお」
呂律が回らない。落ち着かなければ、一度落ち着かなければ。夢野を落ち着かせるよりもまず先に。
落ち着かなければ世界の街灯が全部計画停電だ。それだけでなく俺はスナック菓子すらもマントルの/夢野の/中に放り込まれ/服を掴んで/スティック糊の熱さ/窓から身を/が券売機/投げ/を焦がーー投げ、
意識と行動に介入が/力一杯に夢野を/この感覚は一体/いや、「夢野」では、なく/俺は/俺は/俺は/俺は
319 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/15(水) 09:08:48.04 ID:nCIrDtoE0
切れそうになった電球が点滅している。おかしい。部屋の電気はつけていないはずだ。ならばこの明滅はどこで起きているというのだ。
あぁ、そうか。
俺の脳内だ。
妙に冷静な感覚があった。思考だけが急速に回転し、肉体の動きはほぼ停止しているといっても過言ではないだろう。
頭の中は冴え冴えとしている。と同時に、割れそうなほどの頭痛もまた。
本来同時に起こりえないであろう事象が同時に起きているのに、俺は極めてそれを傍観者気取りで見ている。そんなことに振り回される前にすべきことがあるのではないか。
すべきことがあるのだ。
理屈とか、理由とか、わからないけれど。
過程とか、考えたところでわからないけれど。
誰かと約束をしたのだ。
約束を守らねばならないのだ。
「勇者」と誰かを呼ぶ声がした。
だから。
だから、俺は、
320 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/15(水) 09:10:07.31 ID:nCIrDtoE0
俺は、
夢野の、
服を、掴ん、で!
窓ーー窓、窓だ、窓から、落ちたら、死ぬかもしれないけれど!
死ぬかもしれないけれど、
けれどーーだからこそ!
しれないからこそ、俺は、
俺は!
爪切りの内臓が四つ折りになって違う! そうじゃない!
夢野の悲鳴、が、聞こえる、と、言う、
ことは!
家賃の漬け汁違う! このまま、で、
正しい!
夢野「やーーやめろ、やめろ、やめろぉおおおおおっ!」
勇「か、のーーか、か!」
勇「狩人ぉおおおおお!」
重力からの解放。
衝撃。
ーーーーーーーーーーーーーー
321 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/08/15(水) 09:16:44.08 ID:ba4f9NRSO
良い狂気の表現だ
322 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) :2012/08/15(水) 11:44:01.11 ID:xXIZ9N/AO
なんとなく掴めたかもしれない
323 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福島県) :2012/08/16(木) 09:08:23.74 ID:+z7jp8i+o
夢魔的な感じなのかな
乙乙
327 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 09:21:41.14 ID:YYhMJExk0
ーーーーーーーーーーーーーー
頭の中で焦燥と冷静が入り混じる。赤と青は決して紫になることはなく、それぞれの色を保ったまま思考の渦を巻く。
狩人は頬に汗が伝うのを感じたが、それを意識的に無視した。冷静を装うふりなどしてられなかった。
焦燥の部分ーー二人はどこへ行ったのか。無事なのか。攻撃を受けたのは彼らなのか、それとも自分なのか。
冷静の部分ーー違和感の正体はこれだ、という理解。背後が静かすぎたのだ。
ともかく、分断されてしまったようだ。二人は二人でいるのか、あちらも一人ずつに分断されたかまでは、彼女にはわからない。
狩人は沈思黙考する。焦ってはいけない、敵の思うつぼだ。冷静に、冷静に。
この状況が敵の攻撃によるものであることは明白。しかし、敵の術中に自分たちが陥っているならば、なぜ傀儡となっていないのか。他の兵士と自分たちの置かれている状態の差異は捨て置けない。
仮定。意識は明快であるが、実は肉体は傀儡となって勇者たちを襲っている。
仮定。何らかの理由があってこちらに傀儡の術をかけることができず、やむなく分断した。
仮定。初めから分断することが目的であった。
可能性としては一番か三番が有り得そうな気もしたが、あくまで可能性だ。
狩人はあまり魔法に詳しくはない。初歩の初歩くらいならば用いることもできるが、精神汚染、精神操作といった超高難度の魔法など、理論すら聞いたこともない。
老婆ならばわかったのだろうがと考えて、気が付く。
老婆がいない。
328 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 09:22:17.56 ID:YYhMJExk0
否。狩人は知っている。老婆は洞穴や大空洞を調査していて、まだ王城へは戻ってきていない。
問題はそこではないのだ。老婆がいれば、恐らく精神操作には対抗できるだろう。気付けだってできるかもしれない。
この状況は老婆がいなくなった隙を意図的に狙って引き起こされた。そうでなければここまで大規模にはならない。
つまり、相手はこちらの状態を把握しているのだ。その考えに至って狩人は眉根を寄せる。
それが、例えばウェパルのように兵士に化けているのか、それとも遠見なのかは、彼女にはわからない。しかしなぜ自分たちが? 狩人はそれだけが納得できなかった。
確かに自分たちは冒険者にしては強いだろう。勇者は実質不死で、少女も老婆も埒外の強さを誇る。正当な手続きを踏まずに宮仕えとなったことからもそれは明らかである。
ただ、その程度で敵に目を付けられる理由になるだろうか。脅威という観点ならば隊長のほうがずっと魔物に対して脅威だろうし、そもそも傀儡にしてしまわないわけも不明だ。二人を消せるならいっそ傀儡にしてしまえばいいのに。
ざく、と瓦礫を踏みしめる音が聞こえた。反射的に狩人は鏃を後方へと投げつける。
??「あ、あっぶないなぁ!」
赤髪の女が立っていた。煽情的な体つき、顔つきで、露出も多い。
背中からは悪魔の羽が一対生えており、尻尾もある。切れ長の眼に収まる桃色の瞳は、それを見ているだけでくらくらしそうだ。
脳内に手が伸ばされる感覚がした。思わず地を蹴って後ろへ下がり、鏃で腕を突き刺す。
激痛が走るーーしかしその痛みで覚醒。不快感は消失した。
??「え、マジ。チャーム効かないの。そっかー、マジかー。やっべー」
狩人「あなたが、元凶……」
最早疑う余地はなかった。狩人は断定的に呟いて、鏃をあるだけ指の隙間に挟む。武器はこれだけしかないが、それでも立ち向かわなければならない。傀儡となった兵士、そして消えた勇者と少女を助けるためにも。
329 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 09:24:06.27 ID:YYhMJExk0
??「やや、どもども。私はアルプ。夢魔アルプ。よろしく」
目の前のアルプは言う。けらけらと、あっけらかんと。
内心の動揺を悟られぬようにしつつも、狩人は実のところ気が気でなかった。夢魔アルプ。第四の四天王。精神も肉体も操れぬものはない、状態変化の卓越者。
彼女の攻撃は物理的に働きかけるものではなく、限りなく精神的かつ魔術的だ。狩人は魔法抵抗のルーンなど刻めなかったが、結局のところ退くわけにもいかない。せめて一矢報いようという気概だけは心にとどめている。
アルプ「うわ、すっごい警戒されてるよ」
狩人「……これはあなたのせいなんでしょ」
アルプ「そうだよ」
まさか返事が普通に帰ってくるとは思っていなかった。狩人は拍子抜けした感覚を受け、しかし罠かもしれないと気を引き締める。何せ相手は単なる魔物ではないのだ。
狩人「……あなたを殺せば、兵士たちは元に戻る?」
アルプ「まぁね」
狩人「あなたを殺せば、勇者と少女は帰ってくる?」
アルプ「さぁ、どうだーー」
ろう。アルプが続ける前に、鏃が二つ、時間差でアルプを襲う。
あらぬ方向へと曲がって、それぞれ地面と天井へ突き刺さった。
狩人「……!」
有り得ない動きであった。狩人は決して手加減などしておらず、乾坤一擲、頭を潰して殺すつもりで投げたのだ。しかしアルプはそれを触れることなく軌道を変えて見せた。
鏃が弾ける音以外は静かすぎる城内に、唾液を飲む音さえ響く。
330 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 09:24:38.00 ID:YYhMJExk0
狩人は、手や背中にじっとりと汗をかいている自覚が確かにあった。そうやってなんとか恐怖としり込みを体外に排出しようとしているのである。
アルプ「四人組ならまだしも、私とタイマン張ろうってのは、ちょーっと早いんじゃないの」
飄々とした態度とは裏腹に、なるほど確かにアルプは実力者で、四天王なのだと狩人は理解する。
実力差はいくらもあろう。だが、しかし。
狩人「それでも、私が死ぬまで私は貴方を殺す」
鏃を引き抜く。とは言っても勝機なぞ皆無であった。隙を見て逃げ出す算段なのだ。
投擲ーー弾けて本棚を砕く。
投擲ーー軌道が歪曲し壁に突き刺さる。
投擲ーー衝突寸前で停止、アルプはそれを軽くつまんで捨てた。
木製の机に鏃が転がる。
狩人「ーーっ!」
隙もクソもあったものではない。こちらは攻撃するために行動しなければいけないのに、あちらは防御に行動をしなくてもよいのだ。まともに遣り合えば遣り合うほど損をするばかりである。
狩人はちらりと背後を見た。電気の付いていない物置には、箒や藁、板などが無造作に積まれている。そこの壁に、少女が空けた穴と、扉の二種類の脱出路。
かび臭い部屋の外からは依然として足音が近づいてきている。時間にして一分か、一分半。それまでに心を決めなければいけない。
アルプは客室のベッドへ腰を下ろした。その余裕が狩人にとっては憎らしいが、それこそが実力の違いである。
アルプ「別に逃げてもいいけどさ、きみの仲間の身柄、こっちで預かってるんだからね」
331 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 09:25:22.03 ID:YYhMJExk0
狩人「……何が目的。殺すなら殺せばいい」
アルプ「だから人間って駄目なんだよねー。なんていうの、ほら」
アルプ「生き急ぎすぎ」
狩人の体を唐突に衝撃が襲った。横からの圧力にたまらず吹き飛び、冷たい石の壁に激突する。
からん、からんと床に何かが散らばる音。見れば物置においてあった木の板であった。それがぶつかってきたのだ。
地面に肩から落ちる。打撲がもたらす痛みに顔を顰めるが、それより先に立ち上がらねばという危機感が体を叱咤した。反射的に体を叩き起こし、
狩人「……」
背後、喉元、両足の付け根の五か所に、鏃の先が押し付けられる。先ほど狩人が投擲した鏃が、なぜか空中に浮かんでいるのだ。
動けば刺さる。痛みを度外視したとしても、アルプが今度こそ息の根を止めに来るだろう。
逆に言えば、ここまでして動きを封じてくるという以上、あっけなく殺される可能性は少ないと考えられる。無論まだアルプの過ぎたお遊びという考えもできるが、狩人はアルプから殺意の気配を感じられなかった。それを唯一の頼りにして不動を貫く。
アルプ「ただでさえ短い寿命を自分で削ってどうするのさ」
いつの間にか傍らにいたアルプが、やれやれというふうにため息をつく。
背中から生えている一対の羽が泳いでいる。天使の羽が厚く、温かく、柔らかいのだとすれば、彼女の羽はその真逆だ。薄く、ひんやりとしていて、骨ばっている。
その姿からは筋肉の緊張は一切見られず、あくまでも自然体だ。単に狩人が取るに足らない相手として認識されているわけではない。彼女は常に真剣で、真剣に他人のことに興味がないのである。
それはある種の魔族らしさだった。そのような意味での「らしさ」という一点において、アルプは誰よりもーー序列的には上である九尾よりも、ウェパルよりも、デュラハンよりも、魔族然としている。
アルプ「逃げられないんだから、頑張らなくていいんだけど?」
狩人はそのとき視線の端に確かにとらえた。壁に空けた穴はきれいに塞がり、存在したはずの部屋の扉が、まるで最初からそうであったかのように、石の壁となっているのを。
彼女には何が起こっているのかわからない。アルプは夢魔である。その名の通り、精神を操ることしかできないのではないか。
332 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 09:26:21.78 ID:YYhMJExk0
アルプ「折角チャンスをあげてるのに、変なことしないでよねー」
狩人「チャンス……?」
アルプ「そう。これからあなたにやってもらいたいことがあるの。で、それを成し遂げられたら、あなたの最愛の人は返してあげるよー」
狩人「……もし断ったら」
アルプ「あなたは死ぬし、操られてる人たちも、お仲間も全滅だね」
狩人は口内で舌を噛んだ。アルプの意図がまったく読めない。
いや、と頭を振る。思考などここに至っては意味がない。彼女の申し出を引き受けないことには全滅しかないのだ。
狩人「……わかった。どうせ選択肢なんてない」
アルプ「さっすが、そうじゃないとね」
喜色満面の笑みを零して、アルプは笑った。狩人はその笑みに、けれど恐ろしいものしか感じない。
アルプが指を鳴らすと景色は一瞬にして転換した。王城から、異空間へと。
桃色の空間であった。地面を踏みしめている感覚はないが、確かに大地のような基準平面があって、そこに狩人もアルプも立っている。
空間はどこまでも広く、限りなく向こうまで伸び続けている。が、この見えざる大地と同様に、もしかしたら不可視の障壁に囲まれているのかもしれない。
333 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 09:29:08.53 ID:YYhMJExk0
狩人「ここは……」
アルプ「私のテリトリー。夢と精神の世界。心の内。貪欲なる病」
アルプ「私は他人の心を弄ぶのが好きなの。その点では、魔族よりも人間のほうがずっとおもしろい。だから、ね」
アルプ「賭けをしようよ」
狩人「賭け?」
アルプ「ゲームと言い換えてもいいかな。あなたがクリアできたら、ご褒美をあげる」
狩人は覚悟を決めて先を促す。
アルプ「ルールは単純」
アルプ「仮想世界の中で、あなたの愛する彼の目を覚まさせてみてよ」
狩人「目を、覚まさせる」
言葉の意味が理解しきれずに思わず鸚鵡返しで尋ねる。
アルプ「そう。勇者くんの精神は私の手の上にある。今から仮想世界をつくって、これをそこにぶち込むから、あなたはそれを助け出すの」
狩人「そんなことができるの?」
アルプ「さぁ? 今までできた人はいないけど、どうかな。できるんじゃない。知らなーい」
全く無責任な返答に狩人は苛立ちを隠せない。
目の前の夢魔は、結局のところ狩人にも勇者にも少女にも、ましてや何百人以上の傀儡にも、興味がまるでないのだ。無理難題を吹っかけてそれに喘ぐ様子を高みから見物したいだけに違いない。
334 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 09:30:20.12 ID:YYhMJExk0
が、立場が弱いのは狩人である。拳を握りしめて会話を試みる。
狩人「その、仮想世界? って、どういうものなの」
アルプ「んー、ま、普通の学生生活だよ。アカデミーみたいなものだね。あなたには縁がないかもしれないけど」
アルプ「あなたは転校生としてやってくる。クラスには勇者くんがいるから、なんとかして精神を現実世界に引き戻さないと、あなた共々ゲームオーバー」
アルプ「心が壊れたまま一生を終えることになるから、気を付けてね」
アルプ「期限は五日間。それを超えても駄目だから。……何か聞いておきたいことは?」
狩人「私が使えるものは?」
アルプ「んー、答える義務はないよ」
狩人「……っ」
そちらが聞いてきたんだろう。一言言ってやりたかったが、寧ろアルプはそれを待っているのだ。
人の心を弄び、揺らぎを生み出し、見つけ、そこに付け入ることを何よりの娯楽と感じているのだ。
だから狩人は、努めて冷静に自己を律する。あちらのペースに巻き込まれては負けだ。
アルプ「ま、説明もそろそろ面倒くさくなってきたから、いっちょ行ってみっかー」
桃色の空間がぐにゃりと歪んで、現れたのは青い空とコンクリートのブロック塀、電柱とガードレール、生垣の向こうで鳴く犬の存在であった。
335 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 09:30:58.03 ID:YYhMJExk0
不意に、今後やらねばならないことがわかった。この世界での常識。ルール。物品の使用法。何より、勇者の精神を助け出すこと。
このまま緩やかな坂を上っていけば学校につくらしい。時間は決してたっぷりあるとは言い難い。この世界の彼は記憶を消され、この世界での記憶が埋め込まれている。そんな彼に真実を正直に話したとしても、それを信じてくれるだろうか。
アルプは、あの人の怒りのツボを的確に押してくる夢魔は、確かに言っていた。「今までできた人はいない」と。
恐らく狩人が最初ではないのだ。今までに彼女は何度もこのような「ゲーム」を主宰し、それら全てに勝ってきた。
狩人は苛立ちがせり上がってくるのを感じた。
勝たなければいけない。何としてでも。
正直に話す、つまり正攻法が望めないのならば、搦め手を使っていくしかない。彼の精神を正気に引き戻す誘引剤を考えなければ。
彼のためならば、どんなつらいことにだって乗り越えられるから。
泥水を啜ってでもゲームに勝たなければならない。
力強く右手を天に伸ばした。
ーーーーーーーーーーーーーー
336 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 09:32:00.73 ID:YYhMJExk0
ーーーーーーーーーーーーーー
ーーだから私はっ!」
勇者を背に、アルプに対峙した狩人は、鏃を構えて鋭く睨みつける。
狩人「あえて自らやられに行ったんだっ!」
怒声を張り上げるなど何年ぶりだろうか。ともすれば人生初なのかもしれない。
狩人は自らを温厚で冷静だと評していた。そしてその自らについての人物評は、あながち外れではない。だが、彼女は知らなかった。自らの中にここまでの激情が眠っていたことを。
狩人「人の恋人に手を出した罪、今すぐここで償ってもらう……!」
現実世界に戻っていた。場所は転移する寸前の、来客用の一室である。勇者はまだ気を失っているが、その顔、格好は間違いなく勇者で、その点についてはアルプは約束を守ったのだ。
最終的に約束を破ったとしたら。狩人は心の内ではそのような心配をしていたが、アルプは自らの持ち出したルールに対しては厳格だ。そうしなければゲームとしての体をなさない。そしてそれは彼女が最も忌避すべき、「楽しくない」ことである。
狩人には仮想世界での記憶が残っていた。残滓ではない。まるまるしっかり、自分が何をしたのか、何をされたのか、どうしてこうしているのか、すべて覚えている。
賭けだった。しかも、分の悪い、リセットの効かない、一度きりの投身自殺だった。
それでも生きているということは、賽を投げた甲斐はあったのである。
狩人が仮想世界において行ったことはただ一点、勇者を信じる、それのみ。彼は誰かを助けたかったし、誰もを助けたかった。その想いの強さとそれによって引き起こされた苦悩を狩人が知らないはずもない。
彼が仮想世界においても彼であるならば、意識を取り戻す願いはそこにしかない。
あのゲームが単純に看破されないのならば、単純でない策を打つ必要があった。
337 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 09:32:50.63 ID:YYhMJExk0
問題は時間の兼ね合いであったが、アルプが思わぬ手助けをしてくれたことは僥倖だ。無論、彼女の性格からして、こちらを甚振る何かしらを仕掛けてくることは想像に難くなかった。うまく利用できた、の一言に尽きる。
狩人の眼前、深紅の髪を持つ夢魔は、顔を顰めて頭を押さえている。三階の窓から落下した衝撃は仮想のものだが、仮想から現実に放り出された衝撃は、特に彼女には堪えたらしい。
先ほどの、アルプ曰くゲームには勝てたものの、次に彼女が何を起こしてくるのかは全く予想がつかなかった。潔く引き下がってくれるのか、それとも。
狩人(……動きがない)
その事実がなおさら怪しく、狩人は僅かに身をこわばらせる。
アルプの行為に対して狩人も勇者も抗う術を持たない。魔術的な障壁自体を展開できないし、仮に展開できたとしても、生半可なものでは気休めにしかならないだろう。
彼女は王城へと侵入し、容易く今回の事件を引き起こして見せた。侵食力には、いらない折り紙が付帯している。
アルプの瞳が見開かれる。
体が震え、爆発するように立ち上がった。
アルプ「す、す」
アルプ「すっげー!」
奇術に魅せられた子供のように、目を輝かせてアルプは言った。狩人が鏃さえ持っていなければ彼女に抱き着いていたかもしれない。
アルプ「いやいや、マジで、すっげー! 何それ、まさか普通できないでしょ、賭けにしては分が悪すぎるでしょー!」
甲高い黄色い声とともにはしゃぎだす。興奮冷めやらぬ様子だ。
338 :
◆yufVJNsZ3s :2012/08/18(土) 09:33:24.42 ID:YYhMJExk0
そもそも彼女はゲームがクリアされるとは思っていなかった。他の四天王が気にかけている冒険者がいるから、とりあえず潰してみよう、その程度の悪意だったのである。
何より狩人が用いた方策こそがツボに嵌ったらしい。これまでの挑戦者は、みな当初から積極的な交流を以て攻略しようとしていた。その程度で解ける術ならばアルプは四天王など名乗っていないというのに。
自らを追い込んで、気が付かせる。まさかそんな方法があったとは。
二人の関係をアルプは知っていたが、間で交わされた言葉や約束までは知らなかった。もし敗因を探るとするなら、その辺りの情報収集が足りなかったと言わねばならないだろう。
しかし、アルプは試合に負けてこそいるが、勝負に負けたわけではない。
アルプ「自分を虐めさせて気が付かせるかよ、おかしいっしょー! どんだけ肝っ玉母さんなんですかー、もう!」
アルプ「あー、くそ、惜しかったなー! もうちょっとで精神ぐちゃぐちゃにできたのにさー!」
狩人「ちょっと……」
アルプ「約束通り返してあげるよ、あなたの最愛の人をね!」
アルプ「んじゃ、お幸せにー!」
大きな音を立てて彼女は翼を広げた。指を鳴らすと、彼女の背後の壁に、音もなく穴が空く。ひと一人なら簡単に出入りできるほどの大きさだ。
狩人は鏃を振りかぶる。
狩人「逃がすと思っているの?」
アルプ「逃げられないと思っているの?」