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勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」
Part13


288 : ◆yufVJNsZ3s :2012/08/14(火) 09:46:39.94 ID:hgvusBa00
* * *
 醜悪な魔物が眼前にいた。
 剣で切って、倒す。
 醜悪な魔物は次々湧き出てくる。
 剣で切って、倒す。
 醜悪な魔物の出現は止まらない。
 剣で切って、倒す。
 「俺」は、剣と防具を身に着けていた。機動力を重視しているためか、分厚い鎧ではなく簡素な皮の鎧だ。鞣した皮のにおいは甘く、まだ新品なのだろうということは容易く想像できる。
 念じると体の内部に火が灯る感覚が走る。丹田から全身へ駆け巡る暖かい衝動。それをコントロールし、左手に集めると、手のひらから紫電が走った。
 不思議と痛みはない。体内のエネルギーとでも呼ぶしかないものが、徐々に、徐々に放出されている感覚はあるものの、「俺」が感じることのできるのはそれだけだ。
 「俺」は、勇者だ。
 ぞわり、とした感覚が、足元の泥濘から這い上がってくる。
 否、泥濘などはどこにもなかった。感覚器官が暴発しているだけで、地面は確かに濃密な土の匂いを醸している。
 暴発? 「俺」は考えた。それは一体どういうことだ。ならばこの黒い塊はなんなのだ。
 黒い、靄のような塊。それは酷く冷たく、類稀な悪意を包含し、じわりじわり「俺」の体を這いあがってくる。
 足から腰へ。
 腰から胸へ。
 黒い塊が、ついに「俺」の首へとかかる。
 それは手の形をしていた。
 頸動脈に指が押し込まれる。それだけでいともたやすく血流は止まり、俺は目の前が白くなっていくのを感じた。
??「勇者!」

289 : ◆yufVJNsZ3s :2012/08/14(火) 09:47:57.95 ID:hgvusBa00
 俺が目を覚ますと、目の前には少女がいた。狩人も老婆も、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
 なんだ、何がどうなっているんだ。
狩人「急に倒れるから、どうしたかと思った」
老婆「日頃の不摂生の賜物じゃな、ひゃひゃひゃ」
 俺の体よりあんたの寿命を心配したらどうだ。
老婆「いざとなったらおぬしの体に乗り移らせてもらうから大丈夫じゃよ」
 こいつなら本当にやりかねない。俺は少し老婆との距離を置く。
狩人「大丈夫?」
 冷えた手が俺の額にあてられる。随分と気持ちの良い手だ。安心する。
 なに、疲れが溜まってるんだろうさ。もうちょっと頑張って、宿についたらしっかり休むよ。
狩人「……そう、それならいいんだけど」
 森の切れ目には、確か交易で栄えた町があるはずだった。鬱蒼とした大森林と切り立った尾根を避けながらうねる道々の交差点、俺の国にも隣国にも属さない、交易という唯一にした絶対のカードを握る町だ。
 俺たち四人は現在そこを目指しているのだ。
 夜な夜な亡霊が現れ、町の人間を襲うのだという。ギルドや酒場から依頼があったわけではないが、賞金もかけられており、財布の中身が心もとなくなってきた俺たちとしては、この機会を逃すつもりはなかった。

290 : ◆yufVJNsZ3s :2012/08/14(火) 09:48:48.05 ID:hgvusBa00
 と、不意に違和感を覚える。
 いや、それは違和感という次元ではない。普段と何かが違う、とか、そういうことではない。
 根本がおかしい。
 不意に気が付いてしまった事実に、俺は眩暈をせずにはいられない。頭を横殴りにされたような衝撃と驚愕。そして混乱。
 思わず足元が前後不覚になる。なんとか木に手をついて体を支えようとするが、力が入らないのは脚だけではなく全身だ。背中を木に預け、滑り落ちて尻もちをつく。
 ここはどこだ。
 こいつらは誰だ。
少女「ちょっと、あんた本当に大丈夫? ここは大森林のはずれでしょ?」
 かわいらしい姿の少女が、今の俺には化け物のように感じられた。俺のことを取って食おうとしているのではないかーーそんな感覚が拭い去れない。
 というか、この少女、どことなく女川に雰囲気が似ているような……。
少女「は? 何言ってるの? ちょ、ちょっとおばあちゃん!」
 老婆ーー俺の担任に似ている人物は、今更気が付くが、時代錯誤のローブと杖を持っている。何のコスプレかと思うほどに。
狩人「ゆう、しゃ?」
 その少女は弓を背負い、肌こそより浅黒かったが、確かに狩野真弓その人であった。寡黙そうな雰囲気も、三白眼も、全て。
 三人が心配そうな顔をして俺に近づく。
 俺は喉から「ひっ」という引き攣った音が漏れ出るのを、自ら聞いた。
 圧倒的な恐怖。
 俺は世界から見放されている。
少女「ちょっといい、先に謝っとくけど、ごめんね?」
 少女は手を振りかぶって、そしてーー

291 : ◆yufVJNsZ3s :2012/08/14(火) 09:49:47.06 ID:hgvusBa00
 バチーン!
 と、俺の頬が鳴った。
女川「勇、勇!? 大丈夫?」
 瞳を開けば天井があった。空を遮る木の葉も、枝も、何もない。
 尻の下にはベッドがあって、腐葉土の痕跡など感じられない。しっかりとした自室の床。大地の質の差異は歴然としている。
 そして、視界いっぱいに移りこむように、女川祥子が俺を覗き込んでいた。
 涙を目に一杯溜めて。
女川「よかった、揺すっても叫んでも起きないから、どうしたのかって……」
 俺は、けれど暫し愕然としていた。今の夢は、即ち、女川が昨晩言っていたそれではないのか? 一笑に付すことこそしなかったが、内心女川の不安を俺は理解できなかった。それも今ならば理解できよう。
 酷く、気分が悪い。
 あのまま世界に連れていかれるのではないかという焦燥は、依然消えることなく全身を取り巻いている。
 夢なのだ。それは事実であるが、決して納得を俺にもたらさない。なぜなら俺はこの景色ーーベッドと、出窓と、本棚と、机と、女川に対して、限りなく懐疑的になりつつあるからだ。
 もちろん無意味さを感じないわけではない。触れているものは存在しているし、見えているものは存在している。唯物論は主観において絶対的である。そのはずだ。
 そのはずなのに。

292 : ◆yufVJNsZ3s :2012/08/14(火) 09:52:20.39 ID:hgvusBa00
 頭の中に霞がかかっていく。桃色の霧が俺の耳から侵入して脳髄を握りしめた実感が確かにあった。力を籠めれば今すぐにもお前のことなど殺せるのだぞ、という警告だ。
 けれど同時に愉悦も感じられた。だけど、お前のことは絶対に殺さないぞ、という。その上でびくびくしながら生きればよいのだ、という。
 頭を振る。まるで脳内の霧を散らすかのように。
 そんな俺の様子をどう思ったのだろう、もう一度女川は俺の顔をじっと覗き込んだ。
 一点の曇りもないその瞳。白状せずにはいられなかった。
勇「昨日お前が言ってた夢な。たぶん俺も見た」
女川「!」
勇「ありゃ、駄目だ。引きずり込まれそうになる」
女川「それで、いた?」
勇「いた、って?」
女川「アタシに似た人。転校生とか、長部とか、先生とかに似た人」
勇「あぁ、見たよ。長部はいなかったけど、狩野もいたな」
勇「たぶんあの世界での俺は、俺に似てるんだろうな」
女川「単なる夢なのかな」
勇「……」
 当たり前だ、そりゃそうだろう。軽く言えればどれだけ楽か。
 荒唐無稽な話だとはわかっている。だが、今の俺たちは、あれがそんなたやすいものではないということを、肌でひしひしと感じていたのだ。
 あれは恐ろしいものだ。心から底冷えするほどの。
 母親の「遅刻するよ!」の声に促され、俺たちは家を出た。
 脳内のしこりがとれないまま。
* * *

293 : ◆yufVJNsZ3s :2012/08/14(火) 09:54:56.63 ID:hgvusBa00
 授業中に自然と狩野の背中へと視線をやってしまっていた。
 どうやらそれは女川も同様であるらしく、時たま彼女と視線が合うこともある。そのたびに気まずそうな顔をして俺たちは顔を反らすのだ。
 夢の原因が可能であるなどとは思ってはいない。だが、だとしたらあの夢はなんなのだろう。いったい何があの夢をもたらしているのだろう。
 当事者である俺たちにはわかる。あれはよくないものだ。決してこの世のとは相容れないものだ。
 陳腐な表現だが、心霊的怪奇現象。
 教室の前方では、我が学級の担任、夢に出てきた老婆に酷似している定年間際の女性教師が、国民年金について説明している。
 板書を書き取らなければいけないが、つい視線は狩野のほうへ。
勇「!」
 狩野が俺のことを見ていた。視線に気が付いたのだろうか。
 堂々としていればいいものを、つい視線をそらしてしまう。黒板へと視線を移すが文字など頭に入っては来ない。脳にそこまでのCPUはつまれてはいない。
 視線をそらす一瞬、俺は気が付いた。狩野が微笑んだのを。
 その微笑みが意味するところを理解できない。意味がないと断ずれないほどには、その微笑みはこれ見よがしだった。
 チャイムが鳴る。担任は中途半端なところで終わってしまったことにため息をつきながらも、教科書を閉じる。
 それを合図にして、教室の仲が徐々にざわめき始めた。いつものことだ。一時間目とはいえ、授業の終わった解放感は、いつだって誰にだって格別である。

294 : ◆yufVJNsZ3s :2012/08/14(火) 10:00:04.01 ID:hgvusBa00
 狩野が立ち上がった。こちらへ来るのかと思って身構えるが、何のことはない、そのまま教室の外へとぺたぺた歩いていく。
 ぺたぺた?
 狩野は上靴を履いていなかった。
 白い無地のソックスが、細すぎる足首に映えている。色の濃い肌とのコントラストもまた眩しい。
 転校してきたばかりだから指定の上靴がない? いやまさか、そんな。昨日は履いていたはずだろう。大体、それにしたって靴下のままやってくる必要もあるまい。
 熱くなっていく頭を冷ましたのは、背後から投げられた女川の言葉であった。
女川「あんた、ちょっと不自然すぎじゃないの」
勇「え? あ、女川か」
女川「気になるのはわかるけどね」
 小声で女川は言った。彼女もまた狩野が気になる一人なのだ。
 しかも女川の場合、狩野が転校する以前から夢で狩野に酷似した少女を見ていたのだから、それも仕方がないのかもしれない。
勇「そういや、狩野の奴上靴履いてないみたいだけど」
 何の気なしの指摘だったが、それは存外女川のクリティカルなポイントを突いたらしい。露骨に視線をそらし、頬へと手をやる。
女川「あー、それは、なんていうか」

295 : ◆yufVJNsZ3s :2012/08/14(火) 10:02:20.47 ID:hgvusBa00
 言葉を濁す女川を見て、ようやく俺も一つの答えに辿り着く。
勇「……マジかよ」
女川「マジもマジ、大マジよ。クラスの女子に昨日メール回ってきたっつーの」
 努めて小声で女川は言う。自らの立場を公言するのは得策ではないのだ。
 学生という身分は、つまり一介の兵士であると同時に首相でもある。時として、自らという領土を守るために銃を取り、指揮を執り、生存を勝ち取らなければならない。そのためには外交努力も当然手段として入ってくる。
 狩野側に回ることは敵対を意味する。せめて中立でいれば、戦火からは逃れられる。物資の提供をすることがあっても、戦争へ加担しているという罪悪感は軽い。
 俺は女川を叱責できなかった。叱責するのならば、今すぐ首謀者をひっぱたいてやらなければならないからだ。
 しかし、それにしても、転入してきたのは昨日だ。たった一日どれだけ不興を買ったというのか。狙いでもしなければできないことである。
夢野「どうしたの、二人でこそこそと」
 遠くからやっとこやってきたのは夢野だった。あっけらかんとした笑顔で、虐めなど自領域には存在しないかのように、距離を詰めてくる。
女川「ん、ま、ちょっとね」
夢野「えー、仲間はずれかよぅ」
女川「ちょっと、やめてよ。あんまり大声で喋ることじゃないんだから」
夢野「ってーと、あれ? 転校生のメンタルをボコそうってやつ?」
勇「ばっ」
 あまりにも普段の声量で夢野が言うものだから、俺は思わず叫び出しそうになる。
 この学級でいじめはないものなのだ。あるとしたらヒエラルキーであり、調教なのだ。
 俺たちは知らんぷりをしていなければいけない。それがいじめられもしない、いじめもしない中立派の、ただ一つのルール。
 そのルールを破ったものは、次に対象となってもおかしくはない。

296 : ◆yufVJNsZ3s :2012/08/14(火) 10:04:52.18 ID:hgvusBa00
夢野「なに、そんな大声で。気にしなくていいじゃん。そんなのストレスフルになるだけだって」
勇「お前……!」
夢野「やだなぁ、勇ちゃん。面白けりゃいいんだって。娯楽だよ、娯楽」
 視界が赤熱する錯覚を覚えた。見て見ぬ振りする俺や女川が人間として上等だとは思わない。だが、五十歩百歩、どんぐりの背比べ、目くそ鼻くそを笑うだとしても、夢野の言いぐさはあまりにもあんまりではないか。
 俺のそんな雰囲気を察して、夢野は困ったような顔をした。そんなつもりじゃなかったんだけどなぁ。感情を表すならばこうだろうか。
 肩をすくめて夢野は去っていく。俺はそれを追うことはなかった。俺に一体全体追う権利があるだろうか? 既にまったき加害者だというのに?
 酷く吐き気がした。重石を飲み込んでしまったと思える程度には、重力が辛い。
 わかっている。俺「も」悪いのだ。俺「すらも」悪いのだ。
 だけれど、平穏で安寧とした学校生活を送るために、全力で策を巡らせて何が悪い!?
女川「……勇」
 女川がばつの悪そうな顔をしている。こいつの性根は真面目で正義感が強い。例え同調圧力に負け、保身に走ってしまったとしても、根が腐っているわけではないのだ。
 それが欺瞞であるということは、恐らく彼女自身が最もわかっている。だから口にしない。口に出さないことで、何とか自らを罰しているのだ。
 自己満足であるとしても。
* * *

307 : ◆yufVJNsZ3s :2012/08/15(水) 08:47:11.54 ID:nCIrDtoE0
* * *
 次の日、狩野の机に菊が置かれていた。
 狩野は一瞬目を見開くが、まるで何もなかったかのように椅子を引く。
 せめて花と花瓶くらい除ければいいのに。そのようなこれ見よがしな態度が攻撃を激化させることをわかっていないのだろうか?
 しかし狩野の行動は明らかに不自然だ。俺が今考えたように、本来ならばおとなしくなるべきなのだ、やられている側は。
 性格なのだろうか。やられて黙っていられないほどの。
夢野「全く、転校生もよくわかんないねぇ」
女川「……」
勇「……」
夢野「どうしたのさ、二人とも。そんな黙りこくっちゃって」
勇「いや、なんか、頭が痛くてさ」
女川「うん……」
夢野「風邪でも引いたんじゃないのー? 保健室にでも行ってくればいいよ」
女川「うん……」
 女川の生返事を夢野は気にしないようで、花瓶に挿された菊の花を前に、じっと席に座っている狩野をにやにや見ている。

308 : ◆yufVJNsZ3s :2012/08/15(水) 08:47:42.86 ID:nCIrDtoE0
夢野「怖いよねぇ女って」
 女である夢野が言うのはおかしかったが、俺はそれを指摘する元気もない。日がな一日こうなのだ。それでいて病院にかかろうとは全く思えない。
 思えないというのは、単にやる気の問題であり、かつやる気の問題でしかなかった。やる気が根こそぎ奪われているのだ。誰が何の目的で俺のやる気などを奪っているのかはわからない。世界中の恵まれない子供にでもばらまくつもりだろうか?
夢野「ま、転校生も付き合いが悪かったしね。ね、ね、聞いてよ。あの娘、クラスのリーダー格の○○さんに、『存在が臭いからどっか行って』って言ったんだってさ!」
勇「あぁ……あぁ、そう……」
夢野「もう、もっと頑張ってよ! 張り合いがないなぁ!」
夢野「九尾の一押しだから期待してるのにさ!」
 夢野が何やら変なことを言っている。
 隣にいるはずの彼女なのに、どうしてか薄い膜を隔てた向こう側にいるようで、俺はどうにもうまくそちらを見られない。
 あぁ、そうだ、頑張らなければいけないのだ。頑張って、頑張って、何かをどうにかしなければいけないのだ。
 そんな気が、するのだけれど。
 チャイムに引きずられるように、俺は眠りについた。腕の枕は実に気持ちがいい。
* * *

309 : ◆yufVJNsZ3s :2012/08/15(水) 08:48:28.90 ID:nCIrDtoE0
* * *
 また次の日、トイレから戻ってきた狩野は、なぜかびしょ濡れだった。まさかトイレの中で夕立にでも降られたのだろうか? だとしたら運の悪いことである。
 朝にやっている教育番組のように、狩野に対するソーユーコトは、手を変え品を変えバリエーションが豊富だ。ゲームでチーププレイを拒む心理に通じるものがある。変なことに熱意を燃やす人間もいるものだ。
 最近、頭は痛くなくなってきた。代わりと言ってはなんだが、視界の端がうっすらと桃色に染まり始めている気がする。
 俺は女川の席を見た。彼女は本日欠席である。体調が悪そうだったから、家で安静にでもしているのだろう。
夢野「ねーねー、勇ちゃん。転校生がまたやられてるよ。あんなに頑張って意味あるのかな。どうせうまくいきっこないんだしね」
 何がうまくいきっこないんだろう。夢野は何を知っているんだろう。
夢野「ていうか、本当わけわかんない。クラスメイトに喧嘩吹っかけるなんて、どういう攻略法だろう?」
 俺にはお前の言っていることのほうが全然わかんないけどな。
 喉まで出かかった言葉は、けれどやる気の問題で失われる。無気力が全身をつつみ、がんじがらめにしているイメージ。
 なんとかしなければな、とは思っているのだが。
 いずれこの意思さえも縛られてしまうに違いない。
 それはそれで楽な生き方なのかもしれなかった。全てを自分の意思で選択し、決定し、進んでいくのは、経済的ではない。時には周囲に流されることも利得である。
 俺はぼんやりと夢野の言葉を聞いている。

310 : ◆yufVJNsZ3s :2012/08/15(水) 08:49:39.16 ID:nCIrDtoE0
夢野「あ、もしかしたらマゾなのかもね。それならよかったな」
そうなのか?
夢野「うん。ちょーっと登場人物のパターン弄って、みんな転校生をいじめるようにしといたんだ」
夢野「折角みんなに喧嘩売ってるみたいだったからさ」
 そんなこともできるのか。
夢野「まぁねー」
 違和感があった。俺はいま、口に出していたか?
 ……会話が成立しているということは、恐らくそうなのだろう。
 チャイムが鳴る。頭の奥へと侵食する、鈍い音だ。
 ぐぉおおおん、ぐぉおおおんという独特の鐘の音は、何かしら叫びだしたくなる衝動を増幅させる。もちろん俺は理性によって守られているため、そんなことはしないのだが、それにしてもこの音はどうにかならないだろうか。
 俺は立ち上がって鞄を取る。今のチャイムは放課を告げるものだ。ならば教室にいる必要もない。一刻も早く部室へ行かなければ。
 部室は安息の地である。あそこならば、何ものに惑わされることもない。

311 : ◆yufVJNsZ3s :2012/08/15(水) 08:50:14.41 ID:nCIrDtoE0
 脳髄へと伸ばされた誰かの手を振り払い、教室を後にする。無節操に解剖されるのは好きではない。だのに、誰かが違法行為をおかしているのだ。ぞわりぞわり這い登ってくる悪寒の主はその誰かに決まっている。
 部室へ行って、夢野と駄弁る必要がある。そしてそのあと本屋に寄って、女川の見舞いに行こう。そうしたら明日は学校で、それさえ乗り切ってしまえば土日の連休。
 そこで頭をゆっくりリフレッシュすればいい。夢だの現実だのに振り回される必要はない。
 もうすぐ終わるのだ。
 なにが? ーー学校が。平日が。
 だけれど本当にそうだろうか? もっと大事な何かが終わりを迎えるのではないだろうか?
 心がぎしぎしと軋んで悲鳴を上げる。経年劣化した輪ゴムが千切れるように、心もまた、劣化は早い。
 体中を掻き毟りたくなる感覚をなんとか押さえつけ、俺は部室を目指す。
* * *

312 : ◆yufVJNsZ3s :2012/08/15(水) 08:51:36.40 ID:nCIrDtoE0
* * *
 さらに次の日、狩野の机の中身が丸ごと避妊具に置き換えられていた。ご丁寧に中身が入った状態で。
 誰が何のためにやっているのか。そんなことは最早どうでもいい。戦争はすでに包囲戦へと突入している。諦めて退くか、兵糧が尽きて陥落するか、どちらか一つしか結末は存在しない。
 生きるということは戦争である。学校ならば、それに拍車をかける。
 吐き気がする。頭痛がする。倦怠感。眩暈。幻聴に幻覚。病んでいるのは周囲なのか、それとも俺の精神なのか。
 現実は加速し、とどまるところを知らない。ブレーキはすでにどこかへ吹っ飛んで行ってしまったのだろう。手を伸ばしたとしても、それより早く遠ざかってしまっては、行為をするだけ無駄というものだ。
 そしてまた、夢もとどまらなかった。あの日を境に現れた仮想現実は、俺の安眠を妨害こそしないまでも、着実に現実を蝕み始めている。
 目を覚ませば、明日にも俺は俺であって俺でない俺になっているのかもしれない。その考えは何度振り払ってもこびりついて黒ずんでいく。

313 : ◆yufVJNsZ3s :2012/08/15(水) 08:54:10.43 ID:nCIrDtoE0
 ぐぉおおおん。ぐぉおおおん。ぐぉおおおん。
 鐘の音で気が付けば、すでに放課後であった。昼食はどうしたのか、板書は書き留めたのかーーその辺りの記憶がまるでない。霞がかかった中で、正確な事実を引き出せない。引き出すほどの事実が本当にあったのだろうか。
 苛立ちは焦燥感を引き寄せ、精神を不安定にさせる。
 何かをしなければいけない強迫観念だけがあった。けれど、何を強迫されているのかがまるでわからないのだ。目的の欠如は方向感覚を乱して大いに俺を惑わせる。
 自然と手に力が入ってしまっていた。爪は加工された机の天板の上を滑っていくだけで、何にも引っかかることはない。力すら籠めさせてくれないのは、俺に対しての罰のつもりだろうか。だとすればなんと効果的な。
勇「部室……いかなきゃ」
 ほとんど反射でそう口にする。こんな状況下でも、俺は足繁く部室に顔を出していた。必ずそこには夢野がいて、気さくな会話を繰り広げる。
 あそこが唯一の安住の地だった。俺をやさしく包み込んでくれる桃源郷だった。

314 : ◆yufVJNsZ3s :2012/08/15(水) 08:56:11.61 ID:nCIrDtoE0
 脇目も振らず一目散に、誰よりも早く教室を出る。後ろからクラスメイトが声をかけてくるが知ったことか。掃除当番などサボタージュの対象だ。今はただ、今はただ俺は、この心を休めたいのだ。
 二階に一旦降り、渡り廊下を伝って特別教室棟へ移動し、さらにそこから階段を上って三階へ。
 突き当りを右に曲がった一番奥、物置のような小さな冒険部の部室。
 そこに酸素を求めるかのように、俺は扉を開ける。
夢野「やっほー」
勇「あぁ、夢野か。上春先輩は」
夢野「今日は用事でお休みだって言ってたよ」
勇「そうか……そうか」
 それは残念であるが、とにかく部室までたどり着けたことに意味がある。ともすれば過呼吸気味になりそうな深呼吸を経て、俺はぼんやり天井を見上げた。
 夢野の顔が目の前にあった。
夢野「ーーんっ」
 口づけをされる。舌が歯の間から割り込んでくる。
 蹂躙される口内。舐られる舌。
 けれど、驚きよりも心地よさが増すのはなぜだろう。
夢野「ぷはっ」
 口を離すと唾液が糸を引いた。満足そうな顔をしている夢野を見ると、俺は心の中心がほっこりしていくのを感じる。
 思考がうまく回らない。抵抗感が失われ、筋肉が弛緩する。
夢野「あの娘は結局どうにもできなかったみたいだね。賭けは、私の勝ちか」
夢野「なーんだ。案外呆気ない。見込み違いだったかな」
 下卑た笑みを浮かべ、軽やかに笑った。

315 : ◆yufVJNsZ3s :2012/08/15(水) 08:56:55.38 ID:nCIrDtoE0
 こいつは何を言っているのだろうか。浮かんだ疑問は、しかし一瞬で霧散する。誰かが思考の流れを絞っているのだ。脳髄の根っこを掴んだ手が、きっとどこかに転がっているはず。
夢野「勇ちゃん、私のこと、好き?」
 血のように真っ赤な夢野の唇の向こうに覗く、鋭い犬歯。桃色の吐息は酷い酩酊をもたらす。
 最早何もかもが面倒くさかった。
 ゆっくりと頷く。全てを彼女に任せておけば問題はないのだ。だって夢野は夢野なのだ。だから大丈夫。問題ない。
 ワイシャツのボタンが外されていく。次いで、夢野自身のそれも。
 豊満な胸が零れ落ちた。それに手を伸ばすと、夢野はにこりと笑って、触りやすいように突き出してくれる。
 夢の中にいるようだった。こんな心地のよいことがあるだろうか。茫洋とした霧の中でへらへらと浮かんでいるアリの群れが俺だ。
 外からは吹奏楽団の飛行機が屋根の上で大蛇と缶詰のツーシームに決まっていて格好いい。四件目のラーメン屋を混ぜ込んだヨーグルトと粘土の川は、今日がまた今日で来年の今日に決まった。
 蛋白質は電波に重なる魚の樹液に違いない。なぜならその中心に夢野が立っているから。
 夢野。
 歪む景色の中で夢野とその周りだけが燦然と煌めいていた。明るく、後光が差し、道を指示してくれているのだと俺はすぐにわかった。
 甘い香りに包まれる中で、これが現実なのだ。これだけが現実なのだ。