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勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」
Part10


206 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/24(火) 09:12:23.08 ID:COvsRb4l0
 数多の砲弾が撃ち込まれ、数多の剣が突き刺された白沢は、最早立ち上がることすら叶わない。時折呼吸で体が上下するだけだった。
兵士A?「……」
 近づいていく。不用心だと指摘する者はどこにもいない。
九尾?「流石じゃウェパル! さぁ、見せてくれ、お前の深奥を!」
 兵士Aの姿をした彼女は、唇をきゅっと噛みしめた。しかし何も言わず、白沢のそばまで寄り、手をかざす。
 傷口から白い何かが湧き出る。それを見ている者には、それが最初、膿か何かであると思った。もしくは体液の一種なのでは、と。
 当たらずとも遠からず。それは蛆である。
 マゴットセラピィというものがあるという。蛆療法と訳されるそれは、壊死した患部を蛆に食わせることにより、術後の回復が良くなるという療法である。
 しかしこの時ばかりは事情が別だ。蛆たちは壊死の有無にかかわらず、体組織が体組織であるという理由だけで食らいつく。何万から何億という爆発的増殖を繰り返し、蛆は白沢を瞬く間に覆い尽くした。
 覆い尽くした次は食らいつくすだけである。蛆に覆われた白沢のシルエットが段々とやせ細り、小さくなり、後には骨しか残らない。
兵士A?「……」
 そこでようやく、彼女が五人を振り返る。
 その瞳は暗く、暗く、どこまでも暗く、深い悲しみに覆われているように思われた。

207 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/24(火) 09:13:36.56 ID:COvsRb4l0
 隊長が無言で刀を向ける。白沢を瞬殺できる実力を見てなお、己の傷を理解してなお、魔物は敵だというように。
兵士A?「騙すつもりはなかったんだ。こればっかりは信じてほしい。難しいと思うけど」
 その発言は、彼女についての九尾の発言が全て事実であることを、半ば肯定したようなものだった。
 いや、目の前であのような規格外の出来事を見せられては、今の発言は駄目押しにしかならない。
 五人は理解していた。彼女は確かに人間ではないのだと。
兵士A?「ボクはウェパル。海の災厄、ウェパル。魔王軍の四天王」
隊長「何が目的だ。王城の中に紛れ込んで、何をしようとしていた」
ウェパル「……」
隊長「答えろっ!」
ウェパル「ボクが言ったことを君たちは信じてくれるのかい?」
 兵士Aはーーウェパルは、あくまで柔和に言った。きみたちと刃を交えるつもりはないと言外に伝えている。
 兵士Aの中身が変容したわけではない。彼女は今まで兵士Aであり、かつウェパルでもあった。事実を知ったからと言って人が変わったように思えるのは、人間の傲慢というものだ。
 兜に隠れた短髪。くりくりとした瞳。どこか憂いを帯びた表情。
 彼女は常に彼女である。

208 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/24(火) 09:14:40.82 ID:COvsRb4l0
隊長「……」
 隊長は口を噤んだ。無論、彼とて長年の部下を一刀のもとに切り捨てたくなどない。そもそも物理的にそれが可能であるかどうか。
 それでも彼は王国の兵士であった。騎士の名を賜るほど豊かな精神を持っているわけではないが、火種を放置していくわけにはいかない。
ウェパル「隊長はわかりやすいねぇ。ボクを信じたいけど、信じるのも職務的に、ねぇ?」
隊長「……魔物ってのは、心も読めるのか」
ウェパル「そんなわけないよ。ちょっと想像しただけ。心を読めるのは、それこそ九尾くらいのもんかな」
隊長「……」
ウェパル「説明するよ」
ーーそうしてウェパルは、自らの身に起こったこと、自らの心に起こったことを話し始めた。
 『人魚姫』という書物がある。一般的な童話だ。国の人間だけでなく、隣国の人間だって知っている、誰しも一度は読んだことがあるフェアリィテイル。
 物語では、陸に住む王子に恋をした人魚が人間として足をもらい、生活しに陸へと上がる。
 ウェパルもそうであった。
ウェパル「今でこそこんな姿だけど、ボクの本当の姿は人魚みたいなものなんだ」
 そう言って彼女は地底湖へと飛び込んだ。
隊長「おい!」
 逃げるのかーーそう言いかけて、あるわけないと思いなおす。逃げるくらいなら皆殺しにしたほうが早い。それだけの魔力を彼女は有している。

209 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/24(火) 09:15:35.45 ID:COvsRb4l0
 兵士Aの姿は湖面に消え、一拍置いて浮上する。いつの間にか鎧や兜は消え失せ、代わりに現れたのは一匹のーーもしくは一人のーー見目麗しい人魚の姿。
 木綿のシャツは体液で次第に腐食していく。臍の下から足の先までが緑青の鱗に覆われており、上半身の一部にもところどころ鱗がある。
 両の足は接合して一つの尾鰭を形成し、どこから見ても魚類のものだ。
 何より異質なのはその左腕。右腕はヒトの腕だったが、左腕は違う。刺胞生物のような、具体的に例えるならばヒドラのような、数多のうねる触手が枝分かれを繰り返している器官が付随していた。
 
 顔のつくりや髪の色、長さだけが、兵士Aのままである。
 ただ、僅かに瞳が黒く濁っているか……?
 いや、異なる部分が一つだけあった。胸から首、そして首から左の顔半分にかけて、赤紫色の大きな紋様が浮き出ているのだ。
 痣とも違う、完全に人為的な幾何学模様である。
ウェパル「ボクが海で生きる限り、この姿とこの紋様からは逃げられない。ボクは好きな人のそばにいたかっただけなんだ」
 だから、自らの魔法で足を生み出し、陸で生きようと決めた。もう二度と水辺には帰るまいと、そう思っていたはずなのに。
 童話のように泡になって消えたりはしない。また姿を人間に戻すことだってできる。けれど、情勢が情勢だ、もう二度と愛する人に近づくことはできないだろう。
 なぜなら、彼は王城で兵士に就いており、比較的高い地位にいたから。
 なにより、彼は職務に忠実だから。
 愛する妻と子供のために戦っているから。

210 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/24(火) 09:16:21.76 ID:COvsRb4l0
 まさか九尾が白沢まで持ち出してくるとは思わなかった。本気を出せば瞬殺できるとはいえ、人外の力を見せることなどできない。そうすれば正体が知れてしまう。彼のそばにいられなくなってしまう。
 しかし白沢を殺さねば、それこそ彼が殺されてしまう。
 天秤にかけるまでもないのに、心は苦しい。大きな不幸か小さな不幸か。不幸とわかっている未来の紐を引くのは、決して笑顔ではできない。
 それでも自分は紐を引いた。引くことができたのだ。
 それについて、誇ることすらあっても後悔はない。
 理由がどうであれ、正体がばれてしまえば、愛する人は自分に刃を向けるだろう。魔物と人間が手を取り合う世界はとうに終わりを迎えている。初めから実らぬ恋だったのだ。
 そんな風に諦めればどんなに楽だったろうか!
 心は不思議だ。押し込めた分だけ反発して、蓋を激しく叩きつづける。ここから出してくれと。自分を解き放ってくれと。
 だからこそここまで饒舌に話すことができるのだ。積りに積もった思い、積年の情は土石流のように流れ出す。堰はどこにも見当たらない。あまりの水流にどこかへ流されていったのだろう。
 だから、ねぇ、隊長。
 ウェパルはそこまで訥々と語って、顔を抑えた。
 ウェパルはぼろぼろと真珠の涙を零す。顔を抑えても指の隙間から溢れ出てしまう液体は、生命が生まれた原初の海の味である。
ウェパル「早く、逃げてください」
ウェパル「ボクはーー所詮、魔物なんです」
ウェパル「醜い腕と、恥さらしな呪印を押し付けられて」
ウェパル「魔族も、海も、全部捨てて陸に上がったっていうのに、結局ボクは幸せには成れなかった」

211 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/24(火) 09:17:02.62 ID:COvsRb4l0
 ウェパルの口の端が次第に引き攣っていく。
 ひ、ひ、とウェパルは何とか笑いを堪えていた。鋭い牙をなんとか隠しながら、全身の筋肉を働かせ、謀反を押しとどめる。
 魔物の体は心すらも魔物にする。
 著名な作家は、その著書の中でフランケン・シュタインの怪物についてこのように論じた。「怪物は生まれたときから怪物の心を持っているのではなく、周囲が彼を怪物として扱うことによって、はじめて怪物になるのである」と。
 作家は「顔」にのみ注目していたが、要するに同じことである。真実は存在しない。ただ解釈だけが心を形作るのだ。
 ぞわり、ぞわりとした感覚が、勇者たちを包む。
 ウェパルから染み出しつつある膨大な魔力が、地底湖に徐々に武装船団を顕現させる。海の災厄と名のつく通り、彼女は水を操り、嵐を起こし、武装船団を召喚させ、傷を操作する能力を持っている。
ウェパル「だから、ねぇ、早く、早くっ!」
 武装船団は帆の天辺まで現れた。陸であった頃は剣の一本しか形作れなかった具現化能力。水の中に潜ってしまえば、武装船団など造作もない。
 二十の砲台と五の帆を備えた巨大船。砲台を先端に備えた小型船。大量の剣と矢と鉾。
 あるものは水に浮かび、またあるものは宙に浮き、圧倒的物量が狙いを定めている。
「早く逃げてぇっ!」
 手に入らないなら奪えばいい。
 心が手に入らないなら、体だけでも奪ってしまえ。
 水中に沈んだものは全て自分のものなのだから。

212 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/24(火) 09:17:44.27 ID:COvsRb4l0
 怪物という毒がウェパルの心を侵食していく。
ウェパル「このままじゃ、あなたたちを殺して、殺しちゃう、殺す、こ、ころ、殺し、」
ウェパル「殺したいよぉおおおおおおぉっ!」
 大仰な音を立てて、全砲門が一斉に五人を捉える。
 勇者は咄嗟に道具袋から、洞穴に入る前に支給されたものを取り出す。
 キマイラの翼。老婆が特注した、移動用道具。
勇者「飛べ!」
 魔力で形づくられた砲弾が、武器が、十と言わず五十と言わず、それこそ二桁違いの千の数、一斉に放たれた。
 洞窟全体を震わす爆発音。一部ではそれこそ崩落した音すらも聞こえる。
 煙の晴れた後には、五人の姿はない。
 跡形も残らないほど粉々になったのかーー否。タッチの差で逃げられてしまったようだ。
 それを果たして「残念だった」というべきかどうかは定かではない。
九尾?「ご苦労様」
ウェパル「もとはと言えば、九尾が原因でしょ。殺すよ」
 虚空に対して大砲の口が向けられる。ウェパルは本気だ。
九尾?「命などいくらでも持って行け。ただ、全てが終わったらだ。それまで九尾は誰にも殺されるつもりはない」
九尾「九尾にはまだやることがある」
ウェパル「……お前は、何を考えている? ……ボクにはわからない」
 返事を聞こうともせずに、ウェパルは武装船団を消失させた。そうして地底湖に潜って消える。
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218 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/08/01(水) 08:10:46.03 ID:HjpWLE040
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 兵士Aは戦死した、という報告がなされた。
 王都、王城にある一室。兵士たちは鬼神討伐の功労を称えられ、いい酒、いい食事を前にした宴会が行われている。
 様子ははっきり言ってしまえば有頂天だ。強者たちは鬼神に苦戦しながらも、なんとか一人も欠けることなく倒し、帰ってきた。それでも激戦だったことには違いないようで、欠席者こそいないものの、いまだに包帯でぐるぐる巻きになっている者もいる。
 死線を潜り抜けたものの顔は晴れやかだ。どんなものが相手でも、もう二目見ることができないのだと思ってからでは、感動はひとしおである。
 なぜ、立地的にも戦略上の要衝となりえないあの洞穴に鬼神が住みついたのか。老婆含む上層部はその点について議論していたが、今ばかりは羽目を外している。
 話を聞く限り、明日の朝一でまた洞穴へと戻るらしい。魔術的な痕跡から敵の目論見がわからないか、と老婆は勇者に言っていたが、話の内容があまりにも術式的に高度で理解がおっつかないというのが正直なところだった。
 勇者は葡萄酒をちびちびとやりながら、ライ麦のパンを千切って口に運んだ。
 やはり王城の食べ物はうまい。もう一口、もう一口と食べ進める間に、パンは半分ほどになってしまう。
 まぁ誰に迷惑をかけるわけでもなし、勇者はさらにパンを千切る。
狩人「あーん」
勇者「……」
狩人「勇者?」
 狩人が口を開けていた。
 表情は普段と変わらないが、顔がかなり赤い。

219 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/08/01(水) 08:12:35.24 ID:HjpWLE040
狩人「あーん」
勇者「あ、あーん」
勇者(なんだこれ、めちゃくちゃ恥ずかしい)
 勇者の気持ちなどどこ吹く風、狩人はパンの欠片を咀嚼し、にこりと笑う。
狩人「勇者、勇者」
狩人「好き」
 しなだれかかってくる狩人。眠っているのかと思えばそういうわけでもないらしい。表情を蕩けさせて、うへへ、と笑っている。
 勇者は辺りを見回した。なんだか周囲の、面識もない兵士たちが、こちらを見てにやにや笑っているように思えたためだ。
 所詮酔っ払いの嬌態だと、勇者は努めて冷静になるよう心掛ける。彼自身酒は回っているが、さすがにここまではならない。
狩人「ね、お酒飲も、お酒」
勇者「そろそろいい加減にしておけよ」
狩人「だって最近ずっと戦いっぱなしで、息抜きもできてないから」
勇者「だからってさ」
狩人「このままだと心病んじゃうよ?」
 はっとした。狩人はどこまで自分のことを見ているのだと彼は思った。
狩人「世界を平和にしてもさ、自分を犠牲にしちゃ意味ないじゃん」

220 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/08/01(水) 08:14:07.75 ID:HjpWLE040
勇者「狩人」
 返事はない。
勇者「……狩人?」
狩人「んー……勇者……好き……」
勇者(寝たのか)
 段々と彼女の顔が落ちてくるものだから、勇者は観念して自分の太腿に頭を誘導してやる。すやすや眠る彼女の顔は、いい夢でも見ているのだろうか、幸せそうだ。
 一年半前、彼女と旅を始めたころは、彼女に笑顔が戻るときが来るとは思っていなかった。あのころは……そうだ、賢者と盗賊を連れていたのだ。
 ゆっくりと頭を撫でてやる。狩人の髪質は細く、柔らかい。まるで子供のそれだ。
 指に絡みつき、持ち上げればするりと溶けていく感覚が、勇者は当然嫌いではなかった。彼女が覚醒しているときにやるといろいろ面倒なので自重しているだけだ。
 面倒というのは、主に理性とか、自制とかが。
勇者「?」
 部屋の隅が何やら騒がしかった。目を凝らせば老婆をはじめとする一団が随分と盛り上がっている様子である。年寄りの冷や水は寿命を短くするというのに大丈夫なのだろうか。
 勇者が葡萄酒を呷ると、ジョッキは空になった。葡萄酒だけではなく、蒸留酒も麦酒も控えている。どうせ自分らの金ではないのだから、飲めるだけ飲んでも罰は当たるまい。
 太腿に頭を乗せている狩人を起こさないように、そっと立ち上がる。
 足がふらついた。
勇者(おっと……久しく飲んでないから、弱くなったかな)
 一応麦酒を注ぐだけ注いで、廊下に出る。涼しい風が頬にあたった。
勇者(窓が開いているのか)
 夜風にあたろうとバルコニーへ向かう。記憶が正しければ今夜は下弦の月だ。

221 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/08/01(水) 08:15:47.37 ID:HjpWLE040
少女「よ」
 先客がいた。脇腹に包帯を巻いて、上から軽く着物をひっかけている。
 流石に飲み物は酒ではないらしい。普通の茶だろう。
勇者「風邪ひくぞ」
少女「そん時ゃそん時でしょ」
 少女は快活に笑って言った。
少女「今は夜風に当たりたい気分なのよ」
 奇遇だな俺もだ、とは言わなかった。勇者は無言で少女の隣に立ち、手すりに体を預ける。
少女「ありがとね、庇ってくれて」
勇者「あぁ。傷、大丈夫か?」
少女「掠っただけよ、大ごとじゃないわ。あんたのお蔭。……業腹だけど」
勇者「そりゃすまんね。ま、でも、盾になるのは俺が適任だ」
少女「そう。そうよね。うん」
少女「死ぬのは怖くないの?」
勇者「最初は怖かったけどな。今はもう慣れた。慣れは、つまり麻痺ってことだ。感覚を鈍化させる」

222 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/08/01(水) 08:20:31.63 ID:HjpWLE040
少女「でもさ、さっき生き返ったから、次も生き返るなんて保証はどこにもないわけじゃない。もしかしたら最後の一回だったかもしれない。回数制限があるのかもしれない」
少女「大体、あんたに能力を授けてくれた女神様? そいつだってそれ以降は全然姿を見せないんでしょ?」
少女「なんで不確定なものを信じられるの? 怖くないの?」
 質問攻めである。勇者は苦笑して月を見た。
 やはり、下弦の月だ。大分痩せている。
少女「アタシは、あんたのことがわからない」
勇者「知りたいのか」
少女「……狩人さんだって知ってるんでしょ。おばあちゃんも、なんとなくはわかってるみたいだし。癪なの、そういうの」
少女「アタシはあんたに死んでほしくない。例え生き返るんだとしても」
勇者「……」
少女「なによっ、悪いっ!?」
勇者「いや」
少女「もう! いいからあんたの話をしなさいよっ!」
勇者「……笑うなよ」
少女「笑わないよ」
 勇者は自分が何を言っているのかわからなかった。プライベートな、しかも心の内を吐露するなど、考えられなかったことだ。
 アルコールによる酩酊が悪さをしているのだろう。そう思うことにする。

223 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/08/01(水) 08:21:32.59 ID:HjpWLE040
勇者「……俺は、お前らがうらやましい」
少女「は?」
勇者「最後まで聞け。……お前らは強い。俺はお前らみたいな強さが欲しい」
勇者「目の前でどんどん人が死んでいくんだ。魔物を相手にしてれば当然だけどな。でも、五人、十人が死んで、俺はたまに思うんだ。俺は疫病神なんじゃないかって」
勇者「少なくとも、俺が強ければ仲間は死なないだろう。その程度の強さくらいは欲しいもんだ、そう思うもんだ」
勇者「誰かが目の前で死ぬのは見たくない。それが嫌だからって引きこもってても、俺はたぶん、世界のだれかがどこかで苦しんでいる事実に耐えられない」
勇者「みんなを救うなんてできるはずもないのにな」
勇者「だからせめて、俺の手の届く範囲のやつは救いたいんだけど、な。狩人とか、ばあさんとか……お前とか」
勇者「でも、お前らのほうが強いわけだ。なんていうか、大変だよ」
少女「ガキっぽいよね」
勇者「自覚はあるんだ」
少女「自覚はあるんだ?」
勇者「なきゃ、こんなに苦労はしないな」
少女「ま、そうか」

224 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/08/01(水) 08:22:39.74 ID:HjpWLE040
少女「でもね、勇者。誰かを救うってことは、助けるってことは、強くたって難しいよ」
少女「アタシは……過去に人を殺したことがある」
勇者「……」
少女「もうね、最悪。何度も夢に見た。フラッシュバックも終わらない」
少女「最初会ったとき、あんたにも苦しめられたし」
勇者「……悪い」
少女「もういいよ。よくないけど」
少女「人を殺したことが仕方ないとは思えない。思いたくない。もしかしたらもっと他にいい方法があったのかもしれない。でも、アタシが人を殺すことによって、結果として殺した数より多くを救えたのは事実。そしてそれがアタシの誇りなの」
少女「アタシはその誇りを杖に、今まで生きてきた」
少女「個人の絶対的価値は存在しないんだよ。事実はこの世にはない。ただ解釈があるだけ」
少女「何人救えなかったかじゃなくて、何人救えたかの物差しで測ればいいじゃん」
少女「少なくとも、狩人さんは救われてるんでしょ、アンタと出会って」
少女「アタシだって救われたわ」
少女「あんまりバカ言ってると、ぶっとばすよ」
勇者「……」

225 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/08/01(水) 08:24:14.55 ID:HjpWLE040
 勇者は少女の顔が直視できなかった。だから、彼女がどんな顔をしているのか、彼にはわからない。
 笑っているのか、悲しんでいるのか、真顔なのか。
 そのどれもが当てはまるような気がした。
少女「……ちょっと寒くなってきたね。アタシは部屋に戻るかな。お酒はどうにも飲めないし。アンタは?」
勇者「もう少し、いるよ」
少女「そ。……最後に、一つだけ」
少女「世界の裏側にいる人を助けたいって気持ちは立派だけど、どんな死もどんな苦しみも、たった一つのものだよ」
少女「世界の裏側のそれに気をとられて、すぐ隣のそれを蔑ろにするのは、どうなのかなって思う」
少女「不幸な死が悲しいんじゃない」
少女「死は普遍的に悲しいもんでしょ」
少女「地震や津波で死んだ人が、家族に看取られて死んだ人に比べて悲しむ必要があるっていうのは、やっぱり欺瞞だよ」
少女「わかってるとは思うけど、一応ね」
少女「それじゃ、おやすみ」
勇者「おやすみ」
 少女が廊下の向こうに消えていく。
 彼女の片鱗はたった一枚でも重厚だ。だが、重厚な片鱗を持たない存在が、果たしてこの世に存在するだろうか。

226 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/08/01(水) 08:25:24.79 ID:HjpWLE040
 目頭が熱くなって思わず勇者は空を仰ぐ。墨を垂らした宵闇に、尖ったもので引っ掻いたような傷跡として、月と星が点々と輝いている。
 彼は信念の虜囚だ。
 信念という目に見えないほど細く、そして頑丈な糸が、彼を縛り付けている。
 自縄自縛。もがけばもがくほど糸は絡まり出られない。
勇者「……寒いな」
 呟いて、引き返す。まだ先ほどの部屋ではどんちゃん騒ぎが繰り返されていた。
 酔いも覚めている。最後に一杯ひっかけてから帰ろうと、部屋に入って麦酒とビスケットをつまんだ。
 喉が鳴る。酒はいいものだ。憂き世の辛さを忘れさせてくれる。
 ジョッキから口を離し、辺りをぼんやり見まわせば、なんとまだ狩人が潰れて寝ていた。空いた樽に抱き着いている。
勇者「しょうがねぇやつだ」
勇者「おい、狩人。寝るなら寝るで、部屋で寝ろ」
狩人「んー……」
 一向に起きる気配を見せない狩人であった。顔は依然上気し、気持ちよさそうだ。全く緊張感のない。
 ぺちぺちと頬を叩くが、それも効果はない。
 勇者はため息を一つついて、なんとか上手に狩人を背負う。風邪でも引かれたら厄介だし、他の男に寝姿を曝させるのも、その、なんというか……心がざわつく。
狩人「ん……やめて……」
 背負われるのが嫌なのかと思ったが、どうやら夢のようだ。悲痛な、切迫した声。そういう夢を見ているのだろう。

227 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/08/01(水) 08:26:30.81 ID:HjpWLE040
 背負われるのが嫌なのかと思ったが、どうやら夢のようだ。悲痛な、切迫した声。そういう夢を見ているのだろう。
 大陸の中央に大きく聳える大森林、そこで狩人の一族は住んでいた。狩猟採集を主として生活する彼らは、文明とは縁遠い生活を送る、いわば未開人だ。その分食物加工技術や手工芸品の腕には優れ、周辺地域の人々の生活とは密接にかかわっていた。
 驚くべき弓の腕前も生活の中で培われたものだ。
 ある日、彼女の集落が襲われた。近隣の砦から魔物が群を成してやってきたのである。その進行の速度は迅雷で、波が砂の城を浚っていくように集落を飲み込んだ。
 
 彼女はそこであったことを勇者に伝えていない。よって彼が知ることは断片的である。
 必死に彼らは抵抗したが、鏃や短剣だけでは、抗うことはできても対峙することは難しいかったこと。
 ひとり、またひとりと狩人の親族や仲間が倒れていったこと。
 ついには敗走へと至ったこと。
 そして、勇者らがやってきたときには、唯一狩人が生き残りとして追い詰められている最中であった。
 勇者はそれを運命であるとは思っていない。結局は偶然で、狩人は運がよかっただけということになる。
 傷物にされて殺された女性がいる中、狩人がなんとか毒牙にかけられなかったというのもそうだろう。ほんのタッチの差で、恐らく狩人は死んでいたはずだ。
 勇者の服が強く掴まれる。
 夢は誰にだって苛烈だ。狩人にも、勇者にも、少女にも。それはある意味平等で、公平で、分け隔てなく優しい。