Part35
711 :
パー速民がお送りします: [] 2009/04/02(木) 06:23:54.94 ID:
iQzL7yso
//7
季節がはじりじりとした速度で移っていった。
紅鳩はあいも変わらず、あの太陽のような笑顔を振りまいて、
宮廷に騒ぎを巻き起こしている。
俺のほうはといえば、公務に忙殺されていた。
どうも東宮の仕事というのは際限が無いらしい。何かをしよ
うとすれば際限なく仕事が増えていくのだ。仕事が増えて、し
かもそれらは伝統や慣習、既得権益でどろどろのがちがちに固
定されている。ちっぽけな決め事ひとつを変更するのに、山を
ひとつ動かすほどの労力が必要とされることも少なくは無かっ
た。
逆に、手を抜いて投げ出すことを気にしなければこれほど楽
な仕事も無いだろう。
歴史ある帝国の機構と官僚組織は、俺がいなくなっても何の
問題もなく帝国を運営していくことが出来る。しかし、それは
腐敗の上に腐敗を塗り重ね、未来から希望を借金した上での運
営だ。
別にそれでも構わない。
それを否定する理由は俺の中には何も無かった。
712 :
パー速民がお送りします: [sage] 2009/04/02(木) 06:24:14.76 ID:
iQzL7yso
だが俺は意固地になって仕事にしがみつき、砕けぬ岩を砕き、
掘れぬ道を掘りぬき、動かしようが無い慣習と取っ組み合いを
して、毎日泥のように疲れては眠りにつく日々を過ごした。
俺が俺に課した制約に従って。
週に数回、紅鳩は俺の寝室に迷い込んできた。
俺の部屋はどうやらトイレの帰り道にあるらしい。
紅鳩付きの女官達は何をやってるんだ。
紅鳩は白いすとんとした寝巻きに巨大な枕を抱えてふらふら
と現れる。いつもの寝言じみた言葉をもぐもぐと呟くと、俺の
布団にもぐりこんでくる。
太陽の光を吸い込んだような香りに幼い甘さが混じる。
高い体温に暖められた布団。
紅鳩はもそもそと布団の中で細い手を動かすと、枕を探して
俺に抱きついてくる。どんな夢を見ているのか、小さな仔熊耳
を動かして、すんすんと鼻を鳴らしていたりする様は可愛らし
い。
懐かれているんだなと思う。
その前髪をかきあげる。
故郷を遠く離れて人身御供に捧げられ、その犯人一味に懐か
なければ生きていけない境遇を思うと、凍ったような苛立ちが
俺の手足をこわばらせた。
眠りについた幼い笑顔が透明すぎて、床に落ちる月影が蟻の
歩みよりも遅く動くのを見つめる夜もあった。
紅鳩のしがみ付いてくる体温が心地良く思えて、
それゆえに、そんな夜は酷く胸が軋んだ。
713 :
パー速民がお送りします: [] 2009/04/02(木) 06:32:04.31 ID:
iQzL7yso
//7
「ふむ」
俺はぐるぐると肩を回しながら書類に署名を添えて決済済み
の箱に突っ込んだ。
箱の中の書類は十二束。少なく思えるかもしれないが、この
箱の書類は一日三回は書司の者が運び去る。
「むぅーぅ。こんな時間か」
執務机のお茶はすっかり冷めて、夜も更けていた。
俺が眠らない以上、女官や侍従も眠ることは出来ない。主よ
り早く起き、主よりも遅くまで仕事をする。帝国ではそれが召
使の仕事のしきたりとされている。
だが、それは不合理な慣習だ。人間そんなに長い間仕事をす
れば集中力も落ちる。俺は俺の寝起きに関係なく、俺の身の回
りの人員は三交代制を取るように指示していた。
この時間は深夜番のものが詰めている。昼間の人員よりは少
ないが不自由は感じないようになっているはずだ。
俺は未決裁の書類をちらりと眺めると、熱い茶を頼もうと鈴
を鳴らした。
714 :
パー速民がお送りします: [sage] 2009/04/02(木) 06:33:24.49 ID:
iQzL7yso
ぺらぺらと書類をめくってみる。
ギルド間の調停。
資源輸送の指示。
新法案の起草書。
近隣諸国の政情報告。
無数にある職人組合の決算報告。
部署ごとの人員報告と、経費の報告。
目だったものはないがどれもこれも重要だ。……というか、
まだまだ経験の浅い俺にはどれもひどく重要に思える。何か見
落としてはいないかと何回も目を通すが、それでもとんでもな
い失敗をしやしないかと冷や汗が流れることも多い。
親父が押し付けた仕事だ。
そんなものは失敗しても親父の責任だ。
そうは思っても、経験不足と未熟の悲しさ。萎縮した思考が
焦りを呼ぶのを止めることが出来ない時も多い。まぁ、これで
もここ半年でずいぶん慣れはしたのだ。
最初のころは毎日が癇癪の連続だった。今では癇癪も悲嘆も
物事を前に進めてはくれないと理解している。
いや、癇癪を起こすだけの気力が擦り切れただけなのかもし
れないが。
715 :
パー速民がお送りします: [sage] 2009/04/02(木) 06:33:38.31 ID:
iQzL7yso
「ロンドの紅茶です。鴒星様」
女官の一人が書類に視線を落としたままの俺に紅色の茶を差
し出してくれる。俺は上の空でそれを受け取る。
「ああ、すまんな。夜遅くに」
「いえいえ」
やわらかく落ち着いた声にふと視線を上げる。
「内侍長!? 何でこんな時間に。とっくに寝てるはずだろう?」
「それは鴒星様も一緒でしょう?」
役職に合わせて潔癖なほど地味な装束をつけた昼間とは違い、
それよりは少し砕けた、しかしやはり黒い包衣をまとった内侍
長は、普段どおりの微笑を浮かべている。
「晩餐会の後、鍛冶ギルドの報告を聞いて『今日の仕事はここ
までにしよう』と蔵人様にも私にもおっしゃったじゃないです
か」
「あ、ああ。まぁ、そうなんだけどさ。気になる書類があるっ
つーか。終わらないっつーか」
俺は頭を掻く。
内侍長は俺の言葉には答えずにふわりと微笑むと、俺が決済
済みに放り込んだ十二の書類をぺらぺらと確認していった。
716 :
パー速民がお送りします: [sage] 2009/04/02(木) 06:33:49.97 ID:
iQzL7yso
朝になれば、内務を取り仕切る蔵人や俺の詔を起草してくれ
る外記と俺自身の4人でもう一度確認することになる。今のと
ころその三人が俺が完全に当てに出来る数少ない味方なのだ。
あと6時間もすれば確認するはずの書類を、俺に数倍する早
さで内侍長は読み通してゆく。穏やかな表情だが、眼鏡の奥の
瞳は聡明な光を放っている。
「根を詰められましたね、鴒星様」
そう微笑まれて、俺は肩の力が一気に抜ける。
内侍長がこう云ってくれるということは、致命的なミスはな
かったのだろう。対処のおおよその方向性も間違えてはいない
ということだ。
「良かった。宿題でどやされなかったような気分だ」
「私はそんなに厳しいお仕置きをしたりはしませんよ」
内侍長はころころと笑う。
俺は安心して次の書類を取り上げた。月が沈み、朝日が昇る
までにはまだ時間がある。この調子で頑張れば、朝までにはあ
と6つや7つの書類は片付けることが出来そうだ。
717 :
パー速民がお送りします: [sage] 2009/04/02(木) 06:34:09.60 ID:
iQzL7yso
「――鴒星様?」
「ん?」
その言葉にも俺は書類から視線を上げずに応える。
「お部屋にはお戻りになりませんの?」
「ああ、そこの寝椅子で十分だ。朝には風呂に入ってメシはく
うよ。大丈夫、まだいけるって」
気候もいいし、最低限の睡眠はとっている。まだまだ気力も
持つつもりだった。
「……」
ふと、内侍長の言葉が途切れる。
その視線の先は、暗い窓の外。八つの針のような尖塔に串刺
しにされた月を見上げている。
――月、か。長い間見上げてもいなかった気がするな。
「紅鳩様のことですか?」
内侍長の一声で、空気が張り詰める。
それは俺にとっては触れられたくないことだった。
「鴒星様?」
いっそ優しげな内侍長の声が、軋むような痛みを思い出させ
る。だから俺の言葉には棘が含まれていたのだろう。それは未
熟な俺が自身を覆う役にも立たない鎧。
「……関係ない」
俺のふてくされた声。内侍長はゆっくりと振り向くと、俺の
そばの床にふわりと座り、頭をたれた。
718 :
パー速民がお送りします: [sage] 2009/04/02(木) 06:34:27.79 ID:
iQzL7yso
「ですが」
「私事だ。関係の無いことだ」
たぶん俺のそれは癇癪だった。触れられたくないことに、後
回しにしてきた問題を突かれた俺の八つ当たり。子供じみた意
固地に過ぎなかった。
だが、その意地はすぐにでも俺に突き返されるものでしかな
い。
「仰せのままに。過ぎたる詮議をお許しください。東宮の君」
穏やかで優しい言葉。
丁寧に頭を下げる仕草。
俺個人ではなく、『東宮』に対して執られる礼。
内侍長のその言葉にならない拒絶に俺の身体は締め付けられ
る。
傷口に塩を塗りこまれるような慙愧が俺を貫く。東宮という
言葉が隔てる距離感が、俺の心を凍るような虚無で食い荒らし
始める。
「やめてくれよ。その『東宮』っつーのは。――それだけは勘
弁してくれって、最初に言っただろうっ」
声は荒げないで済んだが、俺の言葉は実際悲鳴に近かった。
その言葉が俺から奪っていた幸せな時間と、その言葉が俺か
ら奪っていった親しい人々の追憶が俺を苦しめる。納得をした。
割り切ったはずの色んなものがあふれ出して暴れだす。
その痛みは鮮明。その傷口には鮮血。
要するに、割り切っただなんて、そう思い込もうとしていた
だけなのだと俺に思い知らせるのだ。
719 :
パー速民がお送りします: [sage] 2009/04/02(木) 06:34:50.77 ID:
iQzL7yso
「……」
視線を上げた内侍長が俺を見つめる。
「……」
臣従の姿勢を崩さぬまま、俺に決断を迫る。
俺は唇をかみ締める。
「済まない。甘えた事を言った。……何かあるなら聞かせて欲
しい」
俺は内侍長に告げる。
「……紅鳩様のことです。なぜお抱きにならないのです?」
「くっ」
最短距離の問いかけだった。想定していた問答のほとんどす
べてを省略して侍従長はただ真っ直ぐに尋ねてきた。
「紅鳩はまだ十三だ。そういうことをするには幼すぎる」
「だから遠ざけるのですか?」
「遠ざけてなどいないっ」
「……部屋で待っていらっしゃいますのに?」
ふと立ち上がった内侍長は先ほど見上げていた月の見える窓
際に俺を誘った。地面に近いせいか不思議なほど大きく見える
月の明かりが、シルエットになった蒼羽宮の塔を照らし出して
いる。
「鴒星様。紅鳩様付きの女官が、紅鳩様の夜のお出かけを知り
もしないと?」
「……え?」
720 :
パー速民がお送りします: [sage] 2009/04/02(木) 06:35:08.68 ID:
iQzL7yso
「この蒼羽宮にお迎えした姫君ですよ? 私達が化粧室も着い
ていないような寝所をご用意するとお考えですか?」
「え? あ……」
内侍長は月を見上げたまま静かな声で俺に尋ねる。
……化粧室?
そうだ。
俺の寝室にだってトイレくらいついているぞ。
客人の部屋のことは知らないが、それくらいの設備はあるの
ではないのか?
「いくら紅鳩様が幼いとはいえ、おねしょをするような年では
ありませんよ」
「じゃぁ、何故」
「――部屋を追い出されるのです」
ころりと転がった内侍長の言葉が俺に理解されるまで一瞬の
時を要した。
「追い……出さ……?」
ざわざわと音がする。
ごうごうと音がする。
「判りませんか? 本当は判っているのですよね」
内侍長が大きなはめ込み窓の前で振り返る。
月を背負ったその姿は逆光に沈み定かには見えない。ただ、
優しいとも無慈悲とも取れるアルカイックスマイルと静かな声
で俺に告げるのだ。
721 :
パー速民がお送りします: [sage] 2009/04/02(木) 06:35:50.17 ID:
iQzL7yso
「そうですよ。鴒星様。――あなたに」
穏やかな優しいとさえ云える聞きなれた声で。
「――夜這いをしろと」
逆巻くような、轟くような音。
「――追い出されるのです」
ざわざわと、ごうごうと、不快な異音が響く。
それは俺の血の流れる音だった。
俺の血管を血が巡る。肺が呼吸し、心臓が鼓動し、その血液
が巡っている。その不快な真紅が視界を炙り、手足を痺れるよ
うに冷たくする。
――それは頼りにするし、懐くし、慕いもするだろう。
――だってそれ以外にどうしようがあるというのだ。
――華美な包装で包まれていても、紅鳩は献上品だ。
耳鳴りのような血液の音が脳裏を覆い、コントラストを失っ
た視界の中には強い視線で俺を見つめる内侍長だけが立ち尽く
している。
つもりだった。……判っていたつもりだった。
でもやはりそれは『つもり』でしかなかったのだ。
阿呆か、俺は。
救えない愚者とは俺のことだ。
722 :
パー速民がお送りします: [sage] 2009/04/02(木) 06:36:06.29 ID:
iQzL7yso
「それじゃぁっ!」
苛立ちがそのまま声に出る。
「そんなもの、余計に抱けるわけがないだろうっ! 上等の餌
よろしく目の前にぶら下げてやったから食えと? それが南域
の流儀か? それとも我が帝国の流儀なのかっ!?」
机にたたきつけた拳の痛みさえ感じない。
それを感じるにはこの音が邪魔すぎる。
命を巡らすこの身体が邪魔すぎる。
「……」
「故郷を追い出して東宮の元に送れば、寂しさと義務感で東宮
に股を開くだろうと? だから送ったのか。それを受け取った
のか? あれはっ! あの娘はっ!」
食いしばった歯の間で言葉が停止する。
あれは、違うのだと。
紅鳩は、そんな娘ではないと?
紅鳩は、そんな風に扱ってよい娘ではないと?
どの口で言えるのだろう。その紅鳩を故郷から引き離した帝
国の東宮が。
「鴒星様」
「……出来ない」
「出来なくはありません」
それは神託を告げるような、恐ろしい声。
723 :
パー速民がお送りします: [sage] 2009/04/02(木) 06:36:25.89 ID:
iQzL7yso
「出来ないんだ」
俺の声は掠れて弱かった。
――逃げたかった。
逃げられないとは判っていたのに。
だがこの瞬間、臆病な俺は逃げ出したくてたまらなかった。
「選択肢はほかにはありません。――抱きなさい」
穏やかないつもどおりの声。だけどそれは動かしがたい氷の
衣をまとって響く。うつむいた表情。美しい前髪と眼鏡に隠れ
て内侍長の瞳の色はもう見えない。
「東宮、だからか……」
「そうです」
一切の逃避も斟酌も許さない氷刃のような穏やかさ。
「ですが」
そこに、願いのように小さな明かりが灯っている。
「願えば、その先にある選択肢は見出せるかもしれません」
――選択肢? そんなものはない。
724 :
パー速民がお送りします: [sage] 2009/04/02(木) 06:36:40.61 ID:
iQzL7yso
抱かれることでしかここにいることの出来ない紅鳩。
抱くことでしか紅鳩への謝罪が出来ない俺。
この先にどんな選択肢があるというのだ。
「……判った」
自分でも驚くほど平静な声が出た。
呼吸が息苦しい以外は、もう落ち着いたようだ。
胸が硬く凝固して岩のように鈍くなる。だが、それしかない
のなら、それをやらなければならない。
俺がどう思おうと、それは関係ない。紅鳩がどう思おうとも
はや関係ない。
紅鳩を犯して帝国の物にする。
それが治世のためであれば、東宮の職務は一つだけ。
内侍長の眉が曇り、何かを探すように白い指先が持ち上がっ
た気がしたけれど、俺はもう歩き出していた。
判決の槌の音を立てて、執務室の重い扉が閉まる。
すべてを断ち切り、すべてを憎むように俺は自室への歩を進
めていった。
725 :
パー速民がお送りします: [] 2009/04/02(木) 06:46:40.23 ID:
iQzL7yso
//8
「ん……はぁぅ……」
薄いシーツがもそもそと揺れている。
泣く様なか細い声。それは紅鳩の声。
いつもどおりの白い寝巻き。襟を縁取る赤く細いリボンが今
日は虜囚を戒める鎖に見える。
紅鳩はすすり泣くような吐息を漏らすと、抱きしめた巨大な
枕に顔を埋める。こすり付ける頭の動きに小麦色の髪が揺れて、
わずかな月の光を照らし返す。
「うぅ……〜っ。……すん。……はぁぅ」
俺は寝台の端に腰を下ろす。
その揺れで気がついたのか紅鳩が顔を上げた。
彷徨う視線。俺を認めて、呆けたようにぼんやりとする。
「――れいせぇ様?」
夢うつつのような声。
くてんと横になったままで、紅鳩の小さい手が俺の衣の端に
触れる。
ちょんちょん。
まるで野生の動物を確認するかのように触れて、様子を伺う。
蕩けた瞳はまだ夢の中にいるように潤んでいて、その指先の
動きもどこか頼りない。
726 :
パー速民がお送りします: [sage] 2009/04/02(木) 06:46:57.26 ID:
iQzL7yso
「――れいせぇ様だっ」
とろんとしていた表情が、一気に赤く染まる。
紅鳩は飛びのくように身体を起こすと、巨大な枕を抱きかか
えるように正座をする。見ていて可哀想になるほど動揺して、
枕の防壁から覗かせた瞳で、上目遣いに俺を見上げてくる。
「えっと、あの。……あのぅ、これは、違うです。違いますっ」
わたわたと身をよじって説明しようとする紅鳩。
必死になれば必死になるほど言葉が出てこなくなって、もご
もごと口の中で言い訳を繰り返す。
――ああ。
まったく適わないな。
俺の身体からこわばったものが抜ける。
俺の気持ちを鎧っていた強さが抜けてゆく。
やはり紅鳩は紅鳩なのだ。俺がいくら汚すつもりでこの部屋
へ戻ってきたとしても、この笑顔の前では痛みを感じないなん
て出来ない。
俺はどこか諦めたような穏やかさで微笑んだ。
「ごめんなさい、ごめんなさいですっ。あの、れいせぇ様っ。
すぐ出て行くからっ〜」
必死に小さくなって謝る紅鳩。彼女の頼りない華奢な体格に
改めて気がつく。
727 :
パー速民がお送りします: [sage] 2009/04/02(木) 06:47:14.01 ID:
iQzL7yso
「どこに行くんだ?」
「……はぁう。……お部屋?」
紅鳩は相変わらず抱きかかえた絹の枕の陰から、怯えた小動
物のようにこちらを見上げて答える。
「疑問形で答えてもダメ」
俺の言葉に紅鳩はびくりと動揺する。目に見えるほどの狼狽。
内侍長の言葉はやはり真実だったわけだ。癒える事の無い生
傷のような痛みが、粘液質な不快さで俺の胸に広がる。
「――お庭」
俺の無言を追求だと感じたのか。哀れなほど縮こまった紅鳩
が答える。
「お庭のハオフゥの木はおっきいの。ゆさゆさの木で揺れて眠
ると、涼しいんだもん」
「そんなところじゃ、背中が痛くなるぞ」
「そんなことは無いもん。紅鳩は、南の森ではそうやって寝る
こともあったんだもの」
俺のため息交じりの言葉に紅鳩は反論するが、言葉が途切れ
るとやはり萎縮する。
その態度が紅鳩の苦境を俺に思い知らせる。
728 :
パー速民がお送りします: [sage] 2009/04/02(木) 06:48:07.57 ID:
iQzL7yso
「はぁう〜」
「……」
それでも、俺は言葉を捜せない。
そんな紅鳩にかける上手い言葉などあるはずも無い。
「紅鳩」
「はい。れいせぇ様っ」
諦めた俺は、ベッドの端に腰をかけたまま自分の隣をぽんぽ
んと軽く叩く。誘われた紅鳩はおずおずと子猫のように近づく。
それでもちょっと怯えたように離れて正座する紅鳩に、再び隣
を示す。
「れいせぇ様?」
その頭を優しく撫でる。
細い髪は月の光に晒された白金の色で、指からこぼれる。
不思議そうな上目遣い。くすぐったそうに揺れる小さな仔熊
耳。
「――れいせぇ様?」
その額に、唇を押し当てる。
「ひゃぁぅっ」
まるで熱いものを押し当てられたようにびっくりして縮こま
る紅鳩を軽くかかえて、俺はその額の滑らかさを唇に感じる。
僅かな汗でしっとりした幼い身体を抱いて祈るような瞬間を過
ごす。