旦那の借金とDVから幼馴染のA子が逃げてきた
世の中の厄介者は、誰よりも強い私のヒーローでした。友のピンチをきっかけに止まっていた時間が動き出す、ちょっと切ないお話。
765 :名無しさん@おーぷん :2014/09/27(土)20:48:53 ID:8O86ZE79x
まだ20代前半の頃のはなし
私は上京して一人暮らしをしていた。
そこへ幼馴染のA子がアポなしでやってきた。
久しぶりに会うA子にすごくビックリした。結婚してA子も東京にいるのは知ってた。
まだ携帯もネットも普及していない時代だったから、年賀状で近況を知らせ合うのが当たり前。
A子の顔は痣だらけで、こんな言葉は当時はなかったけど、DVだと察しはついた。
話をきくと、A旦那は賭け事で借金がかさみ、A子に風俗へ行くように命じた。
A子拒否。怒り狂った夫に暴力で脅され、監禁されたけれど夫の目を盗んで着の身着のまま逃げ出してきた。
年末の寒い中、薄っぺらな上着を脱いだA子はほつれてポロポロのセーターに膝の抜けたジーンズ
穴の開いたよれよれのスニーカー、靴下も履いてなかった。
手にしているのは私の年賀状だけ、お金がなくて半日歩いてやって来たそう。
庇ってやろうにも、生活の面倒見てあげるほど私もお金を持ってない。
年賀状等もすでに何通か送っているので、私の住所がばれるのも時間の問題。
私の母が義父にDVを受けていたのに警察が何もしてくれなかったし
都会の警察は違うかもしれないけれど、警察に呼び出された義父が帰宅してから
母にさらに暴力を振るっていたのも見ていたので、警察もダメだと思った。
私も東京に知り合いがいるわけでもなく、同僚とはこんな修羅場に巻き込む程親しくない。
A子にしても、助けてくれる知り合いがいるなら私のところになんか来ない。
とりあえずA子を風呂に入れて私の服を着せて、二人で途方に暮れていた。
A子はいくらかお金を貸してほしい、きっと返すから、と言って泣いた。現実的にそれしかない気もした。
その時、ピンポンが鳴った。
私たちはドキドキして顔を見合わせ、私は玄関にまさに忍び足で向かい、ドアスコープで外を見た。
玄関の前にいた男と目があった。
ビックリして飛びのき、声が漏れないように手で覆って部屋に戻った。
私は無言のままA子の手を握って、首を振った。
私はめまぐるしく考えた。逃げなきゃ、と思った。アパートは二階だし、でもベランダからどうにか…
とベランダのある寝室に使っている部屋の方を見た時、心底驚いた。
心臓が一瞬止まって血の気が引いて、次に顔がかーっと熱くなった。
閉めてあったふすまが開いていて、男が二人立ってた。
男たちがニヤリとして、一人が玄関に向かった。
玄関の開く音がして、男たちが数人、入ってきた。
妙なもんで、ああ、土足のままだよ、なんて思った。
767 :名無しさん@おーぷん :2014/09/27(土)21:01:22 ID:8O86ZE79x
続き
男の一人が、奥さん、逃げたらだめだよ、旦那の借金はちゃんと返してもらうよ、とかなんとか言ってた。
気づいたら私とA子はへたり込んで、両手をしっかり握り合ってた。
この際だから、お友達にも協力してもらう?なんて、誰かが言った。
私は、男たちの顔を順番に見て、一番偉そうな男の顔を見て、あれ?と思った
ぴた、って思考が止まって、あれ、誰だっけって思った。
向こうも私の顔を見て、何か思い出したみたいで、隣の男に何か言って、私の出したハガキを見て、
また何か言って、全員ぞろぞろと部屋を出て行った。
769 :名無しさん@おーぷん :2014/09/27(土)22:29:34 ID:8O86ZE79x
私とA子は、へたり込んだまま茫然としていたんだけど、
私はさっきの男が誰だったか、一生懸命考えていた。
母の男は次々変わって、年も職業もいろいろだったけど、まあどれもろくでなしだった。
でも母の男たちの年齢よりは、かなり若かった。まだ30代中くらい。
それにろくでなしたちは、あんな幹部的な人ではなく、チンピラ程度の下っ端ばっかり。
私の実父も、いわいる「鉄砲玉」かなんかで、刑務所に入っている間に生まれた。
祖父母が認知すると前科者の娘になってしまうと、わざわざ認知しなかったような男。
やっと動けるくらいに落ち着いてから、私は玄関の鍵をかけに行って、なんとなく、ドアを開けたら
その男が廊下に立ってた。
ビックリしたけど、怖くなかった。
顔をじっと見てたら、男が玄関に入ってきた。男は玄関からは上がらなかった。
台所には足跡がいっぱいあって、男はそれを見て、眉をぴくって動かした。
変なもんで、その眉毛で、記憶がぱーっとよみがえった。
男は、義兄でした。
義兄と言っても、幼稚園から小学校の低学年くらいの間、母と暮らしていた男の息子で、
私も同じ苗字を名乗っていた気がするので、たぶん義兄だったんだと思う。
当時義兄は高校生くらいで、原色のTシャツと、ボンタン?ふっとい学生服ズボンの印象がある。
学ランも長くて、膝くらいまであった。
770 :名無しさん@おーぷん :2014/09/27(土)22:33:50 ID:k7tEh8XCU
>ドアスコープで外を見た。
>玄関の前にいた男と目があった。
>閉めてあったふすまが開いていて、男が二人立ってた。
もうちょっと、もうちょっと真面目に作ろうよw
吹いてしまったw
771 :名無しさん@おーぷん :2014/09/27(土)22:52:43 ID:LKf2a5zC1
>>770
ふすまは寝室の部屋のでしょ
772 :名無しさん@おーぷん :2014/09/27(土)23:05:46 ID:8O86ZE79x
続きです。
義兄はとても良くしてくれました。母は私の世話なんか全然しなかったので
一緒に暮らしていた間、義兄がご飯作ってくれました。
よく義兄の彼女が来ていて、ヤンキーだけど優しかった。
妹さんのお古だけどって、かわいい服や、可愛い文具なんかもくれた。
私の人生の中で、あの頃が一番幸せだったように思う。
それでも、その一時期をすっかり忘れていました。
私は、義父に売られていました。義父の小遣い稼ぎで、ロリオヤジたちに、たぶん時間いくらで。
それまでは触られたり舐められたりだったけれど、無理に入れられて、痛くて泣いた。
家に戻っても痛くて痛くて、帰宅した義兄に泣いて訴えたら、病院へ連れて行ってくれた。
たぶん、病院から通報されたんだと思う。義父が逮捕されて、母に殴られた。
お前が我慢しないからだって。
その後、施設に入ったけど、しばらくの間、義兄はよく面会に来てくれた。
私は母に引き取られたり施設に戻ったりを繰り返していたので、義兄とは連絡がとれなくなった。
中学を卒業する頃、母が酔っぱらって車道で寝ていて車にひかれて死んだ。
それで東京へ出てきた。
A子は中学時代、そんな私にでも仲良くしてくれた唯一の友達だった。
でも世の中甘くないよね。中卒で保証人もいないような女を雇ってくれるところなんかない。
結局、昼は超底辺工場で働いて、夜はキャバクラ。そのうち、定時制の高校を出て、
昼は小さい会社の事務に雇ってもらった。当然生活出来ないのでキャバクラも続けてた。
773 :名無しさん@おーぷん :2014/09/27(土)23:38:07 ID:8O86ZE79x
義兄に「元気だったか」と聞かれたので、うなずいたら、「そうか」と一言言って、
頭をポンポンされて、そのまま帰って行った。
結局、義兄に会ったのはこれが最後。
数日後、弁護士がやってきて、A子の夫の借金はA子が返済する義務は一切ありませんと言われた。
A子には、就職先と住まいが用意されてた。
弁護士に義兄の連絡先を聞いたけど、教えてくれなかった。
A子を脅しに来たやくざ者たちがどこの人たちかもわからないし、私にとって「おにいちゃん」
でしかなかった義兄の名前もわからない。
私は勤め先の息子と結婚した。
結婚した時、弁護士さんが、義兄からの結婚祝いを届けてくれた。それっきり音沙汰ない。
夫や義父母にはある程度は話してあるけど、義兄の事は言っていない。
A子も今はまともな人と結婚して幸せに暮らしている。
>>770 その通りです。すいません、わかりにくくて。
ドアスコープを覗いたら、向こうもこっちを覗いてたんですよね。
中に人がいるかどうか確認するため覗くらしい。知らないから、ビックリしました。
男たちは寝室の窓から入ってきてました。
なんで今頃この話を投下したかというと、A子がおばあちゃんになったと連絡が来たからです。
うちの子たちはまだ高校生なんだけど。
私の生活はあの後も前もあまり変わりなかったので、夢だったんじゃないかと思う事もある。
自分の子供時代は抜け落ちている部分がかなりあって、子供時代から妄想癖があるので、
現実と妄想の区別がとても曖昧なんだよね。
でも義兄が食べさせてくれた、でっかいパフェの記憶は妄想じゃないと思うんだ。
最近、更年期で涙もろくてさ。義兄に会いたいと、よく思う。
毎年、弁護士さん宛てに家族写真入りの年賀状を送っている。
義兄に届いているといいなぁ。
774 :名無しさん@おーぷん :2014/09/28(日)00:15:32 ID:zdSlGAKGP
>>773
壮絶すぎて言葉が見つからない
まわりがクズ大人だらけの幼少時代で、義兄さんだけが味方だったんだなあ
年賀状、届いてるといいね
775 :名無しさん@おーぷん :2014/09/28(日)00:33:39 ID:QHZnPzHJI
>>773
今は人並みの平凡な幸せを手に入れたれた様で何より。A子も幸せになれたんだとほっとしたよ
義兄は自分が近づけば辛い過去を思い出させるかもしれない、若しくは危害を加えられるかも?と考えているのかもしれんね…
生死も分からない訳ではないんだよね?
夜中に泥酔→路上に寝る→轢かれて死亡なんて、最期まで迷惑しか掛けてない母親だわ
804 :名無しさん@おーぷん :2014/09/28(日)20:07:00 ID:PbP4ATlqo
>>765です。
今日は家族がみんな留守で暇なのでまとめ読んでたらもう載ってたよ。
早いよね…。
皆さんが話題にしてくれて、義兄に同情してくれてました。
ありがとうございます。
でもね、何人かから指摘されていたんだけど、義兄は同情に値する人ではないと思います。
私にとっては本当に優しい大切な兄だけれど、あの時私がいなかったら、義兄が来なかったら
A子と私の運命はまるで違うものになっていたはずです。
あの当時だと、トルコか、あるいはもっと底辺の場所へ送られてしまったのだと思います。
たぶん、義兄がそんな場所へ送った女性は沢山いると思います。
義兄が私に連絡を取らないのも、私が義兄を探さないのも、今だに兄の本名も知らないのも
義兄と私の関係が公になったら自営業の我が家にとっては致命的だからです。
年賀状を弁護士さんに送っているのも、A子に止めた方がいいと言われました。
A子にしてみれば、義兄は神様みたいな人です。元夫から解放してくれただけでなく、
再起のチャンスもくれました。足を向けて寝れないよ、とA子が自分で言ってました。
それでも、家族の為に止めた方がいいと忠告してくれたんです。
でも、忘れられないんですよ。
赤いソーセージが入っただけのケチャップスパゲッティや、こげこげのチャーハンを義兄と
美味しいねって笑って食べました。
義兄が作ってくれたゴツゴツの石ころみたいなおにぎりのお弁当を持って遠足に行った。
タコウインナーと卵焼きがアルミに包んで入れてあった。塩水に浸してない茶色いリンゴもあった。
運動会の時には義兄の彼女がお弁当を作ってきてくれて3人で食べました。
どっちのお弁当も、本当に美味しかったんですよ。
今は鮮明に思い出したけど、義兄と再会した時、私は義兄の思い出の何もかも、全部忘れてた。
結婚して、お弁当作ったりしてると、ぽつぽつ思い出すの。
思い出す度に本当に切なくて、あの後の義兄の人生はどんなだったのだろうと考える。
一緒に暮らしている頃から、兄はとても暴力的でした。往来で喧嘩を始めたり、
いったん火が付くと誰彼かまわず殴り倒したり。
でも、私にはいつでもとても優しかった。
私が病院に運ばれた時、義兄は義父を半殺しにしました。
私の中では、義兄はヒーローでした。誰より強くて、私を助けてくれる。
たぶん世の中にとっては義兄は厄介者以外の何物でもないのだと思う。
でも、会いたいんです。
わけもなく泣きたくなるのは、きっと更年期のせいですね。
子供時代、妄想をして現実逃避していた癖が抜けなくて、いろいろ考え過ぎちゃうんですよね。
これで最後にします。
おばさんの泣き言におつきあいくださってありがとうございました。
815 :名無しさん@おーぷん :2014/09/29(月)05:39:32 ID:C6CLq5ILS
>>804
お気持ちお察しします
義兄さんなりに一生懸命幼い妹をかわいがってくれたのも伝わってきます
そんな義兄さんが道を大きく逸れることになってしまったのも、酷い親の影響も
大きかったんでしょうね…
A子さんの忠告ももっともだと思うけれど、ハガキを弁護士通しっていうのは悪くないし
ギリギリセーフなんじゃないかと
陰の業界のことはよくわからないのでなんですが、おじいさんと呼ばれるような年齢に
なってから弁護士事務所で面会とかどうなんでしょうね
でも、きっと義兄さんはあの時、妹が売り飛ばされる時に介入できて
(たぶん売り飛ばしにきたんでしょうけど)
その二人が、立派に立ち直っているのが何よりもうれしいと思っているはず
>>765さんとA子さんのこれから先の人生が平穏で幸せに満ち溢れたものでありますように
何を書いても構いませんので@生活板 2
http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1415927686/
843 :名無しさん@おーぷん :2015/01/27(火)10:18:59 ID:xnd
ずいぶん前に、このあたりのスレで書き込みました。
昔、借金取りから逃げてきた友人を追って来た借金取りが生き別れの義兄で
毎年弁護士経由で年賀状を送っている更年期のおばさんです。
兄の事を思い出すと辛くて会いたくて仕方なくて、母が酒浸りだったので
私は付き合い程度の酒しか飲まなかったのに、私も酒浸り状態になりました。
更年期で薬を処方してもらっていたのでキッチンで泡ふいて倒れて、運ばれた病院で
夫に義兄の事も家族や生立ちを全部話しました。
とても複雑な話なので、過去に部分的にぽつぽつ話した事はあったけど、
じっくり話したのは結婚20年で初めてでした。
結果から言うと、夫はほぼ全部知っていました。それも私が知っている以上に。
なんで知っていたの、と聞くと、なんと義兄から聞いていたそうです。
夫は義兄の消息を知っていました。
うちは自営なので、過去何度も経営の危機に陥りました。
その時に助けてくれた取引先が義兄の息のかかった会社で、結婚時に夫が取り寄せてくれた
戸籍に載っていた義兄の名前を見て義兄と私の関係を知って、話をしに行ったそうです。
私は幼くて覚えていませんでしたが、義兄は母からいろいろ聞いていて覚えていたそうで
私の消息を探す過程で義兄は私の実父や実祖父の事も調べてありました。ふたりとも健在です。
私も母も父は刑務所に入っていると思っていましたが、それは嘘でした。
祖父母が妊娠した母を追っ払う為についた嘘です。
要はちょっとしたやんちゃ時代に母と知り合って遊んだだけで、ちゃんと大学を出て
祖父の会社を継いで、今では地元の名士として安穏と暮らしています。
私の事は義兄が訪ねるまで知らなかったそうで、私の知らない間に私を認知していました。
祖父については、もっと話が複雑です。
私の祖父は進駐軍の将校です。つまりアメリカ人。祖母はそのお相手役でした。
母が生まれた後祖父は帰国、数年後に母を日本に置いて祖母も渡米、そのまま米国で亡くなりました。
母は認知されていたので母も私も米国籍を持っています。(私は知らなかったけど)
結婚するまで私は天涯孤独と思っていましたが、実際には米国に祖父や叔父叔母従兄妹がいて
日本には父と異母弟妹がいたわけです。
1件
844 :名無しさん@おーぷん :2015/01/27(火)10:19:32 ID:xnd
つづきです。
夫は義兄から口止めされていたそうで、でもずっと義兄と連絡を取り合っていました。
ただ私がそこまで義兄の事で思い詰めているとは思っていなかったようで謝ってくれました。
そして義兄がいるホスピタルに連れて行ってくれました。
義兄は、会いに来たらいけないよと、何度も言いました。
私は最初の日は一日泣き続けて話になんてまるでなりませんでした。
義兄は末期のがんで、年末に亡くなりました。
最後の数か月だけでも一緒に過ごせて、本当に良かったです。
沢山話が出来たし、記憶よりずっと小さくて痩せた体で、でも幼い頃のように甘えさせてくれました。
義兄の人生も波瀾万丈でした。私を可愛がってくれた高校時代の彼女と結婚して子供も生まれたのに
二人を事故で同時に亡くしたそうで、それ以来孤独に暮らしてきたそうです。
夫は20年もの間、ずっと義兄の事を私に話すべきかどうか悩んでいたそうです。
悪い事も沢山したのだろうけれど、私にとってはとてもいいお兄さんだった、
とても大好きだったと義兄の為に泣いてくれました。
葬儀は私の家族だけで行い、妻子と同じ墓に埋葬しました。
遺品はほとんど処分済で、お墓の納骨室の中にほんの少しだけ家族の遺品がありました。
見覚えのある大好きだったお姉さんの遺品を見たらまた泣きました。
長々と書いてしまいました。
最近やっと気持ちが落ち着いてきたので、誰かに聞いてほしくて書き込みました。
まだ20代前半の頃のはなし
私は上京して一人暮らしをしていた。
そこへ幼馴染のA子がアポなしでやってきた。
久しぶりに会うA子にすごくビックリした。結婚してA子も東京にいるのは知ってた。
まだ携帯もネットも普及していない時代だったから、年賀状で近況を知らせ合うのが当たり前。
A子の顔は痣だらけで、こんな言葉は当時はなかったけど、DVだと察しはついた。
話をきくと、A旦那は賭け事で借金がかさみ、A子に風俗へ行くように命じた。
A子拒否。怒り狂った夫に暴力で脅され、監禁されたけれど夫の目を盗んで着の身着のまま逃げ出してきた。
年末の寒い中、薄っぺらな上着を脱いだA子はほつれてポロポロのセーターに膝の抜けたジーンズ
穴の開いたよれよれのスニーカー、靴下も履いてなかった。
手にしているのは私の年賀状だけ、お金がなくて半日歩いてやって来たそう。
庇ってやろうにも、生活の面倒見てあげるほど私もお金を持ってない。
年賀状等もすでに何通か送っているので、私の住所がばれるのも時間の問題。
私の母が義父にDVを受けていたのに警察が何もしてくれなかったし
都会の警察は違うかもしれないけれど、警察に呼び出された義父が帰宅してから
母にさらに暴力を振るっていたのも見ていたので、警察もダメだと思った。
私も東京に知り合いがいるわけでもなく、同僚とはこんな修羅場に巻き込む程親しくない。
A子にしても、助けてくれる知り合いがいるなら私のところになんか来ない。
とりあえずA子を風呂に入れて私の服を着せて、二人で途方に暮れていた。
A子はいくらかお金を貸してほしい、きっと返すから、と言って泣いた。現実的にそれしかない気もした。
その時、ピンポンが鳴った。
私たちはドキドキして顔を見合わせ、私は玄関にまさに忍び足で向かい、ドアスコープで外を見た。
玄関の前にいた男と目があった。
ビックリして飛びのき、声が漏れないように手で覆って部屋に戻った。
私は無言のままA子の手を握って、首を振った。
私はめまぐるしく考えた。逃げなきゃ、と思った。アパートは二階だし、でもベランダからどうにか…
とベランダのある寝室に使っている部屋の方を見た時、心底驚いた。
心臓が一瞬止まって血の気が引いて、次に顔がかーっと熱くなった。
閉めてあったふすまが開いていて、男が二人立ってた。
男たちがニヤリとして、一人が玄関に向かった。
玄関の開く音がして、男たちが数人、入ってきた。
妙なもんで、ああ、土足のままだよ、なんて思った。
767 :名無しさん@おーぷん :2014/09/27(土)21:01:22 ID:8O86ZE79x
続き
男の一人が、奥さん、逃げたらだめだよ、旦那の借金はちゃんと返してもらうよ、とかなんとか言ってた。
気づいたら私とA子はへたり込んで、両手をしっかり握り合ってた。
この際だから、お友達にも協力してもらう?なんて、誰かが言った。
私は、男たちの顔を順番に見て、一番偉そうな男の顔を見て、あれ?と思った
ぴた、って思考が止まって、あれ、誰だっけって思った。
向こうも私の顔を見て、何か思い出したみたいで、隣の男に何か言って、私の出したハガキを見て、
また何か言って、全員ぞろぞろと部屋を出て行った。
769 :名無しさん@おーぷん :2014/09/27(土)22:29:34 ID:8O86ZE79x
私とA子は、へたり込んだまま茫然としていたんだけど、
私はさっきの男が誰だったか、一生懸命考えていた。
母の男は次々変わって、年も職業もいろいろだったけど、まあどれもろくでなしだった。
でも母の男たちの年齢よりは、かなり若かった。まだ30代中くらい。
それにろくでなしたちは、あんな幹部的な人ではなく、チンピラ程度の下っ端ばっかり。
私の実父も、いわいる「鉄砲玉」かなんかで、刑務所に入っている間に生まれた。
祖父母が認知すると前科者の娘になってしまうと、わざわざ認知しなかったような男。
やっと動けるくらいに落ち着いてから、私は玄関の鍵をかけに行って、なんとなく、ドアを開けたら
その男が廊下に立ってた。
ビックリしたけど、怖くなかった。
顔をじっと見てたら、男が玄関に入ってきた。男は玄関からは上がらなかった。
台所には足跡がいっぱいあって、男はそれを見て、眉をぴくって動かした。
変なもんで、その眉毛で、記憶がぱーっとよみがえった。
男は、義兄でした。
義兄と言っても、幼稚園から小学校の低学年くらいの間、母と暮らしていた男の息子で、
私も同じ苗字を名乗っていた気がするので、たぶん義兄だったんだと思う。
当時義兄は高校生くらいで、原色のTシャツと、ボンタン?ふっとい学生服ズボンの印象がある。
学ランも長くて、膝くらいまであった。
770 :名無しさん@おーぷん :2014/09/27(土)22:33:50 ID:k7tEh8XCU
>ドアスコープで外を見た。
>玄関の前にいた男と目があった。
>閉めてあったふすまが開いていて、男が二人立ってた。
もうちょっと、もうちょっと真面目に作ろうよw
吹いてしまったw
771 :名無しさん@おーぷん :2014/09/27(土)22:52:43 ID:LKf2a5zC1
>>770
ふすまは寝室の部屋のでしょ
続きです。
義兄はとても良くしてくれました。母は私の世話なんか全然しなかったので
一緒に暮らしていた間、義兄がご飯作ってくれました。
よく義兄の彼女が来ていて、ヤンキーだけど優しかった。
妹さんのお古だけどって、かわいい服や、可愛い文具なんかもくれた。
私の人生の中で、あの頃が一番幸せだったように思う。
それでも、その一時期をすっかり忘れていました。
私は、義父に売られていました。義父の小遣い稼ぎで、ロリオヤジたちに、たぶん時間いくらで。
それまでは触られたり舐められたりだったけれど、無理に入れられて、痛くて泣いた。
家に戻っても痛くて痛くて、帰宅した義兄に泣いて訴えたら、病院へ連れて行ってくれた。
たぶん、病院から通報されたんだと思う。義父が逮捕されて、母に殴られた。
お前が我慢しないからだって。
その後、施設に入ったけど、しばらくの間、義兄はよく面会に来てくれた。
私は母に引き取られたり施設に戻ったりを繰り返していたので、義兄とは連絡がとれなくなった。
中学を卒業する頃、母が酔っぱらって車道で寝ていて車にひかれて死んだ。
それで東京へ出てきた。
A子は中学時代、そんな私にでも仲良くしてくれた唯一の友達だった。
でも世の中甘くないよね。中卒で保証人もいないような女を雇ってくれるところなんかない。
結局、昼は超底辺工場で働いて、夜はキャバクラ。そのうち、定時制の高校を出て、
昼は小さい会社の事務に雇ってもらった。当然生活出来ないのでキャバクラも続けてた。
773 :名無しさん@おーぷん :2014/09/27(土)23:38:07 ID:8O86ZE79x
義兄に「元気だったか」と聞かれたので、うなずいたら、「そうか」と一言言って、
頭をポンポンされて、そのまま帰って行った。
結局、義兄に会ったのはこれが最後。
数日後、弁護士がやってきて、A子の夫の借金はA子が返済する義務は一切ありませんと言われた。
A子には、就職先と住まいが用意されてた。
弁護士に義兄の連絡先を聞いたけど、教えてくれなかった。
A子を脅しに来たやくざ者たちがどこの人たちかもわからないし、私にとって「おにいちゃん」
でしかなかった義兄の名前もわからない。
私は勤め先の息子と結婚した。
結婚した時、弁護士さんが、義兄からの結婚祝いを届けてくれた。それっきり音沙汰ない。
夫や義父母にはある程度は話してあるけど、義兄の事は言っていない。
A子も今はまともな人と結婚して幸せに暮らしている。
>>770 その通りです。すいません、わかりにくくて。
ドアスコープを覗いたら、向こうもこっちを覗いてたんですよね。
中に人がいるかどうか確認するため覗くらしい。知らないから、ビックリしました。
男たちは寝室の窓から入ってきてました。
なんで今頃この話を投下したかというと、A子がおばあちゃんになったと連絡が来たからです。
うちの子たちはまだ高校生なんだけど。
私の生活はあの後も前もあまり変わりなかったので、夢だったんじゃないかと思う事もある。
自分の子供時代は抜け落ちている部分がかなりあって、子供時代から妄想癖があるので、
現実と妄想の区別がとても曖昧なんだよね。
でも義兄が食べさせてくれた、でっかいパフェの記憶は妄想じゃないと思うんだ。
最近、更年期で涙もろくてさ。義兄に会いたいと、よく思う。
毎年、弁護士さん宛てに家族写真入りの年賀状を送っている。
義兄に届いているといいなぁ。
774 :名無しさん@おーぷん :2014/09/28(日)00:15:32 ID:zdSlGAKGP
>>773
壮絶すぎて言葉が見つからない
まわりがクズ大人だらけの幼少時代で、義兄さんだけが味方だったんだなあ
年賀状、届いてるといいね
775 :名無しさん@おーぷん :2014/09/28(日)00:33:39 ID:QHZnPzHJI
>>773
今は人並みの平凡な幸せを手に入れたれた様で何より。A子も幸せになれたんだとほっとしたよ
義兄は自分が近づけば辛い過去を思い出させるかもしれない、若しくは危害を加えられるかも?と考えているのかもしれんね…
生死も分からない訳ではないんだよね?
夜中に泥酔→路上に寝る→轢かれて死亡なんて、最期まで迷惑しか掛けてない母親だわ
804 :名無しさん@おーぷん :2014/09/28(日)20:07:00 ID:PbP4ATlqo
>>765です。
今日は家族がみんな留守で暇なのでまとめ読んでたらもう載ってたよ。
早いよね…。
皆さんが話題にしてくれて、義兄に同情してくれてました。
ありがとうございます。
でもね、何人かから指摘されていたんだけど、義兄は同情に値する人ではないと思います。
私にとっては本当に優しい大切な兄だけれど、あの時私がいなかったら、義兄が来なかったら
A子と私の運命はまるで違うものになっていたはずです。
あの当時だと、トルコか、あるいはもっと底辺の場所へ送られてしまったのだと思います。
たぶん、義兄がそんな場所へ送った女性は沢山いると思います。
義兄が私に連絡を取らないのも、私が義兄を探さないのも、今だに兄の本名も知らないのも
義兄と私の関係が公になったら自営業の我が家にとっては致命的だからです。
年賀状を弁護士さんに送っているのも、A子に止めた方がいいと言われました。
A子にしてみれば、義兄は神様みたいな人です。元夫から解放してくれただけでなく、
再起のチャンスもくれました。足を向けて寝れないよ、とA子が自分で言ってました。
それでも、家族の為に止めた方がいいと忠告してくれたんです。
でも、忘れられないんですよ。
赤いソーセージが入っただけのケチャップスパゲッティや、こげこげのチャーハンを義兄と
美味しいねって笑って食べました。
義兄が作ってくれたゴツゴツの石ころみたいなおにぎりのお弁当を持って遠足に行った。
タコウインナーと卵焼きがアルミに包んで入れてあった。塩水に浸してない茶色いリンゴもあった。
運動会の時には義兄の彼女がお弁当を作ってきてくれて3人で食べました。
どっちのお弁当も、本当に美味しかったんですよ。
今は鮮明に思い出したけど、義兄と再会した時、私は義兄の思い出の何もかも、全部忘れてた。
結婚して、お弁当作ったりしてると、ぽつぽつ思い出すの。
思い出す度に本当に切なくて、あの後の義兄の人生はどんなだったのだろうと考える。
一緒に暮らしている頃から、兄はとても暴力的でした。往来で喧嘩を始めたり、
いったん火が付くと誰彼かまわず殴り倒したり。
でも、私にはいつでもとても優しかった。
私が病院に運ばれた時、義兄は義父を半殺しにしました。
私の中では、義兄はヒーローでした。誰より強くて、私を助けてくれる。
たぶん世の中にとっては義兄は厄介者以外の何物でもないのだと思う。
でも、会いたいんです。
わけもなく泣きたくなるのは、きっと更年期のせいですね。
子供時代、妄想をして現実逃避していた癖が抜けなくて、いろいろ考え過ぎちゃうんですよね。
これで最後にします。
おばさんの泣き言におつきあいくださってありがとうございました。
815 :名無しさん@おーぷん :2014/09/29(月)05:39:32 ID:C6CLq5ILS
>>804
お気持ちお察しします
義兄さんなりに一生懸命幼い妹をかわいがってくれたのも伝わってきます
そんな義兄さんが道を大きく逸れることになってしまったのも、酷い親の影響も
大きかったんでしょうね…
A子さんの忠告ももっともだと思うけれど、ハガキを弁護士通しっていうのは悪くないし
ギリギリセーフなんじゃないかと
陰の業界のことはよくわからないのでなんですが、おじいさんと呼ばれるような年齢に
なってから弁護士事務所で面会とかどうなんでしょうね
でも、きっと義兄さんはあの時、妹が売り飛ばされる時に介入できて
(たぶん売り飛ばしにきたんでしょうけど)
その二人が、立派に立ち直っているのが何よりもうれしいと思っているはず
>>765さんとA子さんのこれから先の人生が平穏で幸せに満ち溢れたものでありますように
何を書いても構いませんので@生活板 2
http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1415927686/
843 :名無しさん@おーぷん :2015/01/27(火)10:18:59 ID:xnd
ずいぶん前に、このあたりのスレで書き込みました。
昔、借金取りから逃げてきた友人を追って来た借金取りが生き別れの義兄で
毎年弁護士経由で年賀状を送っている更年期のおばさんです。
兄の事を思い出すと辛くて会いたくて仕方なくて、母が酒浸りだったので
私は付き合い程度の酒しか飲まなかったのに、私も酒浸り状態になりました。
更年期で薬を処方してもらっていたのでキッチンで泡ふいて倒れて、運ばれた病院で
夫に義兄の事も家族や生立ちを全部話しました。
とても複雑な話なので、過去に部分的にぽつぽつ話した事はあったけど、
じっくり話したのは結婚20年で初めてでした。
結果から言うと、夫はほぼ全部知っていました。それも私が知っている以上に。
なんで知っていたの、と聞くと、なんと義兄から聞いていたそうです。
夫は義兄の消息を知っていました。
うちは自営なので、過去何度も経営の危機に陥りました。
その時に助けてくれた取引先が義兄の息のかかった会社で、結婚時に夫が取り寄せてくれた
戸籍に載っていた義兄の名前を見て義兄と私の関係を知って、話をしに行ったそうです。
私は幼くて覚えていませんでしたが、義兄は母からいろいろ聞いていて覚えていたそうで
私の消息を探す過程で義兄は私の実父や実祖父の事も調べてありました。ふたりとも健在です。
私も母も父は刑務所に入っていると思っていましたが、それは嘘でした。
祖父母が妊娠した母を追っ払う為についた嘘です。
要はちょっとしたやんちゃ時代に母と知り合って遊んだだけで、ちゃんと大学を出て
祖父の会社を継いで、今では地元の名士として安穏と暮らしています。
私の事は義兄が訪ねるまで知らなかったそうで、私の知らない間に私を認知していました。
祖父については、もっと話が複雑です。
私の祖父は進駐軍の将校です。つまりアメリカ人。祖母はそのお相手役でした。
母が生まれた後祖父は帰国、数年後に母を日本に置いて祖母も渡米、そのまま米国で亡くなりました。
母は認知されていたので母も私も米国籍を持っています。(私は知らなかったけど)
結婚するまで私は天涯孤独と思っていましたが、実際には米国に祖父や叔父叔母従兄妹がいて
日本には父と異母弟妹がいたわけです。
1件
844 :名無しさん@おーぷん :2015/01/27(火)10:19:32 ID:xnd
つづきです。
夫は義兄から口止めされていたそうで、でもずっと義兄と連絡を取り合っていました。
ただ私がそこまで義兄の事で思い詰めているとは思っていなかったようで謝ってくれました。
そして義兄がいるホスピタルに連れて行ってくれました。
義兄は、会いに来たらいけないよと、何度も言いました。
私は最初の日は一日泣き続けて話になんてまるでなりませんでした。
義兄は末期のがんで、年末に亡くなりました。
最後の数か月だけでも一緒に過ごせて、本当に良かったです。
沢山話が出来たし、記憶よりずっと小さくて痩せた体で、でも幼い頃のように甘えさせてくれました。
義兄の人生も波瀾万丈でした。私を可愛がってくれた高校時代の彼女と結婚して子供も生まれたのに
二人を事故で同時に亡くしたそうで、それ以来孤独に暮らしてきたそうです。
夫は20年もの間、ずっと義兄の事を私に話すべきかどうか悩んでいたそうです。
悪い事も沢山したのだろうけれど、私にとってはとてもいいお兄さんだった、
とても大好きだったと義兄の為に泣いてくれました。
葬儀は私の家族だけで行い、妻子と同じ墓に埋葬しました。
遺品はほとんど処分済で、お墓の納骨室の中にほんの少しだけ家族の遺品がありました。
見覚えのある大好きだったお姉さんの遺品を見たらまた泣きました。
長々と書いてしまいました。
最近やっと気持ちが落ち着いてきたので、誰かに聞いてほしくて書き込みました。
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