嗚咽
Part9
210 :大人の名無しさん :2007/05/21(月) 18:53:21 ID:O3lezlPf
私のお母さん(57歳)は末期ガンで先日入院しました。
あと半年の命だと言われました。
「手術出来ない」と言われて8年。
ずっと自宅療養で薬の副作用に耐えながら生活してきました。
本当に良く頑張りました。
だけど、とうとう体力が無くなり入院となりました。
入院当日、迎えに行った私に
「今日は長くなりそうだし、あんた腹減るやろ?」
と、アルミホイルに包んだお手製のオニギリを私にくれました。
お母さんはもう食べられないのに。
味覚が麻痺してるのに。
水も飲めないのに。
支えが無いと歩けない状態なのに。
私の為に。
美味しかったよ。
私はあなたを一生追い越せないよ。
お母さん。
630 :大人の名無しさん :2008/02/17(日) 17:10:29 ID:ZSSPxJGD
会社で、私の隣の席の男性が突然死してしまった。
金曜日お酒飲んで、電車で気分悪くなって、
途中下車して駅のベンチで座ったまま亡くなってしまった。
死因はスカッシュをやって亡くなった宮様と同じもの。享年55歳。
でもみんな、分かっていた。
この人仕事のし過ぎで亡くなったんだって。
私はそのとき祖母の納骨で地方にいた。
お通夜は出れなかったが、その日のうちに東京戻って、翌日は休みの予定だったけど、会社行った。
上司に言われて花を買いに行った。
「社員の人が亡くなったので、机に飾るお花にしてください」
花屋さんで、泣いた。こんなことは初めてだった。
綺麗だがとても香りの強い花で、今でも私はその香りを嗅ぐと涙が出る。
亡くなった時に持っていたカバンには、家で仕事をするための膨大な資料、
会社のPCにはやりかけの仕事が山のように入っていた。
とりあえず私を含めた三人で割ったが、それでも追いつかない。
仕事の中にはとても単純だけど、時間のかかる作業とかいっぱいあった。
何度か言ったことはある。
やることあったら言ってくださいね、と。
その人は穏やかに笑って、じゃあ考えておくね、と。
いつもこの繰り返し。
膨大なデータを集計しながらまた涙。
なんでもっと強く言って、仕事をぶん取らなかったんだろう。
私がこうした単純作業だけでも引き受けていたら、
この人は死なずに済んだじゃないだろうかと後悔ばかり。
631 :大人の名無しさん :2008/02/17(日) 17:12:25 ID:ZSSPxJGD
そんな中、その人の家族が荷物を引き取りに来た。
小柄で華奢な奥さんと、真面目そうな女子大生。一人一人に丁寧に挨拶。
私の番になった。奥さん、私の名札を見て小さく笑う。
「何度か主人から聞いていました。
職場にとても真面目で優秀な女性がいて、
いつも仕事ないですか、何でも言ってくださいね、
って言ってくれるんだ、って。
あなたのことですね。
主人はとても感謝していましたよ」
会社だし、他の部の人もいるし、とかそんなこと関係なく泣き崩れた。
ありがとう。私のことそんな風に思ってくれてありがとうって思った。
早いものでもう来月は三回忌。
私はそのとき以来、部員の仕事量も観察して、一人の負担にならないように
自分に出来る仕事はぶん取ったりすることもある。
この間、亡くなった男性の仕事を引き継いだ男性から言われた。
「もしあなたがいなかったら、
俺は仕事に追い詰められて死んでたかもしれない。
笑い話じゃなく、本当に。
だから、ありがとう」
その言葉で、やっと救われたと思った。
377 :大人の名無しさん :2007/09/13(木) 16:22:23 ID:6/KfV8za
2年前にHIVに感染しているのを知った。
自業自得だと思った。
ただ地元にいては色々不都合があるため一人で他の町へ行った。
死にたい、と思っていたが死ぬことはできず、
治療も受けないまま現在に至っている。
友達に会うと「大丈夫、大丈夫」と笑顔で答える。
大丈夫なんかじゃないけど、
深刻な顔をして友達が困るのを見たくないから。
先日、青空の下で親友とビールを飲んだ。
俺はずっと親友だと思っていたが、
その時俺たちが親友だということを初めて口にして話し合った。
「生きていて欲しい」
と親友が泣きながら俺に言った。
俺も全然大丈夫ではない、死にたいとずっと思っていることを伝えた。
二人で周りに人がいることもお構いなしに泣いた。
生きたいと初めて思った。
597 :大人の名無しさん :2008/01/27(日) 18:57:02 ID:JwHC6Bhu
どこにかいたらいいかわからんからちょっと書かせてくれ
昨日4時22分に母が亡くなった
風邪一つ引かない元気な母だった。
僕が幼稚園に入るころもう父はいなかった。
借金作って逃げたらしい。
朝は4時に起きて俺らの弁当作って6時から17時まで弁当屋でパート。
帰ってきたら晩飯作ってすぐに出て行って11時までパチンコ屋で掃除のバイト。
休むのは月に3回あればいいほう。
そうやって僕と妹は育てられた。
反抗期なんてほぼ無かった。
あんなに頑張る母親を見て反抗なんてできるはず無かった。
いや・・・一度だけあった。
クリスマスの2,3日前ゲームボーイが欲しいとねだった。
友達がみんなゲームを持っていたのに自分だけ持ってないと苛められると。
何故あんな嘘をついたのだろう・・・。
母は「ごめんね・・・」と顔をくしゃくしゃにして泣いた。
僕も何故か悲しくなって家族3人でボロボロ泣いた。
その日は3人とも同じ布団で抱き合って寝た。
クリスマスの日の夕食はおでんとケーキだった。
母親は子供のようにはしゃぎ、歌い、最後に「はい」とプレゼントを渡した。
古いゲームソフトだけを買ってきた。
「これだけじゃできないんだよ」と言おうとしたけどうれしそうな母の顔を見ていえなかった。
598 :大人の名無しさん :2008/01/27(日) 18:58:34 ID:JwHC6Bhu
あれから20年、兄妹そろって大学まで出してくれた。
俺も妹ももう就職したしこれからは楽させてあげるから仕事やめなよ。っていったのに。
働いてなきゃボケるって・・・そんな年じゃないだろう。
どっか3人で旅行にいこうよっていってたのに。
妹の結婚式みるまでは死ねないっていってたのに。
なんで末期癌になるまで働くんだよ・・・。
何度も病院いこうって言ったじゃないか。
先生もいってた「あんなに我慢強い人見たこと無い」って。
看護婦さんに「迷惑かけてごめんね」ばっかり言ってたんだってな。
いっつも人のことばっかり気にして・・・。
震える手で書いた枕もとの手紙・・・読んだよ
「耕ちゃんへ
小さいころはいつもお手伝いありがとう
あなたはわがままをひとつも言わないやさしい子でした
妹の面倒も沢山見てくれてありがとう
あなたが生まれてきてくれてほんとうにうれしかったよ
あなたのお嫁さんを見たかった
梓へ
女の子なのにおしゃれをさせてあげられなくてごめんね
いつも帰ったら「ぎゅっとして」といってくるあなたに何度私は救われたかわかりません
あなたはあなたを愛する人を見つけなさい
そしてその人のために生きなさい
599 :大人の名無しさん :2008/01/27(日) 18:58:54 ID:JwHC6Bhu
死は誰にでも訪れるものです。
悲しまないで
あなたがもし辛いことがあったらいつでもあなたの枕元に立ちますよ なんてね
あなた達の母親で良かった
また生まれ変わってもあなた達の母親でありたい。
それが私の唯一つの願いです
体に気をつけて。
寒いからあたたかかくして。
それから・・・それから・・・きりが無いからやめとくね
たくさんたくさんありがとう」
お母さん・・・手紙涙でにじんでボロボロだったよ。
だから紙を買ってきてくれっていってたんだね。
お母さん・・・ありがとう・・・ありがとう・・・ありがとう・・・
まだ遊んでるよ。
プレゼントしてくれたスーパーマリオランド
14 :大人の名無しさん :2006/12/05(火) 02:13:22 ID:mSy5QmK0
俺を生んでくれた母親は俺が2歳の頃に死んだ。
後の親父の話では元々、体が丈夫な人じゃなかったらしい。
俺が6歳の頃に親父が再婚して義母がやってきた。
ある日、親父が「今日からこの人がお前のお母さんだ」といって連れてきた。
新しい母親は俺を本当の子供のように可愛がってくれた。
家族とか血縁とかまだ分からない頃の俺にとって義母が本当の母親だった。
それから、何年か経ち俺が中学の頃、今度は親父が事故で帰らぬ人となった。
親父の葬式の席で親族が集まりこれからの俺たち家族の事で話し合うことになった。
親父の両親(俺から見て祖父母)は既に無く親戚づきあいも疎遠で葬式には親父の親族は誰も来なかった。
後から知った事だが親父はガキの頃に両親を亡くし親戚中をたらい回しにされ。
おまけにひどい扱われようだったらしい。
そんな事もあり自分が大人になって働き出してからは一切、縁を切っていたらしい。
まあ、そんな状況もあり今後の俺たち親子の事を生母、義母側双方で話をする事になった。
元々義母の両親は義母と親父との結婚に反対していた。
まぁ親としては娘の結婚相手にコブ付きだとやっかむの当然かもしれない。
また生みの母の両親は、まだ若い義母の事を考えて俺を引きと取ると言い出した。
15 :大人の名無しさん :2006/12/05(火) 02:16:04 ID:mSy5QmK0
双方の親の利害が一致して俺は生母の家に引き取られると決まりかけた時。
それまで双方の話を聞くだけだった義母が口を開いた。
「この子は私の子です。例え血が繋がって無くても私の子供です!」
「お願いですから、この子は私に任せてください。」
物腰の柔らかい義母が珍しく語気を荒げていた。
出会ってからはじめて見たそんな義母の姿に俺は驚きを覚えた。
最初は難癖を付けていた双方の両親も最後には義母に折れる形となり。
俺は義母と二人で生活することになった。
稼ぎ頭の親父が死んで義母は必死で働いた。
受験で大変な時期の俺を育てる為に必死で働いてくれた。
高校3年の時、俺は家の事情もあり進路は就職すると決めていた。
しかし、その話を聞いた義母は
「大学に行きなさい。」と言った。
「お金は母さんが何とかするからあんたは大学に行きなさい。」
なんで、実の息子でも無いのにそんなに俺に一生懸命なんだろう?
俺は半ば呆れながらそんな義母の言葉が嬉しくて思わず泣いてしまった。
そんな義母の言葉に背を押され少し遅れて受験勉強。
家の事情を考えると浪人は出来ないし、そんな事で義母を落胆させたくなかった。
元々、勉強は出来るほうじゃないので入れた大学も大した大学じゃなかったが
それでも合格と聞いた義母の涙混じりの笑顔は今でも忘れられない。
16 :大人の名無しさん :2006/12/05(火) 02:17:12 ID:mSy5QmK0
大学に入ったが俺は生活費分ぐらい自分で何とかしようと決めていた。
高校の時もそうだがアルバイト三昧の日々で良く留年しなかったものだと今でも不思議に思う。
大学も何とか無事に四年で卒業が出来、就職も決まり俺は晴れて社会人になった。
最初の初任給で義母にプレゼントを買った。
さすがに俺のプレゼント(たいしたもんじゃないけど)には参ったのか
ありがとう、ありがとうと言いながら泣く姿に俺も思わず貰い泣き。
ほんと、感謝しなきゃならないのは俺の方です。
それからは二人でつつがなく暮らしていたが、俺も30の手前で結婚したい相手が出来た。
最初は俺の結婚を義母がどう思うかと思っていたが大喜びで歓迎してくれた。
「あんたもこれで一人前だね」
と言われて照れくさいやら恥ずかしいやら。最初は一緒に暮らそうと言ったが
「お嫁さんに悪いから母さんはここで暮らすよ」と断られる。
いやいや、かみさんも賛成してくれてるんだけど...。
何度か話はするもののの結局、離れて暮らすことに。
でも、結婚して一年経って義母が倒れた。
幸い大事に至らなかったが、今後、同じ事が有ってもいけないと思い。
断っている所を半ば強引に同居することに。
その間、孫の顔も見せることが出来たしかみさんとも上手くやってるしで本当に幸せそうだった。
でも先月、その義母が他界。
くも膜下出血であっけなく死んでしまった。
通夜の席でかみさんが義母の話をしてくれた。
正直、この年になるまで義母のそれまでの人生を聞いたことが無かった。
かみさんは義母から色々、聞いていたらしい。
17 :大人の名無しさん :2006/12/05(火) 02:18:08 ID:mSy5QmK0
義母は親父と結婚する前に子供が生めない体だったらしい。
最初はそんな事もあり結婚を断っていたそうだが、親父はそんな事情を承知で
「俺たちには子供がいるじゃないか、俺の息子の母親になってくれないか?」
の言葉に義母は涙ながらに承諾
親父も人前も憚らず泣いていたそうで。義母曰く
「あんなみっともないプロポーズは無かったけど嬉しかった」との事
その話を聞いて俺はやっと理解できた。
そして言葉にならなずに涙だけが溢れて仕方が無かった。
今までかなり泣いたけど息が苦しくなるほど泣いたのは初めてだった。
ぶっきらぼうな親父の優しさもそうだが親父のプロポーズを最後まで純粋に受け入れた義母に
言葉に出来ない思いがこみ上げてきた。
かみさんもそれ聞いた時は涙が止まらなかったそうで俺に話しながらまた号泣。
子供たちも泣いてる俺たちを見てつられて泣き出す始末。
義母いや、母さん、血は繋がってないけど貴方は俺にとって本当の母さんです。
生みの母には悪いけど、俺にとって貴方以上の母はいません。
親父、そっちで会ったら誉めてやってください。
貴方が選んだ人はとても素晴らしい人でした。
最後に母さん、もし生まれ変われるならまた貴方の子供に生まれたい。
今度は貴方の本当の子供に生まれ変わりたいです。
突然に逝ってしまって改まって感謝することが出来なかったけど、本当にありがとう。
私のお母さん(57歳)は末期ガンで先日入院しました。
あと半年の命だと言われました。
「手術出来ない」と言われて8年。
ずっと自宅療養で薬の副作用に耐えながら生活してきました。
本当に良く頑張りました。
だけど、とうとう体力が無くなり入院となりました。
入院当日、迎えに行った私に
「今日は長くなりそうだし、あんた腹減るやろ?」
と、アルミホイルに包んだお手製のオニギリを私にくれました。
お母さんはもう食べられないのに。
味覚が麻痺してるのに。
水も飲めないのに。
支えが無いと歩けない状態なのに。
私の為に。
美味しかったよ。
私はあなたを一生追い越せないよ。
お母さん。
630 :大人の名無しさん :2008/02/17(日) 17:10:29 ID:ZSSPxJGD
会社で、私の隣の席の男性が突然死してしまった。
金曜日お酒飲んで、電車で気分悪くなって、
途中下車して駅のベンチで座ったまま亡くなってしまった。
死因はスカッシュをやって亡くなった宮様と同じもの。享年55歳。
でもみんな、分かっていた。
この人仕事のし過ぎで亡くなったんだって。
私はそのとき祖母の納骨で地方にいた。
お通夜は出れなかったが、その日のうちに東京戻って、翌日は休みの予定だったけど、会社行った。
上司に言われて花を買いに行った。
「社員の人が亡くなったので、机に飾るお花にしてください」
花屋さんで、泣いた。こんなことは初めてだった。
綺麗だがとても香りの強い花で、今でも私はその香りを嗅ぐと涙が出る。
亡くなった時に持っていたカバンには、家で仕事をするための膨大な資料、
会社のPCにはやりかけの仕事が山のように入っていた。
とりあえず私を含めた三人で割ったが、それでも追いつかない。
仕事の中にはとても単純だけど、時間のかかる作業とかいっぱいあった。
何度か言ったことはある。
やることあったら言ってくださいね、と。
その人は穏やかに笑って、じゃあ考えておくね、と。
いつもこの繰り返し。
膨大なデータを集計しながらまた涙。
なんでもっと強く言って、仕事をぶん取らなかったんだろう。
私がこうした単純作業だけでも引き受けていたら、
この人は死なずに済んだじゃないだろうかと後悔ばかり。
631 :大人の名無しさん :2008/02/17(日) 17:12:25 ID:ZSSPxJGD
そんな中、その人の家族が荷物を引き取りに来た。
小柄で華奢な奥さんと、真面目そうな女子大生。一人一人に丁寧に挨拶。
私の番になった。奥さん、私の名札を見て小さく笑う。
「何度か主人から聞いていました。
職場にとても真面目で優秀な女性がいて、
いつも仕事ないですか、何でも言ってくださいね、
って言ってくれるんだ、って。
あなたのことですね。
主人はとても感謝していましたよ」
会社だし、他の部の人もいるし、とかそんなこと関係なく泣き崩れた。
ありがとう。私のことそんな風に思ってくれてありがとうって思った。
早いものでもう来月は三回忌。
私はそのとき以来、部員の仕事量も観察して、一人の負担にならないように
自分に出来る仕事はぶん取ったりすることもある。
この間、亡くなった男性の仕事を引き継いだ男性から言われた。
「もしあなたがいなかったら、
俺は仕事に追い詰められて死んでたかもしれない。
笑い話じゃなく、本当に。
だから、ありがとう」
その言葉で、やっと救われたと思った。
377 :大人の名無しさん :2007/09/13(木) 16:22:23 ID:6/KfV8za
2年前にHIVに感染しているのを知った。
自業自得だと思った。
ただ地元にいては色々不都合があるため一人で他の町へ行った。
死にたい、と思っていたが死ぬことはできず、
治療も受けないまま現在に至っている。
友達に会うと「大丈夫、大丈夫」と笑顔で答える。
大丈夫なんかじゃないけど、
深刻な顔をして友達が困るのを見たくないから。
先日、青空の下で親友とビールを飲んだ。
俺はずっと親友だと思っていたが、
その時俺たちが親友だということを初めて口にして話し合った。
「生きていて欲しい」
と親友が泣きながら俺に言った。
俺も全然大丈夫ではない、死にたいとずっと思っていることを伝えた。
二人で周りに人がいることもお構いなしに泣いた。
生きたいと初めて思った。
597 :大人の名無しさん :2008/01/27(日) 18:57:02 ID:JwHC6Bhu
どこにかいたらいいかわからんからちょっと書かせてくれ
昨日4時22分に母が亡くなった
風邪一つ引かない元気な母だった。
僕が幼稚園に入るころもう父はいなかった。
借金作って逃げたらしい。
朝は4時に起きて俺らの弁当作って6時から17時まで弁当屋でパート。
帰ってきたら晩飯作ってすぐに出て行って11時までパチンコ屋で掃除のバイト。
休むのは月に3回あればいいほう。
そうやって僕と妹は育てられた。
反抗期なんてほぼ無かった。
あんなに頑張る母親を見て反抗なんてできるはず無かった。
いや・・・一度だけあった。
クリスマスの2,3日前ゲームボーイが欲しいとねだった。
友達がみんなゲームを持っていたのに自分だけ持ってないと苛められると。
何故あんな嘘をついたのだろう・・・。
母は「ごめんね・・・」と顔をくしゃくしゃにして泣いた。
僕も何故か悲しくなって家族3人でボロボロ泣いた。
その日は3人とも同じ布団で抱き合って寝た。
クリスマスの日の夕食はおでんとケーキだった。
母親は子供のようにはしゃぎ、歌い、最後に「はい」とプレゼントを渡した。
古いゲームソフトだけを買ってきた。
「これだけじゃできないんだよ」と言おうとしたけどうれしそうな母の顔を見ていえなかった。
あれから20年、兄妹そろって大学まで出してくれた。
俺も妹ももう就職したしこれからは楽させてあげるから仕事やめなよ。っていったのに。
働いてなきゃボケるって・・・そんな年じゃないだろう。
どっか3人で旅行にいこうよっていってたのに。
妹の結婚式みるまでは死ねないっていってたのに。
なんで末期癌になるまで働くんだよ・・・。
何度も病院いこうって言ったじゃないか。
先生もいってた「あんなに我慢強い人見たこと無い」って。
看護婦さんに「迷惑かけてごめんね」ばっかり言ってたんだってな。
いっつも人のことばっかり気にして・・・。
震える手で書いた枕もとの手紙・・・読んだよ
「耕ちゃんへ
小さいころはいつもお手伝いありがとう
あなたはわがままをひとつも言わないやさしい子でした
妹の面倒も沢山見てくれてありがとう
あなたが生まれてきてくれてほんとうにうれしかったよ
あなたのお嫁さんを見たかった
梓へ
女の子なのにおしゃれをさせてあげられなくてごめんね
いつも帰ったら「ぎゅっとして」といってくるあなたに何度私は救われたかわかりません
あなたはあなたを愛する人を見つけなさい
そしてその人のために生きなさい
599 :大人の名無しさん :2008/01/27(日) 18:58:54 ID:JwHC6Bhu
死は誰にでも訪れるものです。
悲しまないで
あなたがもし辛いことがあったらいつでもあなたの枕元に立ちますよ なんてね
あなた達の母親で良かった
また生まれ変わってもあなた達の母親でありたい。
それが私の唯一つの願いです
体に気をつけて。
寒いからあたたかかくして。
それから・・・それから・・・きりが無いからやめとくね
たくさんたくさんありがとう」
お母さん・・・手紙涙でにじんでボロボロだったよ。
だから紙を買ってきてくれっていってたんだね。
お母さん・・・ありがとう・・・ありがとう・・・ありがとう・・・
まだ遊んでるよ。
プレゼントしてくれたスーパーマリオランド
14 :大人の名無しさん :2006/12/05(火) 02:13:22 ID:mSy5QmK0
俺を生んでくれた母親は俺が2歳の頃に死んだ。
後の親父の話では元々、体が丈夫な人じゃなかったらしい。
俺が6歳の頃に親父が再婚して義母がやってきた。
ある日、親父が「今日からこの人がお前のお母さんだ」といって連れてきた。
新しい母親は俺を本当の子供のように可愛がってくれた。
家族とか血縁とかまだ分からない頃の俺にとって義母が本当の母親だった。
それから、何年か経ち俺が中学の頃、今度は親父が事故で帰らぬ人となった。
親父の葬式の席で親族が集まりこれからの俺たち家族の事で話し合うことになった。
親父の両親(俺から見て祖父母)は既に無く親戚づきあいも疎遠で葬式には親父の親族は誰も来なかった。
後から知った事だが親父はガキの頃に両親を亡くし親戚中をたらい回しにされ。
おまけにひどい扱われようだったらしい。
そんな事もあり自分が大人になって働き出してからは一切、縁を切っていたらしい。
まあ、そんな状況もあり今後の俺たち親子の事を生母、義母側双方で話をする事になった。
元々義母の両親は義母と親父との結婚に反対していた。
まぁ親としては娘の結婚相手にコブ付きだとやっかむの当然かもしれない。
また生みの母の両親は、まだ若い義母の事を考えて俺を引きと取ると言い出した。
15 :大人の名無しさん :2006/12/05(火) 02:16:04 ID:mSy5QmK0
双方の親の利害が一致して俺は生母の家に引き取られると決まりかけた時。
それまで双方の話を聞くだけだった義母が口を開いた。
「この子は私の子です。例え血が繋がって無くても私の子供です!」
「お願いですから、この子は私に任せてください。」
物腰の柔らかい義母が珍しく語気を荒げていた。
出会ってからはじめて見たそんな義母の姿に俺は驚きを覚えた。
最初は難癖を付けていた双方の両親も最後には義母に折れる形となり。
俺は義母と二人で生活することになった。
稼ぎ頭の親父が死んで義母は必死で働いた。
受験で大変な時期の俺を育てる為に必死で働いてくれた。
高校3年の時、俺は家の事情もあり進路は就職すると決めていた。
しかし、その話を聞いた義母は
「大学に行きなさい。」と言った。
「お金は母さんが何とかするからあんたは大学に行きなさい。」
なんで、実の息子でも無いのにそんなに俺に一生懸命なんだろう?
俺は半ば呆れながらそんな義母の言葉が嬉しくて思わず泣いてしまった。
そんな義母の言葉に背を押され少し遅れて受験勉強。
家の事情を考えると浪人は出来ないし、そんな事で義母を落胆させたくなかった。
元々、勉強は出来るほうじゃないので入れた大学も大した大学じゃなかったが
それでも合格と聞いた義母の涙混じりの笑顔は今でも忘れられない。
16 :大人の名無しさん :2006/12/05(火) 02:17:12 ID:mSy5QmK0
大学に入ったが俺は生活費分ぐらい自分で何とかしようと決めていた。
高校の時もそうだがアルバイト三昧の日々で良く留年しなかったものだと今でも不思議に思う。
大学も何とか無事に四年で卒業が出来、就職も決まり俺は晴れて社会人になった。
最初の初任給で義母にプレゼントを買った。
さすがに俺のプレゼント(たいしたもんじゃないけど)には参ったのか
ありがとう、ありがとうと言いながら泣く姿に俺も思わず貰い泣き。
ほんと、感謝しなきゃならないのは俺の方です。
それからは二人でつつがなく暮らしていたが、俺も30の手前で結婚したい相手が出来た。
最初は俺の結婚を義母がどう思うかと思っていたが大喜びで歓迎してくれた。
「あんたもこれで一人前だね」
と言われて照れくさいやら恥ずかしいやら。最初は一緒に暮らそうと言ったが
「お嫁さんに悪いから母さんはここで暮らすよ」と断られる。
いやいや、かみさんも賛成してくれてるんだけど...。
何度か話はするもののの結局、離れて暮らすことに。
でも、結婚して一年経って義母が倒れた。
幸い大事に至らなかったが、今後、同じ事が有ってもいけないと思い。
断っている所を半ば強引に同居することに。
その間、孫の顔も見せることが出来たしかみさんとも上手くやってるしで本当に幸せそうだった。
でも先月、その義母が他界。
くも膜下出血であっけなく死んでしまった。
通夜の席でかみさんが義母の話をしてくれた。
正直、この年になるまで義母のそれまでの人生を聞いたことが無かった。
かみさんは義母から色々、聞いていたらしい。
17 :大人の名無しさん :2006/12/05(火) 02:18:08 ID:mSy5QmK0
義母は親父と結婚する前に子供が生めない体だったらしい。
最初はそんな事もあり結婚を断っていたそうだが、親父はそんな事情を承知で
「俺たちには子供がいるじゃないか、俺の息子の母親になってくれないか?」
の言葉に義母は涙ながらに承諾
親父も人前も憚らず泣いていたそうで。義母曰く
「あんなみっともないプロポーズは無かったけど嬉しかった」との事
その話を聞いて俺はやっと理解できた。
そして言葉にならなずに涙だけが溢れて仕方が無かった。
今までかなり泣いたけど息が苦しくなるほど泣いたのは初めてだった。
ぶっきらぼうな親父の優しさもそうだが親父のプロポーズを最後まで純粋に受け入れた義母に
言葉に出来ない思いがこみ上げてきた。
かみさんもそれ聞いた時は涙が止まらなかったそうで俺に話しながらまた号泣。
子供たちも泣いてる俺たちを見てつられて泣き出す始末。
義母いや、母さん、血は繋がってないけど貴方は俺にとって本当の母さんです。
生みの母には悪いけど、俺にとって貴方以上の母はいません。
親父、そっちで会ったら誉めてやってください。
貴方が選んだ人はとても素晴らしい人でした。
最後に母さん、もし生まれ変われるならまた貴方の子供に生まれたい。
今度は貴方の本当の子供に生まれ変わりたいです。
突然に逝ってしまって改まって感謝することが出来なかったけど、本当にありがとう。
感動系の人気記事
感動・ほっこり短編シリーズ
→記事を読む
あは。いっぱいします?
貧しくツラい環境の中でも健気に前向きに暮らす彼女と、その彼女を時には兄のように時には彼氏として温かく包み込むように支える主人公。次々におこる悲しい出来事を乗り越える度に2人の絆は深まっていき…、読んでいくと悲しくて、嬉しくて、涙が滲み出てくるお話しです。
→記事を読む
クズの俺が父親になった話
結婚して子供が生まれても、働かずに遊び回り家にも帰らない、絵に描いたようなクズっぷりの>>1。しかし、ある日のこと、子供を保育園に迎えに行かなければならない事情を抱えるところから全てが始まる……。親と子とは何か? その本質を教えてくれるノンフィクション
→記事を読む
今から何十年も開かずの間だった蔵を探索する
よくある実況スレかと思いきや、蔵からはとんでもない貴重なお宝が…!誠実な>>1と彼を巡る奇跡のような縁の数々。人の縁、運命、命について考えさせられ、思わず涙するスレです
→記事を読む
妹の結婚が決まった
両親を亡くし、男手一つで妹を育て上げてきた兄。ついに妹が結婚し、一安心したところに突然義母から「元々妹なんて存在しなかったと思ってくれ」という連絡を受けてしまう。失意のどん底に居た兄を救う為、スレ民が立ち上がる!
→記事を読む
急に色々気づいたら、死にたいって思った
積もり積もって七転び八起き◆3iQ.E2Pax2Ivがふと考えついたのが 「死にたい」 という気持ち。そんな中、一つのスレが唯一の光を導き出してくれた。書き込みしてくれる奥様方、なにより飼い猫のチャムちゃん。最後にはー‥七転び八起きとはまさにこのこと。
→記事を読む
番外編「I Love World」
→記事を読む
介護の仕事をしていた俺が精神崩壊した話
介護とは何か。人を支えるとは何か。支えられるとは何か。色々考えさせるスレでした。
→記事を読む
昨日、嫁の墓参りに行ってきた
>>1と亡き嫁、そして幼馴染みの優しい三角関係。周りの人々に支えられながら、家族は前に進む。
→記事を読む
過去の自分に一通だけメールを送れるとしたら
永遠に戻ってくれない時間。それでも、、
→記事を読む