涙がでちゃうコピペ
Part4
375 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 14:31:26.13 ID:zJOAy4+e0
「天国のあなたへ」
娘を背に日の丸の小旗をふって、あなたを見送ってから、もう半世紀がすぎてしまいました。
たくましいあなたの腕に抱かれたのは、ほんのつかの間でした。
32歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは、今どうしていますか。
私も宇宙船に乗ってあなたのおそばに行きたい。
あなたは32歳の青年、私は傘寿を迎える年です。
おそばに行った時、おまえはどこの人だなんて言わないでね。
よく来たと言って、あの頃のように寄り添って座らせて下さいね。
お逢いしたら娘夫婦のこと、孫のこと、また、すぎし日のあれこれを話し、思いっきり、甘えてみたい。
あなたは優しく、そうかそうかとうなずきながら、慰め、よくがんばったねと、ほめて下さいね。
そして、そちらの「きみまち坂」につれて行ってもらいたい。
春のあでやかな桜花、夏、なまめかしい新緑、秋、ようえんなもみじ、冬、清らかな雪模様など
四季のうつろいの中を二人手をつないで歩いてみたい。
私はお別れしてからずっと、あなたを思いつづけ、愛情を支えにして生きて参りました。
もう一度あなたの腕に抱かれ、ねむりたいものです。
力いっぱい抱きしめて絶対はなさないで下さいね。
383 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 14:45:39.88 ID:FD0iCdRe0
俺の近所に住んでた爺さんの話。
一人暮らしだった爺さんは子供好きで、ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。
ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の1シーンで
老中と主役が「じい」「若」と呼び合うのを二人で真似して
俺「じい!今日も遊びに来たぞ。」
爺「若、よくぞいらっしゃいました。」
なんて呼び合って遊んでいた。
そんな関係は俺が他県の大学に進学するまで延々と続いていた。
卒業後に実家に戻ってきたらなんと「じい」が脳卒中やって入院中だという。
さっそく見舞いに行ってみたら「じい」はたくさんの管に繋がれてベッドに横たわっていた。
看護士の話では外界からの刺激にはなんの反応も示さない状態だと言う。
俺は「じい」に呼びかけてみた。
「じい、俺だぞ。覚えてるか?」
ダメもとのつもりだった。・・・が、次の瞬間、閉じられていた「じい」の目がカッと見開き
そして今まで昏睡してたとは思えないようなハッキリとした声で喋った。
「若、ご立派になられましたな。」
425 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 17:19:48.79 ID:vzVGwdy0O
>>383
笑い泣いた
385 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 14:57:29.50 ID:PoJ9fqOTO
子供の頃、家は流行らない商店で貧乏だった。
母がパートに出て何とか生活できているよう程度の生活だ。
学校の集金のたびに母親がため息をついていたのをよく憶えている。
別段、小学校、中学校は何とも思わなかったけれど、
高校の入り、進学を考えた頃から両親と喧嘩することが多くなった。
私は大学に進みたかった。美大に行って本格的に絵を描きたかったからだ。
しかし進学するのに必要なお金など、どう考えても捻出できなかった。
毎日、昼のパート、夕方からのパートと掛け持ちで働き、くたくたになっている母親に、
「何で進学できないんだよ!子供の進学資金も出せないようじゃ親失格だぜ!」
と言ったことがある。
母親は涙ぐみ何も言わなかった。
その姿にハッと我に返ったが、ぶつけようのない悔しさが邪魔をしてそのまま謝りもしなかった。
しばらく後になって、あの時なぜ謝らなかったのだろうと猛烈に悔やむことになった。
386 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 15:12:47.77 ID:PoJ9fqOTO
母親は事故で亡くなり、直接謝ることは出来なくなってしまったのだ。
パートの帰りの運転中の事故だった。
交差点に突っ込んでの事故で、ブレーキ痕もない、、
過労だと思う、、
葬式の後、母の部屋を整理していて日記とも家計簿とも取れるようなノートを見つけた。
食費や光熱費、、、私は家計をやりくりした事など当然ないが、
そんな私が見てもギリギリの生活だった。
母親が自分のために使ったものなど何一つなかった。
なのに、、私のための進学のための貯金があった。
ぎりぎりの生活の中で、本当に数百円の単位で毎月貯金してあった。
私が怒鳴ったあたりから、パートの時間が増えていた。
後でわかった事だが、パートの勤務時間を頼み込んで増やしていたようだ。
増えた分は全て貯金、、
私はバカだった。
自分のことだけだった。
母の笑った顔を最後に見たのはいつだったろう?
私は何一つ親孝行などしてない、
母がいなくなってから、後悔の連続だった。
苦労ばかりかけて、自分のことばかり考えていた。
何の親孝行もしていない。
なぜあんな事を言ったのか、謝らなかったのか、
謝りたい、心から母に謝りたかった。
そんな時、ものすごくリアルな夢を見た。
夢の中で母親は居間で座っていた。
母を見つけた私は、泣きながら母親に詫びた。
何もしてやれないで、ひどい事を言って、ごめんと。
本当に子供のように泣いた。
母親は私の手を握って、
「謝らなくちゃいけないのはお母さんだから、、ごめんね」と言った。
それを聞いて、私はますます声をあげて泣いた。
起きた時は枕まで涙で濡れていた。
そして手にははっきりと、母の手の感覚が残っていたのを憶えている。
それだけならリアルな夢で終わっていたのだが、
その夢を見た朝、父が
「今朝、母さんの夢を見た。」と言うのだ。
私のことをよろしくと言ったらしい。
父が直接会いに行って話したらいいと母に言うと、
もう会ってきたからと言ったそうだ。
後悔の念が見せた夢で、偶然の事かもしれない。
でも、夢であれ母に謝ることができて良かった。
389 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 15:17:18.05 ID:PoJ9fqOTO
先月、23を迎えた私。
そして今月、数年前から病を患って入院していた母が死んだ。
呆然としたまま葬儀を終え、心にぽっかりと穴が開いたような虚無感の中
父親が私に一通の手紙と通帳を渡してきた。
娘へ。
これを読んでいるって事はお母さんは、一足先に空に行ったようだね!
通帳は、貴女が生まれた時からずっと貯めてきたものです。
だから、貴女が好きに使ってくれてかまわないよ。
これだけあれば結婚費用の足しにもなるはずだよね。
本当はお母さんも式に参加して見たかったけど、空から見てるから心配しないで!
あと、お父さんの事よろしくね!
母らしい最後まで元気な手紙。
そして、通帳を見ると私が生まれた1984年の9月から
毎月一日に欠かさずに一万振り込まれている277万円の通帳。
お母さん、お父さん、生んでくれてありがとう。
私は来年、結婚します。
407 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 16:36:49.95 ID:O91jZiqXO
おいおい、そんなことより>>1よ聞いてくれ。
昨日、恋人が死んじゃったんです。病気で。
そしたらなんか通夜が終わって病院に置いてきた荷物とか改めて取りに行ったら
その荷物の中に俺宛に手紙が入ってたんです。
で、よく見たらなんか「わたしの人生は普通の人よりも短かった、だけど○○君と一緒に
過ごせたことで普通の人よりもずっと幸せな日々を送れた」、とか書いてあるんです。もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、そんなこといまさら言ってんじゃねーよ、ボケが。死んだ後だよ、もうお前いねぇんだよ。
なんか最後の方はろくに起き上がれもしなかったくせに。弱々しい字で必死に書いたのか。おめでてーな。
よーし○○君のことずっと見守ってるぞー、とか書いてるの。もう見てらんない。
お前な、俺だってまだ言いたいこと沢山あったんだから生き返ってこいと。
愛の言葉ってのはな、もっと生きてるうちに伝えるべきなんだよ。
初めて出会った頃みたいにドギマギして恥ずかしさの余りいつ心臓が破裂してもおかしくない、言おうか言わざるべきか、
そんな雰囲気がいいんじゃねーか。今になってこんなこと言い出すやつは、すっこんでろ。
で、やっと涙堪えながら読み終わったと思ったら、最後の方に「わたしの事は忘れて他の人と幸せになってほしい」
とか書いてあるんです。そこでまたぶち切れですよ。
あのな、俺はお前がホントに死んだなんて信じられねーんだよ、ボケが。得意げな顔して何が、見守ってる、だ。
お前は本当にこの世にいないのかと問いたい。問い詰めたい。小一時間かけて問い詰めたい。
お前、これわ全部タチの悪いでホントはどっかで生きてるんちゃうんかと。
独り残された俺から言わせてもらえば今、お前に対して出来る供養はやっぱり、お前を忘れないこと、これだね。
たとえジジイになってボケたとしても。これが俺の生き方。
お前との思い出ってのは俺には辛すぎる。そん代わり忘れない。これ。で、それにお前のことをずっと想い続ける。これ最強。しかしこれを貫くと次から恋人が2度と出来ないかもしれないという危険も伴う。諸刃の剣。軟弱者にはお薦めできない。
まぁお前みたいな寂しがりやは、俺がいつかそっち行くまで待ってなさいってこった。
410 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 16:42:58.24 ID:yMtIrH6q0
家族でお出かけ中、4つ違いの妹(当時小学生)がビタン!と転倒、
泣き叫ぶ妹を親父は抱き起こし、泣きやむまでおぶって歩いた。
厳しい親父だったし、俺はそんな事してもらった事はなかった。
小坊だった俺はその場では文句も言えず、
後で母親に「ずるい…」とか拗ねてみせた覚えがある。
それから十余年、俺が一九の時に親父が胃ガンになった。
告知はしていなかったが親父は自分の病状に気づいている様子。
見舞いに行ったある日、親父は俺にこう言った。
「10歳の時、○子(妹)が転んだ事、覚えてるか?」
「うん」
「母さんから聞いた。悪かったと思ってる。でもな」
「今更何だよ」
「○子は優しく育って欲しいから助けた。おまえは強く育って欲しいから放っておいたんだよ」
「・・・・」
泣いちゃいけないと思いながら、泣けて仕方なかったよ。
416 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 16:51:15.74 ID:EMHpDRxfO
>>410
イイ!
415 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 16:49:48.94 ID:yMtIrH6q0
学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。
本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので
結局日帰りにしてしまった。
母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んでいると、
父が会社から帰ってきた。
口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、
一緒に居ると息苦しさを感じていたの私は、父が帰宅する前に帰って
しまいたいというのも、日帰り、ひいては通えない距離の学校を選んだの理由の一つだった。
父が、「お前、泊まるんじゃなかったのか」と訊いたので、
「ちょっと忙しいから」とぶっきらぼうに答えると、手に持っていたドーナツの箱を私に差し出し、
「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから」と言った。
駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は待たされるようだった。
小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
3個ずつ3種類入っていた。家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。
でも、私が9個貰っても食べきれないよ。箱の中を覗き込みながら苦笑した。
その直後。あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうな―。
ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。
様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、どれもこれも切なかったり苦かったりばっかりで。
手持ちのポケットティッシュが無くなっても、ハンカチが洗濯して干す前みたいに濡れても涙は止まらなくて、
結局、一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた。
430 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:24:27.22 ID:8ZHCVvefO
>>415
なんでトーチャンってあんなに不器用なんだかな
でもそんなトーチャンになりたい
418 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 16:52:25.47 ID:yMtIrH6q0
470名前:名無し 投稿日:03/05/02
ほんとに出会えるもんだね・・・びっくり・・・
ttp://xxx.com
471名前:名無し投稿日:03/05/02
死んだ俺のじいちゃんやばあちゃんとも出会えますか。
じいちゃんは五年前から寝たきりだった。生きてる頃は正直、気にしたこともない存在。
寝たきりなだけでやたらと元気だし、死ぬだなんて考えたこともなかった。
それが去年さらっと死んだ。
棺おけに入ったじいちゃんはベッドに寝たきりだったころと変わらない顔してた。
そのまま火葬場で骨になった。
じいちゃん死んで元気がなくなったのか、今年の初めにばあちゃんも死んだ。
立て続けに死なれて親父たちはへろへろになってた。
俺が思い出せるのはじいちゃんやばあちゃんのウザったいおせっかい。
寒いからもっと着ろだとか、俺がひそかに嫌いな料理を美味いから食えだとか。
実家に帰った時に千円や二千円を小遣いにくれたりとか。そんな程度しか思い出せない。
じいちゃんもばあちゃんも俺のことを好きだった。だけど俺はそんなに好きってわけじゃなかった。
でももう一回会えるなら、今度はちゃんと好きだったって言ってやりたい。
出会えますかこの野郎。
俺はじいちゃんとばあちゃんに会えるのかって聞いてんだよこの野郎。
421 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:12:34.53 ID:rT1aWlBi0
うちの娘3才は難聴。ほとんど聞こえない。
その事実を知らされたときは嫁と泣いた。何度も泣いた。
難聴と知らされた日から娘が今までとは違う生き物に見えた。
嫁は自分を責めて、俺も自分を責めて、まわりの健康な赤ん坊を産むことができた友人を妬んだ。
ドン底だった。
バカみたいにプライドが高かった俺はまわりの奴等に娘が難聴って知られるのが嫌だった。
何もかもが嫌になった。
嫁と娘と三人で死のうと毎晩考えていた。
ある晩、嫁が俺に向かってやたらと手を動かしてみせた。
頭おかしくなったんかと思ってたら、喋りながらゆっくり手を動かし始めた。
「大好き、愛してる、だから一緒にがんばろう」
手話だった。
そのときの嫁の手、この世のものじゃないかと思うくらい綺麗だった。
それで目が覚めた。何日もまともに娘の顔を見てないことにもやっと気付いた。
娘は眠ってたが、俺が声をかけるとニタッと笑った。
あれから三年。
娘の小さな可愛い手は上手に動いてる。喋ってる。
428 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:22:04.84 ID:rT1aWlBi0
姉の結婚式のとき。
姉と一緒に写真を撮っていたら、不意に、メールが届いた。
件名「ほしい」
内容「ちちも しやしん」
親族控え室を見回すと、何事もないかのように祖父らと談笑する父の姿が。
でも、時折チラチラとこちらを見る父。
「お父さんも一緒に撮ろうよ!」と声をかけたら、「写真は苦手なんだけどなー・・・お前たちがそう言うなら仕方ないなー・・・」
と言いながら寄ってきた。そのときの写真を、携帯の待ちうけサイズにしてあげたら「俺は親ばかじゃないから、こんなのいらん」と言ってたくせに、
後日
「しやしん まちうけ ほうほう おしえて」
と、メールが来た。
551 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 00:50:54.96 ID:bMo9p1HnO
>>428
萌えた
何そのかわいいお父さんw
429 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:24:16.49 ID:rT1aWlBi0
父さんは手先が器用だった。
小学校3年生の工作、少し手伝ってって言っただけなのに、120%の渾身の精力を傾けて作ってくれた空母赤城。何故かキットにない零戦の整備兵までいる。
物凄すぎて出せなかったよパパン…
イタズラも得意だったよな。
俺の歴史の教科書、ザビエルは天使になってるし、伊藤博文は
(=゜ω゜)ノぃょぅとかやってるし。(後でどれだけ怒られたと思ってるんだよw)
病室も折紙のカエルだらけにして看護婦さんに真剣に怒られてたっけ。
この間娘にせがまれてカエルを折ってやってたら、思い出して後で泣いてしまった。
死ぬ何日か前に車椅子に乗った父さんに会った時、こっちにおいでって言われたのに、痩せ細った父さんが恐くて尻込みしちゃったんだよな。あれが今生の別れだったのにな。
ごめんな。本当にごめんな。
あなたみたいに愛情深く、面白い人間にはなれないかも知れないけど、いつかは娘を萌えさせてみせるから。
432 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:26:25.99 ID:rT1aWlBi0
これ、反抗期の時の話しなんだけど、今でも忘れられない。
幼い頃からずっと片親で育ってきた私は、父親と二人暮らしをしてた。
友達や親戚から見ても、誰から見ても、私を大事に宝物の様に可愛がってくれて、一生懸命働いてくれてた。私の願い事は無理してでも、自分を犠牲にしてでも叶えてくれた。
風邪の時には仕事さぼってでも側に居てくれてた。寂しい思いはさせなかったと思う。
二人きりだけどクリスマスや誕生日も毎年してくれた。
けど、十代半ば、反抗期のせいで、父の優しさが凄くうざくなってきたんだ。
心配される事とか、口聞く事も、すべてがうっとおしくなったんだ。私は毎晩、夜遅く帰って来て父が心配してくれても私は父に罵声しかあびせなかった。
友達と遊ぶ事が楽しくて、だんだん家にも帰らなくなった。
そんな毎日を繰り返しまた夜、久しぶりに帰ったら私の分のおかずとか、小さなケーキがおいてあったんだ。
もう誕生日も二〜三日すぎてたのに、おいてあって、毎日ご飯作っていつ帰って来るのか分からない私をずっと待っていてくれてたんだとおもったら、切なくて悲しくて申し訳なくて涙が溢れてきた。
そして無造作に置かれてた小銭入れ、ボロボロな汚い小銭入れ、私が幼稚園の頃に父の日にあげたやつ。
まだ使ってたんだ。
父は、ほんとに私を誰よりも何よりも大切な宝モノなんだって事が胸につきささって、父に優しくしてあげられなかった事に、また泣いた。
また後から知った事だけど、私が小さい頃に書いた父の日のカードも、肌身離さず持っていました。
あの一件以来、私はちゃんと帰るようにはなりました。そんなこんなで今私は結婚もして、もうすぐで子供も産まれます。私は父がくれたあの愛情を、これから産まれてくる子供にたっぷりそそぎます。
そんな私をこれからも空から見守っててください。
お父さん、こんな私を育ててくれてありがとう。私はとっても幸せです。
大好きだったよ。
434 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:29:05.74 ID:rT1aWlBi0
うちの両親は昔すごく仲が悪かった。
母はとても気が強くいつも一方的に怒鳴り散らして父は下を向いて黙ったまま。
そんな光景を何度も見ながら育った。私は父のことがとてもかわいそうに思えて父の味方だった。幼心に”パパとママが離婚したらパパといっしょにくらす!”ってずっと思っていた。
私が通っていた幼稚園ではお昼に給食が出ていたんだけど1ヶ月に一度お弁当を持っていく日があってその時は母がいつも腕を振るってかわいいお弁当を作ってくれていたのでとても楽しみにしていた。
しかしお弁当を持っていく前日、ケンカをした後、母が家を飛び出してしまった。
明日はお弁当なのにどうしよう。と思っていたがそのことを父に言い出せず、そのまま眠りについてしまった。
次の日、目を覚ましたが母はまだ帰っていなかったが父が台所に立っていた。私が起きてきたことに気付いた父が「パパがお弁当作ったから」と言って得意気に私にお弁当箱を見せた。
しかし、中身はパンのサンドイッチがひとつ入ってるだけ。それに妙に腹が立った私は「こんなのお弁当じゃない!ママが作ってくれるのと全然ちがうもんっ!!」って言って泣き出してしまった。
父は始めビックリした顔をしたがみるみる寂しそうな顔になり「ママみたいに上手に作れなくてごめんな」って言って涙をこぼした。
幼稚園に行ってお昼の時間になり、お弁当箱を開けるとパンにイギリスの国旗の旗が刺さっていた。
父なりに工夫をして見た目を良くしてくれたんだと思う。それを見た私は母がいない寂しさや、父が心をこめて作ってくれたお弁当のことなど色んなことが頭に浮かんできて泣きじゃくりながらサントイッチを食べた。
中身はマーガリンに砂糖がかかっている甘いものだったけど涙のしょっぱい味が今でもすごく印象的です。
435 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:32:24.75 ID:rT1aWlBi0
俺には母親がいない。
俺を産んですぐ事故で死んでしまったらしい。産まれたときから耳が聞こえなかった俺は物心ついた時にはもうすでに簡単な手話を使っていた。
耳が聞こえない事で俺はずいぶん苦労した。
普通の学校にはいけず、障害者用の学校で学童期を過ごしたわけだが、片親だったこともあってか、近所の子どもに馬鹿にされた。
耳が聞こえないから何を言われたか覚えていない(というか知らない)が、あの見下すような馬鹿にしたような顔は今も忘れられない。
その時は、自分がなぜこんな目にあうのかわからなかったが、やがて障害者であるということがその理由だとわかると俺は塞ぎ込み、思春期の多くを家の中で過ごした。
自分に何の非もなく、不幸にな目にあうのが悔しくて仕方がなかった。だから俺は父親を憎んだ。
そして死んだ母親すら憎んだ。
なぜこんな身体に産んだのか。なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。手話では到底表しきれない想いを、暴力に変えて叫んだ。
ときおり爆発する俺の気持ちを前に、父は抵抗せず、ただただ、涙を流し「すまない」と手話で言い続けていた。
その時の俺は何もやる気がおきず、荒んだ生活をしていたと思う。
そんな生活の中での唯一の理解者が俺の主治医だった。俺が産まれた後、耳が聞こえないとわかった時から、ずっと診てくれた先生だ。
俺にとってはもう一人の親だった。何度も悩み相談にのってくれた。
俺が父親を傷つけてしまった時も、優しい目で何も言わず聞いてくれた。仕方がないとも、そういう時もあるとも、そんな事をしては駄目だとも言わず、咎める事も、慰める事もせず聞いてくれる先生が大好きだった。
そんなある日、どうしようもなく傷つく事があって、泣いても泣ききれない、悔しくてどうしようもない出来事があった。
内容は書けないが、俺はまた先生の所に行って相談した。長い愚痴のような相談の途中、多分「死にたい」という事を手話で表した時だと思う。
先生は急に怒り出し、俺の頬をおもいっきり殴った。俺はビックリしたが、先生の方を向くと、さらに驚いた。先生は泣いていた。
そして俺を殴ったその震える手で、静かに話し始めた。
ある日、俺の父親が赤ん坊の俺を抱えて先生の所へやってきたこと。検査結果は最悪で、俺の耳が一生聞こえないだろう事を父親に伝えたこと。
俺の父親がすごい剣幕でどうにかならないかと詰め寄ってきたこと。そして次の言葉は俺に衝撃を与えた。
「君は不思議に思わなかったのかい。君が物心ついた時には、もう手話を使えていた事を。」 たしかにそうだった。俺は特別に手話を習った覚えはない。じゃあなぜ・・・
「君の父親は僕にこう言ったんだ。『声と同じように僕が手話を使えば、この子は普通の生活を送れますか』驚いたよ。
確かにそうすればその子は、声と同じように手話を使えるようになるだろう。
小さい頃からの聴覚障害はそれだけで知能発達の障害になり得る。
だが声と同じように手話が使えるのなら、もしかしたら・・・でもそれは決して簡単な事じゃない。
その為には今から両親が手話を普通に使えるようにならなきゃいけない。
健常人が手話を普通の会話並みに使えるようになるのに数年かかる。
全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしても、とても間に合わない。
不可能だ。僕はそう伝えた。その無謀な挑戦の結果は君が一番良く知ってるはずだ。
君の父親はね、何よりも君の幸せを願っているんだよ。
だから死にたいなんて、言っちゃ駄目だ。」
聞きながら涙が止まらなかった。
父さんはその時していた仕事を捨てて、俺のために手話を勉強したのだ。俺はそんな事知らずに、たいした収入もない父親を馬鹿にしたこともある。
俺が間違っていた。
父さんは誰よりも俺の苦しみを知っていた。誰よりも俺の悲しみを知っていた。そして誰よりも俺の幸せを願っていた。濡れる頬をぬぐう事もせず俺は泣き続けた。
そして父さんに暴力をふるった自分自身を憎んだ。なんて馬鹿なことをしたのだろう。あの人は俺の親なのだ。
耳が聞こえないことに負けたくない。父さんが負けなかったように。幸せになろう。そう心に決めた。
今、俺は手話を教える仕事をしている。
そして春には結婚も決まった。俺の障害を理解してくれた上で愛してくれる最高の人だ。父さんに紹介すると、母さんに報告しなきゃなと言って父さんは笑った。
でも遺影に向かい、線香をあげる父さんの肩は震えていた。そして遺影を見たまま話し始めた。
俺の障害は先天的なものではなく、事故によるものだったらしい。
俺を連れて歩いていた両親に、居眠り運転の車が突っ込んだそうだ。
運良く父さんは軽症ですんだが、母さんと俺はひどい状態だった。
俺は何とか一命を取り留めたが、母さんは回復せず死んでしまったらしい。
母さんは死ぬ間際、父さんに遺言を残した。
「私の分までこの子を幸せにしてあげてね」父さんは強くうなずいて、約束した。
でもしばらくして俺に異常が見つかった。
「あせったよ。お前が普通の人生を歩めないんじゃないかって、約束を守れないんじゃないかってなぁ。
でもこれでようやく、約束…果たせたかなぁ。なぁ…母さん。」
最後は手話ではなく、上を向きながら呟くように語っていた。
でも俺には何て言っているか伝わってきた。俺は泣きながら、父さんにむかって手話ではなく、声で言った。
「ありがとうございました!」俺は耳が聞こえないから、ちゃんと言えたかわからない。
でも父さんは肩を大きく揺らしながら、何度も頷いていた。
父さん、天国の母さん、そして先生。
ありがとう。俺、いま幸せだよ。
445 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:58:00.01 ID:yMtIrH6q0
今日正社員の面接行ったのね。もうこれで11社目。
今まで全部駄目だった。
それで、その日は車で母も用事があったし、近くだったんで、
母さんが運転するよ、と付き添ってくれた。
駐車場の社内に母を待たて面接してもらった。
出てきたのは社長と人事課長。社長が絵に書いたような悪人顔でさ。
たばこふかしながら履歴書見て「何この転職回数?あんたもう36だろ?」
「働いた経験が長いったって、こんなの職歴なしも同然だろう?」
「精神の病気だかなんだかしらんが、うちでそんなの雇うわけない、
辞められたら無駄だし、もう帰ってくれ。用はないだろ。終わり終わり」
車に戻ると母は面接には触れず、「また寒くなるんだって、今ラジオで行ってた」
「ごはん食べて帰ろうか」って。
無言のままうどん屋に入って、カツ丼を食べた。
そしたら母親が「受かるといいねー」って言うからさ、俺答えに困っちゃってさ。
で、いろんな言い訳考えた末に正直に「いや、駄目だったんだ、今日も」といった。
母親、「また次も送っていくよ、カツ丼、あんまりおいしくなかったね」だってさ。
今頃になって泣けてきたよ。情けねーなー。就職してーなー。
今まで何やってたんだろう。
母さん、就職できたらおごってくれたお礼に、今度は何かおごるよ。
うまくないカツ丼じゃないところに行こう。
この歳になって言うのもなんだけど、 母さんごめんなさい。
448 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 18:05:57.33 ID:S4QjzGqL0
私の婦人科系の出費がかさんでいて、我が家はあまり裕福じゃない。
だから息子には申し訳ないんだけれど、おもちゃなんかはお誕生日とクリスマスの年二回しか買ってあげてないんだ。
息子が6歳の誕生日に「欲しいものは?何でも買ってあげるよ。」って夫婦できいたとき、息子が言ったのは「妹か弟が欲しい」だった。
「ボクはこの先一生おもちゃ買って貰えんでええけん、弟妹が欲しい。」
ごめんね。
あなたに弟妹をあげられないお母さんでごめんね。
子宮が無くてごめんなさい。ごめんなさい、許してね。
頭が真っ白になってしまって、親の癖に取り乱して息子に縋り付いて泣いて謝ってしまったんだよね、私。
息子はビックリして「お母さんを泣かせてごめんなさい。」って泣きだした。
親としてなってないよね、私。息子を傷つけたよね。本当にバカだった。
この前の、子供の日。夫の親・兄弟・親戚、一同が集まった席でいつものように始まった大合唱。
「一人っ子はかわいそう」「ロクな大人にならん」「今からでも第二子は遅くない」「今の医療なら、なんとかなるやろ?」
困った顔をして薄笑いを浮かべてテキトーに生返事をしてやり過ごすしか私達夫婦には方法がありませんでした。
うっかり事情が知れたら、もっと傷つけられる。ああ、仕方無いが、我慢しよう、嵐が過ぎるまで・・・そう思ってた。
その時、今年小5の息子が、鋭い口調で言い出した。
「ロクな大人の ロク って何さ?」「嫌そうに聞いてある人間に嫌な言葉を言い続けるのが ロク なんか?」
「ここにいるみんな、おれ以外はみんなキョウダイがいるロクな大人やろうもん」
「ロクな大人の ロク がこういうことなら、おれはロクな大人にならんでよか!」
「ああ、よかったったい。おれはロクな大人になれん一人っ子で」
「ちぃーともかわいそうなこと、なかやっか。一人っ子ばんざい!」
一同が静まり返ってきまり悪そうに視線をアチコチに泳がせ始めた時
「母さん、おれを産んでくれてありがとう。一人だけでも俺を産んでくれてありがとうな。」
照れくさそうに言って、ちまきを2〜3個引っ掴んで、
「△△のうちに遊びに行ってくるったい。いってきまーす!」飛び出していったよ。
次の週
「今日と明日は、おれが家事やるけん。母さんはゆっくりしときー。母の日やけん。お金かからんいい孝行やろもん。おれってあったまいー。」
今、息子は昼ごはんにとホットケーキを焼いているようです。
でもね、母の日のプレゼントは先週にもう貰ったと、私は思っているんだ。
えへへ、親馬鹿だけど、いい息子に育ってくれてうれしくて。誰かに聞いてもらいたかったんだ。
449 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 18:06:14.36 ID:yMtIrH6q0
昔友人のRから昔聞いた話。
Rの実家は猫好きな一家で、野良猫に餌をあげているうちに家中猫だらけになってしまったそうだ。
(高校の頃遊びに行ったが、ほんとにそうだった。)
住み着いた猫が仔をつくり、その仔もまた仔をつくる。一時は家庭崩壊しかけたほど猫が増えたそうだ。
そのうちの一匹の猫の話。
その猫も他の猫同様、野良時代に餌をもらい、それが何度か続くうちにRの家に住み着いた。
そして、その猫も仔を宿し、五匹の子猫を生んだ。しかし母猫は病気だった。出産後、餌は食べても吐いてしまうか、もしくはひどい下痢だった。
だが、子供はまだ小さい。母猫はじっと耐えるように五匹の子猫達を守っていた。
あまりにひどそうなので、見かねたRの母親が病院に連れていこうと近寄るが、
母猫は子供を取られると思っているのか、決して触らせようとしない。怒り狂って引っ掻いてくるのだ。
次の日、母猫はついに動けなくなっていた。出産の疲労と病気による衰弱のためであろう。
母猫の周りは、自らの汚物でいっぱいだった。
しかし、母猫はいとおしそうに五匹の仔をまんべんなくなめていた。
こいつは今日死ぬな。。衰弱しきった母猫をみてRはそう思ったそうだ。
そしてその夜、Rの母親が2階の自室で寝ていると、もぞもぞと布団の中で何かが動く。
それは子猫だった。
あれ?と思い電気をつけてみると、他の四匹の子猫たちも自分の布団のまわりにいる。
子猫たちは寒いのか、か細い声で鳴きながら布団に入ろうとしている。
そして、少し離れたところに、あの病気の母猫が静かに横たわっていた。
もう息はしていなかった。
決して子供達に近寄らせようとしなかった母猫は、最後の力を振り絞って一匹一匹わが仔をここまで運んできたのだろう。
死ぬ姿を人に見せないと言われるプライドの高い猫が、寝室の真ん中で死ぬことを選んだのだ。
子供達を託すために。
742 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 22:32:59.75 ID:7gibjbMW0
>>449
クソ泣けた
453 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 18:11:16.26 ID:yMtIrH6q0
あるところに、交通事故でお父さんを失った母子がいました。
上の子は小学3年生、下の子は小学1年生でした。
お母さんは、生活を支えるために朝6時に家を出、
ビルの清掃、それから学校給食の手伝い、夜は料理屋で皿洗いと、身を粉にして働きました。
でも、そんな生活が半年、8ヶ月、10ヶ月と続くうちに、
身も心もクタクタになってしまいました。
いつしかお母さんの頭には、いつも死ぬことばかりが思い浮かんできたのです。
そんなある日、お母さんは朝でがけに子供たちに置手紙を書きました。
「おにいちゃん、おなべに豆がひたしてあります。これを、今晩のおかずにしなさいね。
豆がやわらかくなったら、おしょうゆを少し入れなさい。」
その日も1日、くたびれきって帰ってきたお母さんは、
今日こそ死んでしまおうと睡眠薬を買っていました。
そんなことはまったく知らない二人の子供たちは、すやすやと眠っています。
その時、彼女は、「お母さんへ」と書いた、1通の手紙を眼にしました。
「お母さん、ごめんなさい。ぼくいっしょうけんめい豆をにました。でも、しっぱいしました。
だからごはんに、水をかけて食べました。お母さん、あしたの朝、もういちどぼくに豆のにかたをおしえてください。
そしてぼくのにた豆を一つぶだけ食べてみてください。ぼく先にねます。お母さん、おやすみなさい。」
このお兄ちゃんの手紙を読んだお母さんの目に、どっと涙があふれました。
「ああ、お兄ちゃんは、あんなにも小さいのに、こんなに一生懸命に生きてくれているんだ。」
お母さんはそう言って、お兄ちゃんの煮たしょっぱい豆を、涙と一緒に一つ一つ押し頂いて食べたのです。
それ以来、「一粒の豆」がお母さんの宝物になりました。
あの時のことを思えば、どんなことだって我慢ができるという、お母さんだけの「秘密の宝物」なのです。
461 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 18:22:14.88 ID:yMtIrH6q0
まだ私が小さい頃、父と母がすでに他界していたためおばあちゃんが私と兄を育ててくれていたのですが、
遠足などある時はいつもおばあちゃんの手作りお弁当を持って行きました。
でも当時おばあちゃんが作るお弁当はおにぎり2こだったので、
同級生の子達のかわいらしいたくさんおかずが入っているお弁当がうらやましかったんです。
お弁当箱もキティーちゃんとかマイメロディーなどのかわいいお弁当箱なのに、
私は銀紙で包んだおにぎり2つだったので、おばあちゃんに対して
「こんな変なお弁当つくらないでよ」
「はずかしいからやだ」とはき捨てたり、せっかく作ってくれてもわざと持っていかなかったり。
そんな酷い孫に対して、おばあちゃんは決して叱ったりしませんでした。
そんなある日、1度かわいいスヌーピーのお弁当箱にハンバーグや玉子焼きが入ったお弁当を作ってくれました。
おばあちゃんなりに他の子達はどんなお弁当を作ってもらっているのか一生懸命考えて作ってくれたのです。
おばあちゃんは、「ごめんね、かわいいお弁当っておばあちゃんの時代なかったからわからなかったのよ・・・
これなら恥ずかしくないかねぇ」としわしわのとても暖かな手でお弁当を手渡してくれました。
今思い出すだけで、私はおばあちゃんになんて酷い言葉を吐いていたんだろう、
なんて最低な子供だったんだろうと涙が出てきます。
おばあちゃんのおにぎりだって、本当はとってもとってもおいしかったのに、
「おいしかったよ」の一言も言わなかった。
本当にこんな酷い孫でごめんねおばあちゃん。
今私は結婚し、子供にも恵まれました。
おばあちゃんに曾孫を抱かしてあげる事ができ、幸せそうなおばあちゃんの優しい笑顔を見ると
これがあの頃の恩返しになれば私も幸せに思います。
うちの子はおばあちゃんの作るおにぎりが大好物なんですよ。もちろん私もです。
ありがとうおばあちゃん。ずっとずっと長生きして下さい。
大好きです。
「天国のあなたへ」
娘を背に日の丸の小旗をふって、あなたを見送ってから、もう半世紀がすぎてしまいました。
たくましいあなたの腕に抱かれたのは、ほんのつかの間でした。
32歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは、今どうしていますか。
私も宇宙船に乗ってあなたのおそばに行きたい。
あなたは32歳の青年、私は傘寿を迎える年です。
おそばに行った時、おまえはどこの人だなんて言わないでね。
よく来たと言って、あの頃のように寄り添って座らせて下さいね。
お逢いしたら娘夫婦のこと、孫のこと、また、すぎし日のあれこれを話し、思いっきり、甘えてみたい。
あなたは優しく、そうかそうかとうなずきながら、慰め、よくがんばったねと、ほめて下さいね。
そして、そちらの「きみまち坂」につれて行ってもらいたい。
春のあでやかな桜花、夏、なまめかしい新緑、秋、ようえんなもみじ、冬、清らかな雪模様など
四季のうつろいの中を二人手をつないで歩いてみたい。
私はお別れしてからずっと、あなたを思いつづけ、愛情を支えにして生きて参りました。
もう一度あなたの腕に抱かれ、ねむりたいものです。
力いっぱい抱きしめて絶対はなさないで下さいね。
383 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 14:45:39.88 ID:FD0iCdRe0
俺の近所に住んでた爺さんの話。
一人暮らしだった爺さんは子供好きで、ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。
ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の1シーンで
老中と主役が「じい」「若」と呼び合うのを二人で真似して
俺「じい!今日も遊びに来たぞ。」
爺「若、よくぞいらっしゃいました。」
なんて呼び合って遊んでいた。
そんな関係は俺が他県の大学に進学するまで延々と続いていた。
卒業後に実家に戻ってきたらなんと「じい」が脳卒中やって入院中だという。
さっそく見舞いに行ってみたら「じい」はたくさんの管に繋がれてベッドに横たわっていた。
看護士の話では外界からの刺激にはなんの反応も示さない状態だと言う。
俺は「じい」に呼びかけてみた。
「じい、俺だぞ。覚えてるか?」
ダメもとのつもりだった。・・・が、次の瞬間、閉じられていた「じい」の目がカッと見開き
そして今まで昏睡してたとは思えないようなハッキリとした声で喋った。
「若、ご立派になられましたな。」
425 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 17:19:48.79 ID:vzVGwdy0O
>>383
笑い泣いた
385 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 14:57:29.50 ID:PoJ9fqOTO
子供の頃、家は流行らない商店で貧乏だった。
母がパートに出て何とか生活できているよう程度の生活だ。
学校の集金のたびに母親がため息をついていたのをよく憶えている。
別段、小学校、中学校は何とも思わなかったけれど、
高校の入り、進学を考えた頃から両親と喧嘩することが多くなった。
私は大学に進みたかった。美大に行って本格的に絵を描きたかったからだ。
しかし進学するのに必要なお金など、どう考えても捻出できなかった。
毎日、昼のパート、夕方からのパートと掛け持ちで働き、くたくたになっている母親に、
「何で進学できないんだよ!子供の進学資金も出せないようじゃ親失格だぜ!」
と言ったことがある。
母親は涙ぐみ何も言わなかった。
その姿にハッと我に返ったが、ぶつけようのない悔しさが邪魔をしてそのまま謝りもしなかった。
しばらく後になって、あの時なぜ謝らなかったのだろうと猛烈に悔やむことになった。
386 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 15:12:47.77 ID:PoJ9fqOTO
母親は事故で亡くなり、直接謝ることは出来なくなってしまったのだ。
パートの帰りの運転中の事故だった。
交差点に突っ込んでの事故で、ブレーキ痕もない、、
過労だと思う、、
葬式の後、母の部屋を整理していて日記とも家計簿とも取れるようなノートを見つけた。
食費や光熱費、、、私は家計をやりくりした事など当然ないが、
そんな私が見てもギリギリの生活だった。
母親が自分のために使ったものなど何一つなかった。
なのに、、私のための進学のための貯金があった。
ぎりぎりの生活の中で、本当に数百円の単位で毎月貯金してあった。
私が怒鳴ったあたりから、パートの時間が増えていた。
後でわかった事だが、パートの勤務時間を頼み込んで増やしていたようだ。
増えた分は全て貯金、、
私はバカだった。
自分のことだけだった。
母の笑った顔を最後に見たのはいつだったろう?
私は何一つ親孝行などしてない、
母がいなくなってから、後悔の連続だった。
苦労ばかりかけて、自分のことばかり考えていた。
何の親孝行もしていない。
なぜあんな事を言ったのか、謝らなかったのか、
謝りたい、心から母に謝りたかった。
そんな時、ものすごくリアルな夢を見た。
夢の中で母親は居間で座っていた。
母を見つけた私は、泣きながら母親に詫びた。
何もしてやれないで、ひどい事を言って、ごめんと。
本当に子供のように泣いた。
母親は私の手を握って、
「謝らなくちゃいけないのはお母さんだから、、ごめんね」と言った。
それを聞いて、私はますます声をあげて泣いた。
起きた時は枕まで涙で濡れていた。
そして手にははっきりと、母の手の感覚が残っていたのを憶えている。
それだけならリアルな夢で終わっていたのだが、
その夢を見た朝、父が
「今朝、母さんの夢を見た。」と言うのだ。
私のことをよろしくと言ったらしい。
父が直接会いに行って話したらいいと母に言うと、
もう会ってきたからと言ったそうだ。
後悔の念が見せた夢で、偶然の事かもしれない。
でも、夢であれ母に謝ることができて良かった。
先月、23を迎えた私。
そして今月、数年前から病を患って入院していた母が死んだ。
呆然としたまま葬儀を終え、心にぽっかりと穴が開いたような虚無感の中
父親が私に一通の手紙と通帳を渡してきた。
娘へ。
これを読んでいるって事はお母さんは、一足先に空に行ったようだね!
通帳は、貴女が生まれた時からずっと貯めてきたものです。
だから、貴女が好きに使ってくれてかまわないよ。
これだけあれば結婚費用の足しにもなるはずだよね。
本当はお母さんも式に参加して見たかったけど、空から見てるから心配しないで!
あと、お父さんの事よろしくね!
母らしい最後まで元気な手紙。
そして、通帳を見ると私が生まれた1984年の9月から
毎月一日に欠かさずに一万振り込まれている277万円の通帳。
お母さん、お父さん、生んでくれてありがとう。
私は来年、結婚します。
407 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 16:36:49.95 ID:O91jZiqXO
おいおい、そんなことより>>1よ聞いてくれ。
昨日、恋人が死んじゃったんです。病気で。
そしたらなんか通夜が終わって病院に置いてきた荷物とか改めて取りに行ったら
その荷物の中に俺宛に手紙が入ってたんです。
で、よく見たらなんか「わたしの人生は普通の人よりも短かった、だけど○○君と一緒に
過ごせたことで普通の人よりもずっと幸せな日々を送れた」、とか書いてあるんです。もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、そんなこといまさら言ってんじゃねーよ、ボケが。死んだ後だよ、もうお前いねぇんだよ。
なんか最後の方はろくに起き上がれもしなかったくせに。弱々しい字で必死に書いたのか。おめでてーな。
よーし○○君のことずっと見守ってるぞー、とか書いてるの。もう見てらんない。
お前な、俺だってまだ言いたいこと沢山あったんだから生き返ってこいと。
愛の言葉ってのはな、もっと生きてるうちに伝えるべきなんだよ。
初めて出会った頃みたいにドギマギして恥ずかしさの余りいつ心臓が破裂してもおかしくない、言おうか言わざるべきか、
そんな雰囲気がいいんじゃねーか。今になってこんなこと言い出すやつは、すっこんでろ。
で、やっと涙堪えながら読み終わったと思ったら、最後の方に「わたしの事は忘れて他の人と幸せになってほしい」
とか書いてあるんです。そこでまたぶち切れですよ。
あのな、俺はお前がホントに死んだなんて信じられねーんだよ、ボケが。得意げな顔して何が、見守ってる、だ。
お前は本当にこの世にいないのかと問いたい。問い詰めたい。小一時間かけて問い詰めたい。
お前、これわ全部タチの悪いでホントはどっかで生きてるんちゃうんかと。
独り残された俺から言わせてもらえば今、お前に対して出来る供養はやっぱり、お前を忘れないこと、これだね。
たとえジジイになってボケたとしても。これが俺の生き方。
お前との思い出ってのは俺には辛すぎる。そん代わり忘れない。これ。で、それにお前のことをずっと想い続ける。これ最強。しかしこれを貫くと次から恋人が2度と出来ないかもしれないという危険も伴う。諸刃の剣。軟弱者にはお薦めできない。
まぁお前みたいな寂しがりやは、俺がいつかそっち行くまで待ってなさいってこった。
410 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 16:42:58.24 ID:yMtIrH6q0
家族でお出かけ中、4つ違いの妹(当時小学生)がビタン!と転倒、
泣き叫ぶ妹を親父は抱き起こし、泣きやむまでおぶって歩いた。
厳しい親父だったし、俺はそんな事してもらった事はなかった。
小坊だった俺はその場では文句も言えず、
後で母親に「ずるい…」とか拗ねてみせた覚えがある。
それから十余年、俺が一九の時に親父が胃ガンになった。
告知はしていなかったが親父は自分の病状に気づいている様子。
見舞いに行ったある日、親父は俺にこう言った。
「10歳の時、○子(妹)が転んだ事、覚えてるか?」
「うん」
「母さんから聞いた。悪かったと思ってる。でもな」
「今更何だよ」
「○子は優しく育って欲しいから助けた。おまえは強く育って欲しいから放っておいたんだよ」
「・・・・」
泣いちゃいけないと思いながら、泣けて仕方なかったよ。
416 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 16:51:15.74 ID:EMHpDRxfO
>>410
イイ!
415 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 16:49:48.94 ID:yMtIrH6q0
学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。
本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので
結局日帰りにしてしまった。
母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んでいると、
父が会社から帰ってきた。
口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、
一緒に居ると息苦しさを感じていたの私は、父が帰宅する前に帰って
しまいたいというのも、日帰り、ひいては通えない距離の学校を選んだの理由の一つだった。
父が、「お前、泊まるんじゃなかったのか」と訊いたので、
「ちょっと忙しいから」とぶっきらぼうに答えると、手に持っていたドーナツの箱を私に差し出し、
「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから」と言った。
駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は待たされるようだった。
小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
3個ずつ3種類入っていた。家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。
でも、私が9個貰っても食べきれないよ。箱の中を覗き込みながら苦笑した。
その直後。あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうな―。
ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。
様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、どれもこれも切なかったり苦かったりばっかりで。
手持ちのポケットティッシュが無くなっても、ハンカチが洗濯して干す前みたいに濡れても涙は止まらなくて、
結局、一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた。
430 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:24:27.22 ID:8ZHCVvefO
>>415
なんでトーチャンってあんなに不器用なんだかな
でもそんなトーチャンになりたい
418 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 16:52:25.47 ID:yMtIrH6q0
470名前:名無し 投稿日:03/05/02
ほんとに出会えるもんだね・・・びっくり・・・
ttp://xxx.com
471名前:名無し投稿日:03/05/02
死んだ俺のじいちゃんやばあちゃんとも出会えますか。
じいちゃんは五年前から寝たきりだった。生きてる頃は正直、気にしたこともない存在。
寝たきりなだけでやたらと元気だし、死ぬだなんて考えたこともなかった。
それが去年さらっと死んだ。
棺おけに入ったじいちゃんはベッドに寝たきりだったころと変わらない顔してた。
そのまま火葬場で骨になった。
じいちゃん死んで元気がなくなったのか、今年の初めにばあちゃんも死んだ。
立て続けに死なれて親父たちはへろへろになってた。
俺が思い出せるのはじいちゃんやばあちゃんのウザったいおせっかい。
寒いからもっと着ろだとか、俺がひそかに嫌いな料理を美味いから食えだとか。
実家に帰った時に千円や二千円を小遣いにくれたりとか。そんな程度しか思い出せない。
じいちゃんもばあちゃんも俺のことを好きだった。だけど俺はそんなに好きってわけじゃなかった。
でももう一回会えるなら、今度はちゃんと好きだったって言ってやりたい。
出会えますかこの野郎。
俺はじいちゃんとばあちゃんに会えるのかって聞いてんだよこの野郎。
421 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:12:34.53 ID:rT1aWlBi0
うちの娘3才は難聴。ほとんど聞こえない。
その事実を知らされたときは嫁と泣いた。何度も泣いた。
難聴と知らされた日から娘が今までとは違う生き物に見えた。
嫁は自分を責めて、俺も自分を責めて、まわりの健康な赤ん坊を産むことができた友人を妬んだ。
ドン底だった。
バカみたいにプライドが高かった俺はまわりの奴等に娘が難聴って知られるのが嫌だった。
何もかもが嫌になった。
嫁と娘と三人で死のうと毎晩考えていた。
ある晩、嫁が俺に向かってやたらと手を動かしてみせた。
頭おかしくなったんかと思ってたら、喋りながらゆっくり手を動かし始めた。
「大好き、愛してる、だから一緒にがんばろう」
手話だった。
そのときの嫁の手、この世のものじゃないかと思うくらい綺麗だった。
それで目が覚めた。何日もまともに娘の顔を見てないことにもやっと気付いた。
娘は眠ってたが、俺が声をかけるとニタッと笑った。
あれから三年。
娘の小さな可愛い手は上手に動いてる。喋ってる。
428 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:22:04.84 ID:rT1aWlBi0
姉の結婚式のとき。
姉と一緒に写真を撮っていたら、不意に、メールが届いた。
件名「ほしい」
内容「ちちも しやしん」
親族控え室を見回すと、何事もないかのように祖父らと談笑する父の姿が。
でも、時折チラチラとこちらを見る父。
「お父さんも一緒に撮ろうよ!」と声をかけたら、「写真は苦手なんだけどなー・・・お前たちがそう言うなら仕方ないなー・・・」
と言いながら寄ってきた。そのときの写真を、携帯の待ちうけサイズにしてあげたら「俺は親ばかじゃないから、こんなのいらん」と言ってたくせに、
後日
「しやしん まちうけ ほうほう おしえて」
と、メールが来た。
551 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 00:50:54.96 ID:bMo9p1HnO
>>428
萌えた
何そのかわいいお父さんw
429 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:24:16.49 ID:rT1aWlBi0
父さんは手先が器用だった。
小学校3年生の工作、少し手伝ってって言っただけなのに、120%の渾身の精力を傾けて作ってくれた空母赤城。何故かキットにない零戦の整備兵までいる。
物凄すぎて出せなかったよパパン…
イタズラも得意だったよな。
俺の歴史の教科書、ザビエルは天使になってるし、伊藤博文は
(=゜ω゜)ノぃょぅとかやってるし。(後でどれだけ怒られたと思ってるんだよw)
病室も折紙のカエルだらけにして看護婦さんに真剣に怒られてたっけ。
この間娘にせがまれてカエルを折ってやってたら、思い出して後で泣いてしまった。
死ぬ何日か前に車椅子に乗った父さんに会った時、こっちにおいでって言われたのに、痩せ細った父さんが恐くて尻込みしちゃったんだよな。あれが今生の別れだったのにな。
ごめんな。本当にごめんな。
あなたみたいに愛情深く、面白い人間にはなれないかも知れないけど、いつかは娘を萌えさせてみせるから。
432 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:26:25.99 ID:rT1aWlBi0
これ、反抗期の時の話しなんだけど、今でも忘れられない。
幼い頃からずっと片親で育ってきた私は、父親と二人暮らしをしてた。
友達や親戚から見ても、誰から見ても、私を大事に宝物の様に可愛がってくれて、一生懸命働いてくれてた。私の願い事は無理してでも、自分を犠牲にしてでも叶えてくれた。
風邪の時には仕事さぼってでも側に居てくれてた。寂しい思いはさせなかったと思う。
二人きりだけどクリスマスや誕生日も毎年してくれた。
けど、十代半ば、反抗期のせいで、父の優しさが凄くうざくなってきたんだ。
心配される事とか、口聞く事も、すべてがうっとおしくなったんだ。私は毎晩、夜遅く帰って来て父が心配してくれても私は父に罵声しかあびせなかった。
友達と遊ぶ事が楽しくて、だんだん家にも帰らなくなった。
そんな毎日を繰り返しまた夜、久しぶりに帰ったら私の分のおかずとか、小さなケーキがおいてあったんだ。
もう誕生日も二〜三日すぎてたのに、おいてあって、毎日ご飯作っていつ帰って来るのか分からない私をずっと待っていてくれてたんだとおもったら、切なくて悲しくて申し訳なくて涙が溢れてきた。
そして無造作に置かれてた小銭入れ、ボロボロな汚い小銭入れ、私が幼稚園の頃に父の日にあげたやつ。
まだ使ってたんだ。
父は、ほんとに私を誰よりも何よりも大切な宝モノなんだって事が胸につきささって、父に優しくしてあげられなかった事に、また泣いた。
また後から知った事だけど、私が小さい頃に書いた父の日のカードも、肌身離さず持っていました。
あの一件以来、私はちゃんと帰るようにはなりました。そんなこんなで今私は結婚もして、もうすぐで子供も産まれます。私は父がくれたあの愛情を、これから産まれてくる子供にたっぷりそそぎます。
そんな私をこれからも空から見守っててください。
お父さん、こんな私を育ててくれてありがとう。私はとっても幸せです。
大好きだったよ。
434 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:29:05.74 ID:rT1aWlBi0
うちの両親は昔すごく仲が悪かった。
母はとても気が強くいつも一方的に怒鳴り散らして父は下を向いて黙ったまま。
そんな光景を何度も見ながら育った。私は父のことがとてもかわいそうに思えて父の味方だった。幼心に”パパとママが離婚したらパパといっしょにくらす!”ってずっと思っていた。
私が通っていた幼稚園ではお昼に給食が出ていたんだけど1ヶ月に一度お弁当を持っていく日があってその時は母がいつも腕を振るってかわいいお弁当を作ってくれていたのでとても楽しみにしていた。
しかしお弁当を持っていく前日、ケンカをした後、母が家を飛び出してしまった。
明日はお弁当なのにどうしよう。と思っていたがそのことを父に言い出せず、そのまま眠りについてしまった。
次の日、目を覚ましたが母はまだ帰っていなかったが父が台所に立っていた。私が起きてきたことに気付いた父が「パパがお弁当作ったから」と言って得意気に私にお弁当箱を見せた。
しかし、中身はパンのサンドイッチがひとつ入ってるだけ。それに妙に腹が立った私は「こんなのお弁当じゃない!ママが作ってくれるのと全然ちがうもんっ!!」って言って泣き出してしまった。
父は始めビックリした顔をしたがみるみる寂しそうな顔になり「ママみたいに上手に作れなくてごめんな」って言って涙をこぼした。
幼稚園に行ってお昼の時間になり、お弁当箱を開けるとパンにイギリスの国旗の旗が刺さっていた。
父なりに工夫をして見た目を良くしてくれたんだと思う。それを見た私は母がいない寂しさや、父が心をこめて作ってくれたお弁当のことなど色んなことが頭に浮かんできて泣きじゃくりながらサントイッチを食べた。
中身はマーガリンに砂糖がかかっている甘いものだったけど涙のしょっぱい味が今でもすごく印象的です。
俺には母親がいない。
俺を産んですぐ事故で死んでしまったらしい。産まれたときから耳が聞こえなかった俺は物心ついた時にはもうすでに簡単な手話を使っていた。
耳が聞こえない事で俺はずいぶん苦労した。
普通の学校にはいけず、障害者用の学校で学童期を過ごしたわけだが、片親だったこともあってか、近所の子どもに馬鹿にされた。
耳が聞こえないから何を言われたか覚えていない(というか知らない)が、あの見下すような馬鹿にしたような顔は今も忘れられない。
その時は、自分がなぜこんな目にあうのかわからなかったが、やがて障害者であるということがその理由だとわかると俺は塞ぎ込み、思春期の多くを家の中で過ごした。
自分に何の非もなく、不幸にな目にあうのが悔しくて仕方がなかった。だから俺は父親を憎んだ。
そして死んだ母親すら憎んだ。
なぜこんな身体に産んだのか。なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。手話では到底表しきれない想いを、暴力に変えて叫んだ。
ときおり爆発する俺の気持ちを前に、父は抵抗せず、ただただ、涙を流し「すまない」と手話で言い続けていた。
その時の俺は何もやる気がおきず、荒んだ生活をしていたと思う。
そんな生活の中での唯一の理解者が俺の主治医だった。俺が産まれた後、耳が聞こえないとわかった時から、ずっと診てくれた先生だ。
俺にとってはもう一人の親だった。何度も悩み相談にのってくれた。
俺が父親を傷つけてしまった時も、優しい目で何も言わず聞いてくれた。仕方がないとも、そういう時もあるとも、そんな事をしては駄目だとも言わず、咎める事も、慰める事もせず聞いてくれる先生が大好きだった。
そんなある日、どうしようもなく傷つく事があって、泣いても泣ききれない、悔しくてどうしようもない出来事があった。
内容は書けないが、俺はまた先生の所に行って相談した。長い愚痴のような相談の途中、多分「死にたい」という事を手話で表した時だと思う。
先生は急に怒り出し、俺の頬をおもいっきり殴った。俺はビックリしたが、先生の方を向くと、さらに驚いた。先生は泣いていた。
そして俺を殴ったその震える手で、静かに話し始めた。
ある日、俺の父親が赤ん坊の俺を抱えて先生の所へやってきたこと。検査結果は最悪で、俺の耳が一生聞こえないだろう事を父親に伝えたこと。
俺の父親がすごい剣幕でどうにかならないかと詰め寄ってきたこと。そして次の言葉は俺に衝撃を与えた。
「君は不思議に思わなかったのかい。君が物心ついた時には、もう手話を使えていた事を。」 たしかにそうだった。俺は特別に手話を習った覚えはない。じゃあなぜ・・・
「君の父親は僕にこう言ったんだ。『声と同じように僕が手話を使えば、この子は普通の生活を送れますか』驚いたよ。
確かにそうすればその子は、声と同じように手話を使えるようになるだろう。
小さい頃からの聴覚障害はそれだけで知能発達の障害になり得る。
だが声と同じように手話が使えるのなら、もしかしたら・・・でもそれは決して簡単な事じゃない。
その為には今から両親が手話を普通に使えるようにならなきゃいけない。
健常人が手話を普通の会話並みに使えるようになるのに数年かかる。
全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしても、とても間に合わない。
不可能だ。僕はそう伝えた。その無謀な挑戦の結果は君が一番良く知ってるはずだ。
君の父親はね、何よりも君の幸せを願っているんだよ。
だから死にたいなんて、言っちゃ駄目だ。」
聞きながら涙が止まらなかった。
父さんはその時していた仕事を捨てて、俺のために手話を勉強したのだ。俺はそんな事知らずに、たいした収入もない父親を馬鹿にしたこともある。
俺が間違っていた。
父さんは誰よりも俺の苦しみを知っていた。誰よりも俺の悲しみを知っていた。そして誰よりも俺の幸せを願っていた。濡れる頬をぬぐう事もせず俺は泣き続けた。
そして父さんに暴力をふるった自分自身を憎んだ。なんて馬鹿なことをしたのだろう。あの人は俺の親なのだ。
耳が聞こえないことに負けたくない。父さんが負けなかったように。幸せになろう。そう心に決めた。
今、俺は手話を教える仕事をしている。
そして春には結婚も決まった。俺の障害を理解してくれた上で愛してくれる最高の人だ。父さんに紹介すると、母さんに報告しなきゃなと言って父さんは笑った。
でも遺影に向かい、線香をあげる父さんの肩は震えていた。そして遺影を見たまま話し始めた。
俺の障害は先天的なものではなく、事故によるものだったらしい。
俺を連れて歩いていた両親に、居眠り運転の車が突っ込んだそうだ。
運良く父さんは軽症ですんだが、母さんと俺はひどい状態だった。
俺は何とか一命を取り留めたが、母さんは回復せず死んでしまったらしい。
母さんは死ぬ間際、父さんに遺言を残した。
「私の分までこの子を幸せにしてあげてね」父さんは強くうなずいて、約束した。
でもしばらくして俺に異常が見つかった。
「あせったよ。お前が普通の人生を歩めないんじゃないかって、約束を守れないんじゃないかってなぁ。
でもこれでようやく、約束…果たせたかなぁ。なぁ…母さん。」
最後は手話ではなく、上を向きながら呟くように語っていた。
でも俺には何て言っているか伝わってきた。俺は泣きながら、父さんにむかって手話ではなく、声で言った。
「ありがとうございました!」俺は耳が聞こえないから、ちゃんと言えたかわからない。
でも父さんは肩を大きく揺らしながら、何度も頷いていた。
父さん、天国の母さん、そして先生。
ありがとう。俺、いま幸せだよ。
445 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 17:58:00.01 ID:yMtIrH6q0
今日正社員の面接行ったのね。もうこれで11社目。
今まで全部駄目だった。
それで、その日は車で母も用事があったし、近くだったんで、
母さんが運転するよ、と付き添ってくれた。
駐車場の社内に母を待たて面接してもらった。
出てきたのは社長と人事課長。社長が絵に書いたような悪人顔でさ。
たばこふかしながら履歴書見て「何この転職回数?あんたもう36だろ?」
「働いた経験が長いったって、こんなの職歴なしも同然だろう?」
「精神の病気だかなんだかしらんが、うちでそんなの雇うわけない、
辞められたら無駄だし、もう帰ってくれ。用はないだろ。終わり終わり」
車に戻ると母は面接には触れず、「また寒くなるんだって、今ラジオで行ってた」
「ごはん食べて帰ろうか」って。
無言のままうどん屋に入って、カツ丼を食べた。
そしたら母親が「受かるといいねー」って言うからさ、俺答えに困っちゃってさ。
で、いろんな言い訳考えた末に正直に「いや、駄目だったんだ、今日も」といった。
母親、「また次も送っていくよ、カツ丼、あんまりおいしくなかったね」だってさ。
今頃になって泣けてきたよ。情けねーなー。就職してーなー。
今まで何やってたんだろう。
母さん、就職できたらおごってくれたお礼に、今度は何かおごるよ。
うまくないカツ丼じゃないところに行こう。
この歳になって言うのもなんだけど、 母さんごめんなさい。
448 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 18:05:57.33 ID:S4QjzGqL0
私の婦人科系の出費がかさんでいて、我が家はあまり裕福じゃない。
だから息子には申し訳ないんだけれど、おもちゃなんかはお誕生日とクリスマスの年二回しか買ってあげてないんだ。
息子が6歳の誕生日に「欲しいものは?何でも買ってあげるよ。」って夫婦できいたとき、息子が言ったのは「妹か弟が欲しい」だった。
「ボクはこの先一生おもちゃ買って貰えんでええけん、弟妹が欲しい。」
ごめんね。
あなたに弟妹をあげられないお母さんでごめんね。
子宮が無くてごめんなさい。ごめんなさい、許してね。
頭が真っ白になってしまって、親の癖に取り乱して息子に縋り付いて泣いて謝ってしまったんだよね、私。
息子はビックリして「お母さんを泣かせてごめんなさい。」って泣きだした。
親としてなってないよね、私。息子を傷つけたよね。本当にバカだった。
この前の、子供の日。夫の親・兄弟・親戚、一同が集まった席でいつものように始まった大合唱。
「一人っ子はかわいそう」「ロクな大人にならん」「今からでも第二子は遅くない」「今の医療なら、なんとかなるやろ?」
困った顔をして薄笑いを浮かべてテキトーに生返事をしてやり過ごすしか私達夫婦には方法がありませんでした。
うっかり事情が知れたら、もっと傷つけられる。ああ、仕方無いが、我慢しよう、嵐が過ぎるまで・・・そう思ってた。
その時、今年小5の息子が、鋭い口調で言い出した。
「ロクな大人の ロク って何さ?」「嫌そうに聞いてある人間に嫌な言葉を言い続けるのが ロク なんか?」
「ここにいるみんな、おれ以外はみんなキョウダイがいるロクな大人やろうもん」
「ロクな大人の ロク がこういうことなら、おれはロクな大人にならんでよか!」
「ああ、よかったったい。おれはロクな大人になれん一人っ子で」
「ちぃーともかわいそうなこと、なかやっか。一人っ子ばんざい!」
一同が静まり返ってきまり悪そうに視線をアチコチに泳がせ始めた時
「母さん、おれを産んでくれてありがとう。一人だけでも俺を産んでくれてありがとうな。」
照れくさそうに言って、ちまきを2〜3個引っ掴んで、
「△△のうちに遊びに行ってくるったい。いってきまーす!」飛び出していったよ。
次の週
「今日と明日は、おれが家事やるけん。母さんはゆっくりしときー。母の日やけん。お金かからんいい孝行やろもん。おれってあったまいー。」
今、息子は昼ごはんにとホットケーキを焼いているようです。
でもね、母の日のプレゼントは先週にもう貰ったと、私は思っているんだ。
えへへ、親馬鹿だけど、いい息子に育ってくれてうれしくて。誰かに聞いてもらいたかったんだ。
449 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 18:06:14.36 ID:yMtIrH6q0
昔友人のRから昔聞いた話。
Rの実家は猫好きな一家で、野良猫に餌をあげているうちに家中猫だらけになってしまったそうだ。
(高校の頃遊びに行ったが、ほんとにそうだった。)
住み着いた猫が仔をつくり、その仔もまた仔をつくる。一時は家庭崩壊しかけたほど猫が増えたそうだ。
そのうちの一匹の猫の話。
その猫も他の猫同様、野良時代に餌をもらい、それが何度か続くうちにRの家に住み着いた。
そして、その猫も仔を宿し、五匹の子猫を生んだ。しかし母猫は病気だった。出産後、餌は食べても吐いてしまうか、もしくはひどい下痢だった。
だが、子供はまだ小さい。母猫はじっと耐えるように五匹の子猫達を守っていた。
あまりにひどそうなので、見かねたRの母親が病院に連れていこうと近寄るが、
母猫は子供を取られると思っているのか、決して触らせようとしない。怒り狂って引っ掻いてくるのだ。
次の日、母猫はついに動けなくなっていた。出産の疲労と病気による衰弱のためであろう。
母猫の周りは、自らの汚物でいっぱいだった。
しかし、母猫はいとおしそうに五匹の仔をまんべんなくなめていた。
こいつは今日死ぬな。。衰弱しきった母猫をみてRはそう思ったそうだ。
そしてその夜、Rの母親が2階の自室で寝ていると、もぞもぞと布団の中で何かが動く。
それは子猫だった。
あれ?と思い電気をつけてみると、他の四匹の子猫たちも自分の布団のまわりにいる。
子猫たちは寒いのか、か細い声で鳴きながら布団に入ろうとしている。
そして、少し離れたところに、あの病気の母猫が静かに横たわっていた。
もう息はしていなかった。
決して子供達に近寄らせようとしなかった母猫は、最後の力を振り絞って一匹一匹わが仔をここまで運んできたのだろう。
死ぬ姿を人に見せないと言われるプライドの高い猫が、寝室の真ん中で死ぬことを選んだのだ。
子供達を託すために。
742 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 22:32:59.75 ID:7gibjbMW0
>>449
クソ泣けた
453 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 18:11:16.26 ID:yMtIrH6q0
あるところに、交通事故でお父さんを失った母子がいました。
上の子は小学3年生、下の子は小学1年生でした。
お母さんは、生活を支えるために朝6時に家を出、
ビルの清掃、それから学校給食の手伝い、夜は料理屋で皿洗いと、身を粉にして働きました。
でも、そんな生活が半年、8ヶ月、10ヶ月と続くうちに、
身も心もクタクタになってしまいました。
いつしかお母さんの頭には、いつも死ぬことばかりが思い浮かんできたのです。
そんなある日、お母さんは朝でがけに子供たちに置手紙を書きました。
「おにいちゃん、おなべに豆がひたしてあります。これを、今晩のおかずにしなさいね。
豆がやわらかくなったら、おしょうゆを少し入れなさい。」
その日も1日、くたびれきって帰ってきたお母さんは、
今日こそ死んでしまおうと睡眠薬を買っていました。
そんなことはまったく知らない二人の子供たちは、すやすやと眠っています。
その時、彼女は、「お母さんへ」と書いた、1通の手紙を眼にしました。
「お母さん、ごめんなさい。ぼくいっしょうけんめい豆をにました。でも、しっぱいしました。
だからごはんに、水をかけて食べました。お母さん、あしたの朝、もういちどぼくに豆のにかたをおしえてください。
そしてぼくのにた豆を一つぶだけ食べてみてください。ぼく先にねます。お母さん、おやすみなさい。」
このお兄ちゃんの手紙を読んだお母さんの目に、どっと涙があふれました。
「ああ、お兄ちゃんは、あんなにも小さいのに、こんなに一生懸命に生きてくれているんだ。」
お母さんはそう言って、お兄ちゃんの煮たしょっぱい豆を、涙と一緒に一つ一つ押し頂いて食べたのです。
それ以来、「一粒の豆」がお母さんの宝物になりました。
あの時のことを思えば、どんなことだって我慢ができるという、お母さんだけの「秘密の宝物」なのです。
461 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 18:22:14.88 ID:yMtIrH6q0
まだ私が小さい頃、父と母がすでに他界していたためおばあちゃんが私と兄を育ててくれていたのですが、
遠足などある時はいつもおばあちゃんの手作りお弁当を持って行きました。
でも当時おばあちゃんが作るお弁当はおにぎり2こだったので、
同級生の子達のかわいらしいたくさんおかずが入っているお弁当がうらやましかったんです。
お弁当箱もキティーちゃんとかマイメロディーなどのかわいいお弁当箱なのに、
私は銀紙で包んだおにぎり2つだったので、おばあちゃんに対して
「こんな変なお弁当つくらないでよ」
「はずかしいからやだ」とはき捨てたり、せっかく作ってくれてもわざと持っていかなかったり。
そんな酷い孫に対して、おばあちゃんは決して叱ったりしませんでした。
そんなある日、1度かわいいスヌーピーのお弁当箱にハンバーグや玉子焼きが入ったお弁当を作ってくれました。
おばあちゃんなりに他の子達はどんなお弁当を作ってもらっているのか一生懸命考えて作ってくれたのです。
おばあちゃんは、「ごめんね、かわいいお弁当っておばあちゃんの時代なかったからわからなかったのよ・・・
これなら恥ずかしくないかねぇ」としわしわのとても暖かな手でお弁当を手渡してくれました。
今思い出すだけで、私はおばあちゃんになんて酷い言葉を吐いていたんだろう、
なんて最低な子供だったんだろうと涙が出てきます。
おばあちゃんのおにぎりだって、本当はとってもとってもおいしかったのに、
「おいしかったよ」の一言も言わなかった。
本当にこんな酷い孫でごめんねおばあちゃん。
今私は結婚し、子供にも恵まれました。
おばあちゃんに曾孫を抱かしてあげる事ができ、幸せそうなおばあちゃんの優しい笑顔を見ると
これがあの頃の恩返しになれば私も幸せに思います。
うちの子はおばあちゃんの作るおにぎりが大好物なんですよ。もちろん私もです。
ありがとうおばあちゃん。ずっとずっと長生きして下さい。
大好きです。
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