その弐
先日、私の父が他界しました。
この話は、父が亡くなる数日前、病院のベッド上で私に語ってくれた父の話です。
少々後味の悪い話にかると思いますが、どうしてもどこかに記しておきたいのでご了承ください。
父は、仕事熱心で物凄く堅い性格でした。それは私と母とでよく愚痴っていたほどです。しかし母は、「昔は良く笑ったんだけどね」といつも言っていました。
ただ、物心ついた私の幼少期の記憶には、笑う父の姿などどこにもありません。そんな私には、母の話が到底信じられないのでした。
そんな父が、一年前に会社で倒れました。印刷関係の会社で、父はかなり偉い立場にあり、会社の人たちもすごく心配してくれて、ほぼ毎日、誰かしらが父の入院する病院へと見まいに来てくれました。堅い性格の父ではありましたが、人からは好かれていたのだと解り、随分嬉しく思ったものです。
父の倒れた原因は、頭部にできた悪性の腫瘍で、医師の言葉は残酷なものでした。母も私も涙に暮れましたが、最後まで幸せに見届けてあげよう、と父の前では努めて明るく振る舞いました。しかし父は日に日に痩せ衰えていく一方。
元気だったときから、父はなぜか人が笑うのを嫌いました。母と私が談笑していても、それを見るとすぐに機嫌を損ねたように寝室へと籠ってしまうのです。父の話では無いのに、です。
それが、病床に入ってからはさらに顕著になりました。看護師さんが少し笑っただけで、完全に無口になり、寝たフリをしてしまう。
母も私も、当然何度も尋ねたことがあります。「なぜ笑うことを嫌がるのか?」と。
しかし明確な返答があったことは一度もありませんでした。
父の体の衰弱は、本当に目に見えて進行していきーー
暗いですね。このあたりの話の詳細は省ます。最後の、核心部分に触れます。
ーー起き上がることもままならなくなった父が、永遠に目覚めなくなる数日前のこと。
私はいつものように父のベッドの横に腰掛け、本を読んでいました。この時期には、父が口を開くことはほとんどなくなっていました。それなのに、父が突然私の名を呼びました。普段から呼ばれることはあったのですが、その時の父の様子が、今まで見たこともないぐらいに真剣で、私は少し恐怖したのを覚えています。これが最後の言葉になるのでは? 等の不安もありました。
父はこう言いました。
「お前は、笑い声が聞こえたりしてないか?」
意味がわかりませんでした。聞こえないよ? と私が言うと、父はとても安心したように「そうか、ならいいんだ」と言い、また私に背を向けてしまいました。
私は直感で、今の質問がすごく重大で、父の笑うのを嫌うことと関係しているような気がしたのです。私はすぐに尋ねました。
「今の質問、お父さんが笑うのを嫌うことに関係あるんでしょ?」
父は少しだけ肩を震わせましたが、私の言葉には返事をしませんでした。
それでも、これだけはちゃんと聞いておいてあげなきゃいけない……そんな気がした私は、執拗に父に質問を繰り返し、話してくれるようお願いしました。
しばらくして、父が忌々しげに、重々しい口調で語りだした話は、このようなものでした。
「お前が本当に小さい頃、母さんと三人で三重県に旅行に行ったんだが、覚えてないか? あの時、三人で山登りをしたんだ。もう……お前は覚えてないかもな。山登りとは言っても、小さい山だった。何しろお前はやっと歩けるようになったぐらいだったからなぁ。
その日は天気も悪くてな。登山者なんてほとんどいなかった。
恥ずかしい話なんだが、俺は朝から飲み過ぎたコーヒーのせいで、おしっこしたくなっちゃったんだ」
私は、饒舌になった父の、おしっこ、という単語が面白く、ついその時笑ってしまいました。すると
ーー父も僅かではありましたが、笑ったのです。父の初めて笑う顔を見た私は、喜びよりも、この話が本当に特別であることを察しました。
「ーーそれで、俺は母さんにお前を預けて、少し登山道を外れて立小便することにしたんだ。母さんもイヤな顔してた。草や木が茂っててな、何も見えないような場所を見つけて、そこで俺は用を済ませた。そして戻ろうとした時……女が目に入った。
顔が白くて、前髪が長く、後ろ髪は上でまとめてた。服は……草でよく見えなかったな。
多分、数十メートルは離れてただろう。女は、俺の方をじっと見てたんだ。恥ずかしくてたまらなかった。立小便を見知らぬ女に見られたんだからな。俺は見られたのを気付かないフリをして、戻ろうとした。そしたら、女が笑い出した」
父はそこまで話すと、何かを思い出したのか、顔を顰めて瞼を揉みました。
「ーー笑い声。甲高くて、恐ろしい笑い声。笑い声というよりも、サイレンとか、そんな風だった。それが、辺りにコダマするんだ。まるで草や、木までが一緒に笑っているように。顔は、怖くて見なかった。見れなかった。恥ずかしいという気持ちは失せて、ただただ怖かった。あんな笑い声は……」
そこまで話すと、父は突然またベッドに潜りこんでしまいました。
その時、父が最後に言った言葉を私は永遠に忘れないでしょう。
「今でも、聞こえるんだ」
父のこの話は、父が他界した後、様々な親類に聞いてみましたが、誰一人として「そんな話はしてなかった」と言っていました。
父が最後に、私にだけ話したのはなぜだったのか。私にも聞こえているのではと心配してくれたからなのか。それは今となっては知るすべがありません。
葬儀の際、お世話になった住職だけが、
「それは笑い女という妖怪かも知れません」
と言っていました。
詳しく聞きたかったのですが、住職も「昔何かで読んだだけですから」と、あまり多くを知らないようでした。
まさか、妖怪のせいで父が笑うのを嫌うようになったとは思いたくありません。
とはいえ、最後まで父には聞こえていたという笑い声の話は、不気味で、確かに怪異じみたものではあると思います。
母ですらその話は知らなかったようで、今度その三重県の山へ、二人で行ってみようと計画しています。
長文、失礼しました。
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