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心霊写真5(前編)

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【霊感持ちの】シリーズ物総合【友人・知人】
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214 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE :2013/03/22(金) 21:26:28.50 ID:En49cf2N0
市内に戻って来ると、もう夕方の五時を過ぎていた。陽も翳ってきている。
「二手に分かれよう」
師匠はそう言って、街なかで僕を車から下ろした。
「わたしはちょっと調べることがあるから、先に家に帰ってる。お前は図書館で資料を借りて来てくれ。あと、スーパーに寄ってなにか買って来い。飯作ってやるから。おにぎりとパンしか食ってないから、腹が減ってかなわん」
「事務所じゃなくて、家の方ですね」
資料って、なにを借りて来たらいいのかと訊くと、角南家のことが分かる郷土史の類を借りられるだけ借りて来い、と言われた。それから、もしあれば『消えた大逆事件』のことが出ている本も。
頷いたが、僕は気がかりだった。もうタイムリミットまであまり時間がない。これ以上なにを調べる気なのかが分からない。
ひょっとして、師匠はお荷物の僕を捨てて、一人でなにかをしようとしているのではないか。そのことを心配したのだ。
「一人で松浦と会ったりしないで下さいよ」
いくら師匠でも女性なのだ。ヤクザと一人で対面するなんて、危なすぎる。
「分かってる、分かってる」
師匠はうるさそうに手を振ると、僕を捨て置いてさっさと車を出発させた。
雑踏に残された僕は、仕方がないので図書館まで歩いて行き、郷土史のコーナーに陣取って角南家の名前が出てくる本を片っ端から借りて行った。
消えた大逆事件に関する書籍は、マイナー過ぎたのか、あるいは胡散臭い本という扱いのためなのか分からないが、とにかく図書館には置いていないようだった。
図書館を出ると、近くのスーパーに寄る。師匠は魚が好きなので、魚を適当に見繕って、あとビールを数本買い込んだ。
荷物が増えたので、少し気だるい思いをしながら師匠の家の方へえっちらおっちら一人で歩いて向かっていると、急に誰かに肩 を叩かれた。
まだ市街地だったが、一本裏の道を通っていたので、あまり人影もないような通りだった。
振り向くと、茶髪で派手な服装をした男がにっこりと笑って立っている。その口に、前歯が一本欠けているのが見えた。
「よう」
気さくにそう声を掛けられた瞬間、うなじの毛が逆立つような危機感が背骨に沿って脳天まで走り抜けた。
ズシリ。

215 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE :2013/03/22(金) 21:28:55.03 ID:En49cf2N0
男の顔が僕の顔のそばまで近づき、その下では右の拳が僕の腹にめり込んでいた。一瞬、吐瀉物が喉を逆流する、焼けるような感触があった。
身を守ろうと、図書館で借りた袋とスーパーのビニール袋を路上に落として両手で男を押しのけるような動作を取る。しかし茶髪の男はするりと僕の手をかわすと、さらに近づいて腹の同じ場所を殴った。
それも寸分たがわずだ。今日夏雄に殴られたばかりの場所だった。いや、少し外れている。昨日殴られた場所だ。この、同じ茶髪の男に。
僕はたまらず、身を折って吐いた。鼻に沁みるような痛さがある。茶髪は、抵抗力を失った僕を引きずるようにして、近くにあった雑居ビルの一階のドアを開けて、中に入った。
空き店舗なのか、片付けられたなにもない殺風景な部屋に、ダンボール箱がいくつか転がっている。その中で唯一、二段に積まれているダンボール箱に、僕は思い切り叩きつけられた。
背中に、硬い物が衝突する。缶詰かなにかが箱の中にギッシリと入っているらしい。
二段重ねのダンボールは崩れ、僕はその上に倒れ込む。起き上がろうとした時、蹴りが来た。
胸の辺りに当たる。体重を乗せた横蹴りだったので、また吹き飛ばされる。仰向けに倒れた僕の上に、茶髪が跨るようにして仁王立ちする。
「写真、出せよ」
見下ろしながら、ヘラヘラと笑う。
返答をする間もなく、顔を斜めから蹴られる。いや、それはほとんど踏みつけに近かった。頬に走る、皮膚と骨がずれるような痛み。
次の蹴りが来る前に、顔を庇おうと両手を持って行きかけて、しかし咄嗟の判断で茶髪の足を払った。
ぐらりとバランスを崩したところへ、頭突きをするように強引に立ち上がる。全身で敵を押し込み、その反動を使ってすぐに身体を離す。
一瞬、間が出来たので状況を確認すると、空き部屋の中には自分と茶髪の男の二人しかいないことはすぐに分かる。次いで武器になりそうなものを探すが、本当にダンボール箱くらいしか見当たらなかった。
こいつは、喧嘩のプロだ。
二人きりで対峙して初めて、皮膚感覚でそれを悟る。
「写真て、なんの、ことだ」
息を整えながらようやくそう言ったが、茶髪は歯の欠けた間抜け面でニヤケたまま馬鹿にしたように首を上下に振った。

216 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE :2013/03/22(金) 21:31:44.44 ID:En49cf2N0
唯一の出入り口は、入ってきたドアだけ。それは茶髪の背後にあった。逃げられない。
そう悟った僕は、思い切り体当たりをしようと突進を敢行する。しかし、そのスピードが乗り切る前に間合いを詰められ、鼻先にパンチを喰らった。それも、一発の後、二発、三発と立て続けに。
ジャブだ。左肩を前に出しながら、腰を入れずに左の拳を突き出して来る。早い。とても避けられない。
この男は、ボクサー崩れなのか。
痛みに思わず目をつぶるやいなや、腹にまた鉛のような重いパンチを叩き込まれた。今度は右の拳だった。
「ぶえ」
無様な声が出て、吐瀉物がまた口からこぼれる。
茶髪は、身を屈めた僕の髪の毛を掴み、まるで吊り下げるように腕を持ち上げながら顔を近づけて言った。
「変態ども御用達の写真屋の次は、写真供養の寺か。分かりやすいなあ、お前ら。あのデブに訊いたぜ。お前らがコピーじゃなく、オリジナルの方を持ってるってことはな」
それを聞いて愕然とする。
すべてばれてる。なぜだ。まさか、尾行されていたと言うのか。この男に?
「やっぱり田村の野郎とつるんでやがったのか。いや、違うな。俺たちが見失っている田村が、わざわざお前らに写真を預けるわけがない。
そんな危険を冒すわけが…… どうせ押し付けられたんだろう。逃げている間に。事務所に押しかけて来たって時だ」
茶髪はもう一発腹にパンチを入れて来た。息が出来なくなる。下げかけた頭を、無理やり髪の毛を掴まれて起こされる。
「おいおい、なんだっつの。その目はよお。探偵の事務所で俺を睨んでた威勢の良さはどこ行った」
そう言った瞬間、男のニヤついていた顔の表情が、筋肉ごと作り変えられたように変貌し、元から細い目がこちらの心中を見透かすかのごとく、冷笑をたたえていた。
「人を見かけで判断してはいけないと、教わらなかったか」
茶髪は唇をあまり動かさず、静かにそう言った。松浦に感じたのと同質の寒気が、僕の身体を襲った。
チャッ、という音がして、空いていた左手にいつの間にかナイフが握られていた。

217 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE :2013/03/22(金) 21:35:41.98 ID:En49cf2N0
「今写真を持っているのは、あの女の方か。惜しかったな。まあいい、お前を囮にして呼び出すとしよう」
脇腹に、刃物の切っ先が突きつけられる。少し。ほんの少し、先端が皮膚を突く程度に。ナイフを奪おうと動いた瞬間に、それは僕の内臓に深く突き刺さる。そのことがリアルに想像できる。
頭の奥がジーンとして、とても空気が苦い。
「来い」
茶髪は僕を無理やり立たせる。
その立ち上がる動きの間、僕の脇腹に当てられたナイフと、その先端の当たっている皮膚との位置関係に全く変化がなく、滑らかに水平移動していたことに気づいた瞬間、抵抗する気力が失しなわれていった。
この男はナイフの扱いに長けている。街なかでチンケなゴロを巻くチンピラなんかとは一線を画す、プロなのだ。
男が背後から僕の脇腹にナイフを突きつけたまま、空き店舗のドアから出て行く。指示されるままに雑居ビルの奥へ進むと、エレベーターがあった。そのそばに緑色の公衆電話が据えられている。
「あの女のところに掛けろ」
そう口にしたタイミングでナイフの先端が初めて前に進み、脇腹にブツリと痛みが走る。ほとんど思考停止状態で、僕は受話器のフックを上げた。やけに重い。硬貨は男が入れた。
プッシュ式の番号を押しながら、わずかに残った理性が、別の誰かのところへ掛けるべきではないかと囁く。
誰だ。誰のところへ。
しかし、そのわずかな僕の躊躇いを見透かしたように、茶髪が背後から手を伸ばして来て、残りの番号を押してしまった。
師匠の家の電話番号だ。なぜこの男が知っている?
頭が痺れる。『写真屋』が教えたのか。それとも小川調査事務所を家捜ししていた時に、どこかで番号を見たのか。きっと後者だろう。その程度のことは抜け目なくやっていそうな気がした。
耳の奥で、呼び出し音が鳴る。もはや止めようがない。
電話が繋がる。一瞬の間の後、僕は茶髪に指示された通りの言葉を一方的に喋った。
田村の隠れ家を見つけたこと。その場所。可及的速やかに来て欲しいということ。

218 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE :2013/03/22(金) 21:40:31.65 ID:En49cf2N0
その場所とは、もちろんこのビルの一階の最初のドアの向こうだ。僕の声は普通ではなかったはずだった。しかしその震えも、田村を見つけてしまったのならば不自然ではない。
茶髪がフックを叩いた。なにか他のことを言う前に電話を切られてしまった。
「ご苦労」
そうしてまた僕は空き店舗へ戻された。茶髪はポケットから細いロープを取り出して、部屋の隅の壁から出ていたパイプのようなものに僕を後ろ手にして縛り付けた。
ロープは細いが、金属製の綱が織り込んであってとても千切れそうにはなかった。
茶髪はようやく僕から離れ、一度ドアの外に出た後、本の入った袋とスーパーの袋を提げて戻って来た。僕が路上に落としたものだ。そのまましておくと目立つので回収して来たらしい。
袋を地面に置き、ダンボール箱の上に腰掛けて煙草を吸い始めた。その横顔にはニヤニヤとした頬の弛緩など跡形もなかった。横目で僕を油断なく監視しながら、時おり天井に向けて煙を吐いていた。
「僕たちは、松浦さんの依頼を受けて動いていたんだ」
自分でも驚くような弱々しい声だった。
「知ってるさ。心霊写真だって?」
ククク、と茶髪は冷たく笑った。僕はそこに、ヤクザという徹底した上下関係の世界にあるはずの畏敬の欠片もないことに気づく。
チンピラ上がりから抜け出せず、ただわめき散らすだけの頭の足りない男……
松浦や他の若い衆と一緒にいた時のその印象が、ただ必要に応じて演じていただけの役割であったということが今はっきりと分かった。
男は、兄貴分の松浦など内心では認めていない。己の力、欲望をひたすら隠し、静かに牙を研いでいる。そんなイメージがひしひしと伝わって来るのだった。
こいつは、一人で動いている。
独断専行で、つまり松浦に抜け駆けをして写真を手に入れ、一体なにをしようと言うのか。誰にも気づかれずに研ぎ上がった牙を、使う時が来たとでも言うのだろうか。
ふと気づいたように茶髪は僕に近寄り、ガムテープを口に貼りつけた。ポケットに入れていた板切れのようなものに少量を巻きつけてあるのが見えた。驚くような用意周到さだ。
一本だけ欠けた前歯。離れていく時、そこに目が吸い寄せられた。
わざと抜いているのかも知れない。
ふとそう思った時、僕はただの人間を恐ろしいと思う感覚を味わった。とても嫌なものだった。


219 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE :2013/03/22(金) 21:43:07.66 ID:En49cf2N0
ふいに茶髪は煙草を踏みつけ、腰を上げる。ドアの上部はすりガラスになっていて、その向こうに人影らしきものが現れている。
茶髪の左手にナイフが握られ、慎重に歩を進めていく。僕は動くことも、声を上げることもできない。
茶髪が、ドアの前に立った瞬間だった。
凄い音が耳に飛び込んで来た。
すりガラスが砕け散り、ドアの外から突き出された長い腕が、茶髪の顔面を捉えていた。後ろに吹き飛ぼうかという勢いが、ガクンという不自然な動きに止められる。
腕はそのままさらに伸ばされ、茶髪の胸倉を掴んでいた。そして間髪入れず、力任せにドアの方へ茶髪は身体ごと引っ張られる。
ガシャン、という音がして残ったすりガラスが割れる。ドアに引き寄せられて上半身を叩きつけられた茶髪は、獣のようなうめき声を上げた。
ドアが蹴破られ、茶髪は今度こそ吹き飛ばされる。
耳が片方折れた兎が、身を屈めるようにしてドアをくぐって入って来た。正しくは、首から上に兎の頭の着ぐるみを被っている男だった。兎はにこやかに笑っている。しかし不気味に目は見開かれ、記号的で空疎な笑いだった。
兎は拘束されている僕の方に一瞥をくれると、起き上がろうとした茶髪に駆け寄って右手を突き出す。茶髪は不十分な体勢のままそれをかわし、後方にステップして距離を取る。
怒鳴ったり、脅し文句を吐いたり、という無駄なことはしなかった。
ただ、「誰だ」とだけ短く言って、拳を構えた。その直前、瞬時に、茶髪は兎と、部屋の隅に転がったナイフを見比べている。拾う隙はないと判断したのか。
兎は無造作に近づいていく。耳を除いてもかなり背が高い。それほどタッパのない茶髪との体格差は相当あった。自然、茶髪は兎を見上げる形になる。
茶髪の足が動いた。リーチの不利を消すために懐へ飛び込もうとしたのだ。しかし、次の瞬間、その出足を兎の右足が止めていた。
ローキックだ。
ドシンという肉が叩かれる鈍い音がして、茶髪の身体が膝の辺りから前のめりに沈んだ。
ついで、左のストレートが茶髪の右頬を捉える。その手が髪の毛を掴み、兎の額の部分が茶髪の鼻柱に叩きつけられる。振り下ろすような頭突きだった。
着ぐるみの柔らかい材質のせいか、ゴスンという控えめな音がした。
そして離れ際、兎の右のパンチがフック気味にボディへと吸い込まれる。

220 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE :2013/03/22(金) 21:46:43.35 ID:En49cf2N0
茶髪は苦悶の表情を浮かべて身体をくの字に折った。そのままうずくまり、動かなくなった。
兎はそれを見下ろした後、僕に近づいて後ろ手にパイプと結んであったロープを解いた。
「逃げるぞ」と、うずくまる茶髪をそのままにして、兎は部屋から出ようとする。僕は口に貼られたガムテープを自分で剥がしながら、図書館で借りた本の袋とスーパーの袋を手に取って後を追う。
「ドアの前に立ってたのが僕だったらどうするつもりだったんですか」
「…………」
兎は答えず、雑居ビルから脱出した。
茶髪に強制されて師匠の家に電話を掛けた時、夏雄がなぜ出たのか。さっぱり分からなかった。
夏雄は寺に残り、僕らは市内へ帰ってきたばかりなのだ。しかし困惑しながらも、ただ与えられた言葉を吐くしかなかった。そしてそのことが、僕の置かれた状況が危機的であるということを伝えるすべとなった。
電話に出たのが夏雄だと分かっていながら、なお相手を師匠として語り続けたからだ。
それが得体の知れない雑居ビルへの呼び出しであり、この件にヤクザが絡んでいることと合わせて考えると、あの暴力馬鹿ならずとも状況はある程度読めたはずだった。
まさか兎がやって来るとは思わなかったが。
脇道の角を曲がると、道端に黒い車が止まっていた。夏雄のスープラだ。
「あの、」
なにか言おうとして、僕は突然眩暈に襲われた。力が抜けて吐き気が胃の奥から湧いてくる。道の端に身を折って、少し吐く。体中が痛い。殴られたり蹴られたりした場所が熱を持って存在を主張している。
座り込んでしまいたい衝動に駈られていると、兎が僕を小脇に抱えるようにして力ずくでスープラまで連れて行き、後部座席に放り込んだ。
煙草の匂いが染み付いているシートに顔から突っ込み、身体を起こす元気もないまま呻く。
兎が運転席に乗り込み、その着ぐるみを脱いだ。
夏雄が前髪から汗を滴らせながら、ダッシュボードのボックスティッシュをこちらに投げて来た。僕はそれで吐瀉物のついた口元を拭く。
血がついているのに気づいて、顔を触ると、頬の皮膚が少し裂けていた。踏みつけられた時の傷だ。鼻血も出ている。

221 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE :2013/03/22(金) 21:50:56.60 ID:En49cf2N0
夏雄は行き先も告げずにスープラを発車させた。
「加奈子さんは」
もう一枚ティッシュを抜きながらそう訊く。
「家にはいなかった」
寺で分かれた後にすぐ僕らを追って来て、そのまま師匠の家に行ったのか。そこに僕が電話を掛けたわけだ。
「加奈子さんは!」
僕は大きな声を出した。蹴られた胸に響いて痛みが走る。
「うるせえな。置手紙があったんだよ。人に会って来るって」
松浦の顔が浮かんだ。
やっぱり会いに行ったのか。一人でかっこつけやがって。何をされるか分かったものじゃないのに!
焦りが脳の回線を焼く。
「誰に会いにいったんです」
「落ち着け、ボケ。自分が帰るまでになにかあったら西署に電話しろって書いてあった」
「なにかあったら警察に電話しろって、やばい状態に決まってるでしょう!」
「こっちになにかあったら、だ。しかも110番じゃねえよ。二課のデスクだ。刑事に会ってんだよ」
刑事に?
知り合いがいるのは知っていたが、なぜ今?
「知らん」
車はしばらく走ってから止まった。古ぼけた看板が掛かった小さな診療所の前だった。
僕は乗った時と同じように、力づくで後部座席から引っ張り出され、診療所の中へ連れ込まれる。
ギシギシきしむ板張りの薄暗い廊下を通って、診察室らしい一室に入ると、剥げ上がってでっぷりと太った初老の男が白衣を着て椅子に腰掛けていた。
「よう、夏っちゃん。右手を怪我した時以来か」
夏雄は黙って僕を差し出した。
その医者は松崎と言った。小川調査事務所の面々ご用達の『あまりうるさいことを言わない』医者らしい。
喧嘩の怪我くらいではなにも訊かずに治療してくれるとのことだった。尻に銃創がある怪我人がやって来ても、と聞かされたが、聞き間違いだっただろうか。

222 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE :2013/03/22(金) 21:53:16.30 ID:En49cf2N0
「はあん。だいぶやられたな」
上着を脱がされて、アザになっている箇所を強く抑えられ、呻いた。看護婦はいない。松崎医師一人でやっているらしい。
夏雄はそのまま僕を医者に押し付け、帰ろうとした。
「待てよ」
立ち上がろうとしたが、医者に肩を押さえられる。ただの肥満体かと思ったが、凄い力だ。
「とにかく怪我を見てもらえ。浦井のことは心配するな。会えたら連絡してやる」
夏雄はそう言い置いてさっさと行ってしまった。
僕は湿布やら包帯やらを巻かれ、あまり清潔には思えないベッドに寝かされた。
「吐き気さえ治まったらもう大丈夫だよ」と言われたが、まだふらつきがあり、帰る足もない僕はその診療所で夏雄の連絡を待つしかなかった。
人に言えない怪我を負った連中を相手に商売をしているこの医者なら、もしかして腹を刺された田村も、あの応急処置の後でやって来た可能性もあると思い、訊いてみたが「知らない」というそっけない答えだった。
かりに来ていたとしても、そんなことを喋るはずもなかった。
診療所に、他の客がやって来る気配はなかった。。医者はなにをするということもなく、ずっとテレビを見ている。
横になったまま僕はうとうとしていた。
はるか頭上のあたりに、五枚の写真が浮かんでは消え、浮かんでは消え……
ゆらめく蝋燭の明かり。
閉じない。
どうして。
誰の声だったか。
ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なな、やあ、ここの、とお……
正岡大尉。
老人。
とっとと出るぞ、こんな水虫屋敷。
あいつは、見えてるよ。
よもつひらさか。あしはらのなかつくに。
人を見かけで判断してはいけないと、教わらなかったか。
師匠。
加奈子さん。
どんな写真なんだ。けしからん。
実に。
見てみたい。

223 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE :2013/03/22(金) 21:57:00.82 ID:En49cf2N0
「おい」
「はい」
返事をしてから目を覚ました。
ああ。寝てしまっていたらしい。診療所の窓の外は暗く、もう日が落ちてしまっている。
師匠が僕の横たわるベッドのそばの丸椅子に腰掛けている。
「大丈夫か」
本物の師匠だ。ついさっき別れたばかりなのに、ずっと会えなかったような気がした。
「はい」
身体を起こす。部屋の柱時計を見ると、夜の八時になろうとしていた。
「決着をつけに行くぞ」
パンを買いに行くぞ、とでもいうようなあっさりしたその言葉に、僕はどんな怪我だろうが立ち上がれるような気がした。
「はい」
そう答えると、師匠はニッ、と笑った。

師匠のボロ軽四で小川調査事務所に到着した僕らは松浦を待っていた。師匠が八時半にここで会う約束を電話で取り付けたという。
ホワイトボードを確認すると、小川所長が帰ってくる時間が今日の夜九時となっている。しかし九時といえば飛行機の到着の時間のはずなので、実際はまだ一時間程度は猶予がある。
師匠は小川所長が戻って来る前にこの件のカタをつけるつもりなのだ。無断でヤクザの依頼を引き受けた手前、そうせざるを得ないのだろう。
カタをつけるといっても、依頼部分については半ば出来レースだ。預かった写真のうち、四枚は心霊写真じゃありません。もう一枚はたぶん念写によるものです。
そう説明したところで、結局は偽造写真として扱われるだけだ。田村がまだ見つかっていないとしても、躍起になって探し出すモチベーションにはならない。
松浦の真意は別のところにある、というようなことを師匠は言っていたが、それもどうということはないだろう。
問題なのは、田村が持って逃げているはずの写真の現物を師匠が持っていたということだ。

224 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE :2013/03/22(金) 22:01:16.48 ID:En49cf2N0
そしてそれを松浦に伝えたであろう茶髪を、本職のヤクザを、夏雄がボコボコにしてしまったということ。これがまずかった。兎の着ぐるみを被っていたが、僕を助けに来たのだ。こちらサイドの人間に決まっている。
単独行動を取っていた茶髪が、このことを松浦に、あるいは石田組に報告していないのではないか、という甘い希望はこの際持たなかった。
タダで済むとは思えない。
「黒谷さんは」
師匠に訊くと、「帰した」という答え。
「あいつがいると話がこじれる」
この件は暴力抜きで決着できると判断したのだという。話がこじれるのは想像できるが、なんだそれは、と僕は思った。
寺から帰る時に、「ヒマか」と訊いたのは師匠の方だ。関わりたくないのか、夏雄はついて来ることを拒否したのに、結局師匠を心配してやって来ている。
そして身体を張って僕を助けてくれたのに、邪魔になったから帰れ、というのは……
僕は嬉しかったのだ。
あの兎が現れた時。
あの、僕がボコボコにされていた時に。痛ッ。
怪我のことを思い出した途端、傷口が痛み出した。切った頬などより、打ち身のところがキツイ。特に腹は茶髪、夏雄、茶髪と同じ場所ばかり殴られているから。なんだかムカムカして来た。夏雄の野郎。
しかしまた、これから石田組とどうケリをつけるのか心配になり、落ち込む。
生きた心地がしない状態で事務所の椅子に座っていたが、心の準備が整わないうちに事務所のドアが開いた。
そして四人の男たちが入って来る。
松浦がいる。そして最初の時にいた年嵩の男と、ゴリラのような顔の男。あと初めて見る体格の良い男がいた。背は夏雄と同じくらい高く、黒いスーツを窮屈そうに着ている。
ひしゃげたような団子鼻で、人相も相当に凶悪だった。耳が潰れていて、いわゆるギョーザ耳になっている。かつては柔道の重量級全国大会出場者、というところか。
その男を見て、僕は茶髪が兎にやられた一件が完全に石田組にも伝わっていることを悟った。しかし彼らが警戒しているその兎は今ここにはいない。最悪の状況だ。
「その化け物に用はない。帰せ」
師匠が自分のデスクから立ち上がり、はっきりそう言い放った。

226 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE :2013/03/22(金) 22:05:59.90 ID:En49cf2N0
化け物と言われても、団子鼻の男は顔色一つ変えない。師匠の物言いを咎める喚き声も聞えてこなかった。その役割をしていた茶髪がいないからだった。
「それはそちらの態度次第だ」
松浦が静かに口を開いた。
「写真は渡す。本来、これは田村のものだ。お前たちに渡す義理はないが、この騒動を収めるためにそうしよう」
師匠は懐から写真を取り出し、その場で腕を伸ばして差し出した。年嵩の男がスッと近づき、写真を受け取る。
手元にやって来た写真を松浦がちらりと一瞥する。
「いいだろう」
室内の緊張感が少し和らいだ気がした。
「だが、田村の居場所はどこだ」
「知らん。写真はやつがお前らに腹を刺されて事務所に転がり込んで来た時に、押し付けられただけだ。その後は会っていない。一度電話があったが、居場所を聞く前に切られた」
こっちだって迷惑なんだ!
師匠はそう言ったが、写真を最初に松浦に渡さなかった理由にはなっていない。
「なぜ渡さなかった」
やはりそこを訊かれた。
『ヤクザが嫌いだろう』
田村にはそう言われたのだったか。しかし師匠は、松浦に向かって平然として言った。
「この写真には秘密がある」
「なに?」
松浦が眉根を寄せた。
「あんたにだけ話したい」
師匠は真っ向から松浦を見ている。
「依頼のこともある」
そう続けた師匠に、ようやく松浦は頷いた。
「下で待て」
男たちはその指示を受けて、整然とドアから去って行く。あらかじめ心得ていたようだった。化け物と呼ばれた男も、全く表情を変えず、ドアの向こうへ消えた。
「そちらは」
松浦は僕を見た。

227 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE :2013/03/22(金) 22:08:41.86 ID:En49cf2N0
嫌だ。絶対にここにいる。
テコでも動かない気だったが、師匠が「怪我人だ。いいだろう?」と言うと、ふ、と空気が抜けるような笑いを浮かべ、松浦は何も言わずソファに腰掛けた。
「あの歯の抜けた茶髪の男はどうなった?」
師匠がデスクから椅子をソファの方へ回して、そう訊いた。
「あなた方には関係がない」
松浦はそのことについて話す気はない、というようにそっけなく言った。僕はその様子から、茶髪の独善的行動が松浦の逆鱗に触れたのではないかと想像した。恐らく当たっているだろう。
だとするならば、今ここにいないあの男が、夏雄にやられた以上の重症を、仲間からの制裁によって負っている可能性さえあった。
「関係ないのだったら、そいつの怪我についても不問だな」
師匠は夏雄の暴行について踏み込んだが、松浦はそれについてもそっけなかった。
「関係がないと言ったはずです」
そうして胸の内ポケットから黒革の財布を取り出して、数枚の一万円札を僕に突きつけた。
一瞬なんのことか分からなかったが、自分の頬に当てられた包帯を手で触り、そう言うことかと気づく。
「やめろ」
師匠は強い口調で言った。
言われなくても受け取る気などなかった。なにしろ僕はあの診療所でお金を払っていない。どこにツケられたのか分からないが。
「嫌われたものだ」
松浦は一人ごちて財布を仕舞う。
「では、聞かせてもらいましょう」ギシリ、とソファがきしんだ。
「まず、依頼の方からだ」
師匠はそう言ってから机の上に置いてあった自分のリュックサックを持って来て、中から封筒を取り出した。それから僕に目配せをして、来客用のテーブルを持って来させる。
ソファと机の間に置かれたテーブルに、五枚の写真が並べられた。いや、うち一枚はその複写だ。
あえて師匠は、現物の方ではなく、複写の方で話を進めた。
「そちらの依頼は、この横浜にある角南家の別邸で撮られた1938年か39年の写真に写っている、死んだはずの正岡大尉の正体を調べろ、というものだった」

228 :心霊写真5 ◆oJUBn2VTGE :2013/03/22(金) 22:13:06.90 ID:En49cf2N0
「そうです」
「心霊写真なのか、それとも他のなにかなのか……」
師匠はゆっくりと写真のコピーを指の腹で撫でた。
「ここに写っているこの正岡大尉に良く似た人物は、今現在も死んでいない」
松浦は、ほう、という顔をした。
「生きていないものは、死なない。このテーブルが死なないように」
コツコツと中指の第一関節で叩く。
「わたしの結論としては、念写だ。こいつは、ここにいる仲間たちの思念によって写し込まれた、命なき存在なんだ」
ね・ん・しゃ。
松浦は馬鹿にするでもなく、なんの先入観もないようにその言葉を吟味しているように見えた。
「だが、ただの精巧な人形がここに置かれていただけなのかも知れない。あるいは、ただの心霊写真なのかも知れない」
師匠はただの、を強調して言った。
「でもそれも大した問題じゃない。なぜならこれは偽造写真だからだ。真実がどうあれ、最初からそう決められている。角南一族にダメージを与える致死的な毒にはなりえない」
そうだろう?
師匠は松浦の目を真正面から見る。松浦はなにも答えない。
「あんたの真意は別にあった。本当の依頼はこっちさ!」
師匠はテーブルを叩いた。いや、その上に並べられている他の四枚の写真をだ。
「海辺の家族連れ。男の子の両膝から先がないのは、ただのシャッター速度の問題だ」
写真はピン、と弾かれテーブルの外に落とされた。
「アイスを食べているカップル。この肩の手はよくあるイタズラだ」
ピン、と弾かれる。
「飲み会の写真。煙草の煙がストロボに照らされ、偶然顔のように見えただけだ」
ピン。
「母親と男の子の写真」
師匠はそう言って写真を手に取った。
「この男の子は、あんただ」
驚いて目を疑った。なぜそうなるんだ?
松浦も驚いているかと思ったが、その表情は逆に冷え切ったように緊張感を湛えている。

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