番外編「I Love World」
オランダ国民が感動した天皇陛下のふるまい


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【オランダ国民が感動した天皇陛下のふるまい】

日本とオランダの交流は平成12年(2000年)に満400周年を迎えました。
しかし、1942年太平洋戦争下の日本軍はインドネシアに進行し、18世紀以降続いてきた。
オランダによるインドネシアの植民地支配を終わらせました。
その後、日本はインドネシアが独立国家となるように手助けしました。

インドネシアからすれば日本は苦しみから救ってくれた英雄ですが、逆にオランダからすれば日本は憎っくき敵となてしまいました。
日本軍の侵攻によりオランダ軍人4万人と民間人9万人が祖末で不衛生な抑留所に収容されました。
しかしその収容所とはオランダ人がインドネシア人従業員のために建てた宿舎。

オランダ人がインドネシア人に行っていたことを、そのまま日本人にされたという屈辱から、
戦後長らくオランダ人の対日感情は良いものではありませんでした。

そして、サンフランシスコ平和条約を締結時、オランダは日本に対する賠償請求権を放棄します。
しかし、1956年に結ばれた「オランダとの私的請求権解決に関する議定書」において、
ジャワで拘留された民間人に与えた被害について日本は補償を実施しました。
(さらに2001年にもアジア女性基金により医療福祉支援を個人に対して追加実施)

オランダは権利を捨てました。
それでも日本は2度にわたり、損害について補償を実施しましたが、オランダ人の対日感情は改善しなかったのです。

実際、昭和46年(1971年)に昭和天皇がオランダにご訪問された際、車に卵や魔法瓶を投げられる事態が発生しています。

とはいえ、皇室とオランダ王室の仲はとても良好。
お互いに何度も行き来があり、平成12年(2000年)の両陛下のご訪問もオランダ国女王陛下のお招きによるもの。
東京を御発された両陛下はスイスにお立ち寄りの上で、オランダ・アムステルダムに御着されました。
空港では歓迎式典ののち、王宮にお入りになります。

午後、王宮の正面にあるダム広場に建つ戦没者記念碑に、両陛下がご供花。
両陛下の身じろぎひとつない真撃なる黙祷は1分間にも渡って続き、その様子はメディアを通じてオランダ全土に報道されました。

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ベクトリクス女王は目に涙を浮かべていたそうです。

両陛下のご訪問にあたってオランダのメディアは過去の戦争問題を中心とした報道をけたたましく重ねていましたが、
このご供花以降、そういった報道はぴたりと治まるのです。
翌日、交通障害などを抱える児童生徒200人強が在籍する養護学校をお訪ねになった両閣下。
両陛下が施設に御着されたとき、児童たちは中庭で絵を描いていました。

すると、后陛下が机に伏せたままの姿で動かない女の子にお気づきになります。
金色に光るおもちゃの王冠を頭に載せたその女の子は、両陛下をお迎えしようとはりきりすぎてしまい、
御着前には疲れて眠りこんでしまっていたのです。

起こしてしまうのもかわいそうだと皇后陛下はそのままにされていましたが、
はっと目を覚ました女の子はすでにお出迎えが終わってしまったことを察知して泣き出してしまいます。

すぐに走って皇后陛下のもとへ駆け寄った女の子。
するとスタッフの頼みもあり、皇后陛下は女の子をお抱きしめになったのです。
歓んだ女の子は皇后陛下にぎゅっとしがみつきました。

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この写真はオランダで大々的に報道され、反響を呼びます。
翌日のライデン大学の寮の前で窓から身を乗り出した女子大生と楽しげに語らいになる両陛下のご様子の報道とともに、
両陛下の垣根なく優しい振る舞われるお人柄を的確に周知させたのです。

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オランダご訪問前のどちらかといえば批判めいた報道は姿を消し、
歓迎ムードに一転、不思議なもので、これぞやはり両陛下の成せる賜物です。

結果、今やオランダ人の68%が日本に好印象を持つようになったのはすべて天皇皇后陛下の皇室外交によるものだった。

▽参考サイト
https://www.youtube.com/watch?v=R8K1rWTdVNg&feature=youtu.be&list=PLVktQ8WYfXVL3Tlpcbe39K44xDCkVsjTo


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