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嗚咽

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感動・しんみり・ほんわか等の様々な想いやメッセージの短編集です。時間のあまりない時にも軽く読めます。
Part1
318 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/10/01 22:55 ID:qSqyuoC0
美術館でバイトをしていた。その日の仕事は地元の公募展の受け付け作業。
いっしょに一人、審査員の先生も同席してくれる。
その時にいてくれたのは、やさしいおじいちゃん、と言う感じの彫刻の先生。

一緒に並んで座っている私が咳をしていると「手を出しなさい」と言う。
不思議そうに手を出すと、服のポケットから出した缶入りの南天のど飴の小さな缶を振って、
私の手のひらに飴を落として「たべなさい」と優しく笑った。

私は風邪気味でその日は何度も咳をし、そのたびに手を出しなさいと言われた。
「大事にしなさい、人間は簡単に死ぬからね」とぽつんと言われ、
「やだー、先生、そんなに簡単に死にませんよー」と笑っていったら
「そうだなぁ、そうだなぁ」と優しく笑った。

半年後、新聞の死亡記事でその先生を見つけた。
その数日後に美術館でバイトをした時その先生の話になった。
癌だった先生は、告知を受けており、私が飴を貰った頃はすでに自分の死期が近い事を知っていたという事だった。

その半年後、某美術展の地方巡回展があり、私は売店のバイトをする事になった。
開会日の前日、会場の売店の整理の合間に作品を見てきてもいいと責任者にいわれて会場を回った。

とても優しく笑っている女の子の彫刻に喪章がついていた。
審査員出品作。
その先生の最後の作品だった。
優しい笑顔がふいに浮かんで、トイレにかけこんで泣いた。



816 名前:大人の名無しさん 投稿日:03/01/21 03:45 ID:LtX4/zV3
中学の時、苛められていた。
学年のヤンキー軍団にターゲットロックオンされていた為、学年の半分以上が敵だった。
残りには無視されたり陰口を叩かれた。

そんな私にも友人が4人いた。
でも彼女達に飛び火するのが怖くて、奴らが近づいたときにはそっと離れたりしていた。

ある日、私はヤンキーの一人に手酷い苛めを受け、不覚にも泣いて逃げ出してしまった。
その後先生に連れ戻されたが、家に着くまで涙が止まらなかった。
自殺しようとマンションの階段から身を乗り出したりしようとしたときもあったが、残される家族や友人達のことを思うと死ねなかった。
私は生きた。

数年後、もう就職もしようかという年になって友人の一人と久しぶりに話し込んだ。
そしてその時、私が泣いたあの日、友人Kちゃんが私が帰った後ヤンキー軍団のいる教室へ直談判をしに行っていた事を知った。
別段ケンカが強いわけでも、格闘技を習ったりしているわけではない普通の女子中学生が
私の為に危険も顧みずに奴らの中に飛び込んでいったそうだ。

初めて知った事実。
家に帰って、机に座ったら涙が溢れて来た。
ありがとう、ありがとう!
中学時代、彼女達がいなかったら今私はここにいない。
改めて彼女達に感謝しながら、その日は声を殺して泣いた。

今はもうバラバラになってしまったけど、彼女達が何か助けを求めてきたらいつでも力になりたいと思う。
そして、何十年経ってでも友達でいてください。
おばあちゃんになってもお茶しよう。



967 :大人の名無しさん :03/02/13 11:18 ID:UoByDRy+
私が生まれてすぐ両親は離婚し、母の実家で祖父母、母と暮らしていた。
母は私を育てるため、毎日毎日遅くまで残業していて、朝しか顔を合わせない日もたくさんあった。
休日は母は疲れて遅くまで寝ていて、どこかへ連れて行ってもらった記憶もほとんどなかった。

父兄同伴の遠足や運動会も、
友達みんながお母さんと嬉しそうに手をつないでいるのを見てやりきれない気持ちになった。

私は手のかからない子供だったと思う。
自分の感情を抑えて「会社休んで参観日に来て。」なんて無茶を言ったことなんかなかった。
一人遊びも上手だった。
すべてに遠慮して幼い頃から敬語を使う子供だった。


968 :大人の名無しさん :03/02/13 11:19 ID:UoByDRy+
小学校3年くらいのことだった。
遠足に行った後、作文を書くように言われた。
「五感」をテーマに書けと言われたんだと思う。
先生は、視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚を説明してくれた。
私はその中で触覚というものをテーマに選んだ。

遠足で山道を歩き学校までの道、皆2列になって手をつないで歩くわけだが、私は列の一番後ろを歩いていた。
生徒の数が奇数だったため、私は一人で歩いていたのだがその時、
先生が来て、私と手をつないで歩いてくれた。

いつも先生が手をつなぐのはもっと手のかかる子ばかりで私はいつも羨ましいと思っていたのだと思う。
なんだかすごくドキドキして嬉しくて、涙で前がよく見えないまま学校に着いた。

作文には遠足の帰り道の先生の手が暖かかった、と書いたと思う。
私の作文を読みながら先生が
「手くらい、いつでもつないであげるのに。」
と震える声で言って、私の手をもう一度つないでくれた。

友達たちは私の作文に何が書いてあったか気になるみたいで私に聞いてきたが、
振り切ってトイレに走って行ってまた泣いてしまった。



678 :大人の名無しさん :03/09/07 20:40 ID:6jPyEKof
当事15歳の弟が13階建てのビルから飛び降り他界致しました。
両親の離婚で、就職を余儀なくされ・・きっと愚痴を言いたかった状況の中・・文句もいわず・・

そんな私は今年で33になり・・あれから18年が経とうとしています。

結婚後現在、4歳を迎える直前の娘に恵まれている中・・
昨日夢を見ました。。。

「姉ちゃんが買ってくれたクレアラシル、ありがとうな・・
 いっつも思ってくれてありがとう。。。
 ねえちゃん、身体壊れてるよ・・
 病院に行ってきな・・・」

最近弟の夢も少なくなっていたこの所で・・忠実に病院に行ってみました。
結果、大腸がん。。

先生いわく、後2週間送れれていても微妙だったとの事。
明日、手術ですが、自覚症状が無かった為・・
本当に不思議でもあり、弟に感謝しています。


弟が死んでしまった日・・
「私のお腹に戻ってきなよ!・・」
って毎日呪文のように唱えていましたが今日の出来事を通し・・・

いつも私を、見ていてくれている貴方に・・・

心からありがとう。




872 :大人の名無しさん :04/08/26 22:29 ID:7gbIl0kj
娘千春が逝ってから、もうすぐ1年。
千の春を迎えられる位長生きして欲しいという願いを込めて名をつけたのに、
あの子はたった7つの春しか迎えられなかった。
先天性の免疫不全症候群で、生まれてから一度も病室の外に出ることはなかった。

「いつになったらお外へ出れるの?」

悲しそうに呟くあの子の姿が今も目に焼き付いている。
結局、生あるうちにその願いは叶えられないまま終わった。

小さな身体で懸命に、最後まで、生きることを諦めなかった千春。
闘って、闘って、闘い抜いた千春。
とうとう力を使い果たして、眠るように逝った千春。

「よく頑張ったね、えらいぞ、1等賞だ。だからね、もういいからね、おやすみ」

主治医の先生が看取った時に、優しく千春の頭を撫でながらそう言って泣いていた。
私は主人と一緒に泣きながら、そんな先生に何度も何度も頭を下げた。

小さかった千春をもっと小さな一握りの灰と骨にして、海と山に撒きました。
外の世界に焦がれ続けていた千春を、また狭くて暗い墓の下に閉じ込めたくなかったので。

千春、千春、今あなたはどこにいるの?
空? 海? 山? 幸せでいる?
今はまだ、あなたのことを思い出すと涙があふれて止まらないよ。
おかあさんの娘に生まれてくれてありがとうね。
またいつか会おうね。



565 :大人の名無しさん :03/08/04 18:59 ID:rcoZUqMF
ようやく気持ちも落ち着いてきたからちょっと書かせてもらいます。

中学生の時、何かにつけてよくツルんでいたダチが2ヶ月前に事故で亡くなった。
そいつは何をするにも熱くなりがちで、テストや体育の授業なんかは
しきりに勝負を挑んでくるような奴だった。
俺とそいつは勉強もスポーツも同じくらいの実力だったから、
俺も競うのはすごく楽しかった。
今思えば、学生生活が退屈なものにならなかったのはコイツのおかげだったとも思える。
ある日、同じクラスの奴がバイクで事故って亡くなった。
葬式の日にそのダチはあまり交友もなかったそいつのことを思ってボロボロ泣いていた。
当時男が泣くことを恥ずかしいことだと感じていた俺も、
本気で泣いてるこいつを見た時に「いい奴だな」と思ったのを覚えてる。
今も忘れないその帰り道のこと、ダチが「葬式って悲しいな」って言った。
「そりゃそうや。人が死んでんから」って俺が答えると、
「お前、俺が死んでも泣かんでええからな。むしろ笑え。
 俺が生きてた頃にやったバカなこと思い出してみんなで笑ってくれや」って言った。
「アホか。どこに葬式で笑うヤツがおんねん」って俺が言うと、
赤い目したダチが
「悲しい葬式なんかおもろないやろ。それに俺、泣かれても嬉しないもん。
 せっかくみんな集まるんやからバカ騒ぎしたらええ。
 それで1人でええから、俺みたいなヤツでも死んだら寂しくなるなって
 思ってくれるヤツがいたら満足や」
って、笑って言った。
俺は「アホや!こいつアホや!」ってちょっとキザっぽく言うダチを笑った。


おい、お前の葬式、俺泣かんかったぞ。
写真の前で手合わせてからニコニコ顔で出てきたった。
だって、お前がそう望んでたんやからな。
勝手に死んで、アホか。



760 :大人の名無しさん :03/09/20 00:53 ID:ADCpy8SO
3日前妹が死んだ。22歳だった。
交通事故だったけど、妹は悪くなかった。ただ相手の不注意と、不運が重なった。
それだけのことであっけなく死んだ。即死だった。
連絡を受けて飛行機に飛び乗り、病院に着くまでは信じられなかった。
でも妹は死んでいた。
家族と親戚と友達と、来年の春に結婚するはずだった彼氏が病室にいた。
両親は妹に取りすがって泣き崩れ、彼氏は床に崩れ落ちていた。
事故の相手は若い主婦で、旦那と一緒に床に頭をこすり付けて土下座して、号泣しながら謝ってきた。
彼氏が殴りかかろうとしたのを、俺が止めた。
母親は顔も上げられず、父親が相手をにらみつけて震える声で
「金なんていらない。娘をかえしてくれ」
と言った。

なあ、ひかり。
今からでもいい、戻ってきてやれよ。
もう一度、父さんと母さんの娘になってやれ。
どれだけお前を可愛がっていたか、知ってるだろ?
それにもう一度、彼氏の恋人になってやれ。
あんなにお前を愛してくれる男なんて他にはいないぞ。
それからもう一度、
俺の妹になってくれないか?
俺の妹は、生涯お前一人だ。
ひかり、早すぎたんだよ。帰ってきてくれ。どうすればいいのかわからない。



230 :大人の名無しさん :04/06/24 13:55 ID:mjzYN+dK
父が突然亡くなった。
父の行く先行く先をうちの猫のみぃはついていく猫だった。
「いつも俺の後をついてくるんだぞ。俺の護衛なんだ。」と少し自慢げに言う父のその言葉に、特に信じるも信じないも、ふぅ〜んですましていた。
父が、亡くなり仏様になり自宅に帰ってきた。手を組み布団に寝ている父。
すると、人見知りのみぃが私達の前を通り、父の布団の中に入った。
もう冷たい父の横に寄り添って寝ていた。みぃ冷たいでしょう・・・。その光景を見てものすごく涙がでた。猫にも分かるのかな。お別れだってこと。

父が棺おけに入った夜。
家族だけの最後の夜。
棺おけの上にみぃは乗り、一生懸命父の顔の見える扉を開けようとしていた。
砂を掘るように一生懸命あけようとしていた。
母と私はそれをとめなかった。本当に一晩中みぃは必死だったのだ。
私達は泣いた。猫にも最後と分かるのだ。まだ私達は信じられなかった。


231 :230(続き) :04/06/24 13:56 ID:mjzYN+dK
父がお骨になった日。
もう一生父の顔を見れなくなったあの日。
みぃはいなくなった。一緒に行ったのだろう。
母も私のみぃを探さなかった。
父も寂しいのだろう。みぃはついていったのだろう。

「いつも俺の後をついてくるんだぞ。俺の護衛なんだ。」
そういっていた父の言葉を思いだした。
本当にそうだった。
本当は私達もついていきたいくらいだった。
その変わりみぃがついていってくれた。

父の49日、猫が迷い込んできた。
みぃは女の子だったけど、男の子の猫だった。
ずっとうちの前で泣いていた。その猫をどうしてもほっておけなかった。
今もうちにいる。

そういう繋がり。大切にしていきたい。
いつまでも、その姿なくとも、何か別の形でそばにいてくれると信じている。



707 :大人の名無しさん :04/08/05 22:59 ID:o0CauCfR
人間なんて贅沢なんだよ。他人が羨ましいんだよ。
いきなり死んでしまわれるともっと時間が欲しかったと思うんだよ。
一人が嫌でやっと見つけたかけがえの無い大切な人だった。
あの夜酔って帰ってきたあなたは
「じゃあ、俺、帰るから。」と言いました。そして、HELP を悲しそうに唄って
お布団に入りました。それが最後にかわした言葉でした。
酔っ払って何を言ってるのか私は解らなかった。
明日の仕事もあるのだから早く休んで欲しいと思っていた。


708 :大人の名無しさん :04/08/05 23:00 ID:o0CauCfR
心臓を鷲づかみにされ続けた日々、泣きすぎて息が出来なくて、
トイレに行ったら足元が真っ黒で、なんでおしっこが黒いんだか
判らなくても、病院に行けなくて、空耳が聞こえたり、部屋に裂け目が
ある様に感じたり、眠れなくて、もう異常な日々が続いたんだよ。
でもね、その後ひどい事ばかりは続かなかったの。それが救いだった。
七日目に電報がたくさん来た夢を見た。みんな夫への侘びの文面だった。
憎もうとした夫の会社も憎みきれなくなった。
三十五日目には夢で夫がお別れを言いに来てくれました。泣いていました。
いろんな事を喋ってくれました。まるで転勤先が遠いかのように、
「・・・おれ、○○に行く事になった。・・・」夢では暢気な私が、夫に手を
伸ばして繋ごうとしたらあなたは泣いて首を横に振っていた。

今の生活が嫌になって、「もう、こんな生活は嫌だ。全て捨ててしまいたい。」
と思った矢先に、夢で夫に新居に連れて行かれ、部屋の掃除をする様に言われました。
何度も夢で逢いましたね。
「今日はゆっくり出来るんでしょう?」と聞くと、「これを聞いていろ。」と、
笑って携帯電話を私に渡しましたね。受話器からは何かの番組が流れていました。


709 :大人の名無しさん :04/08/05 23:00 ID:o0CauCfR
あれからいろんな事があってもう七回忌も無事に終りました。
悲しかった頃のフラッシュバックは薄らぎましたが、今でも救急車の
サイレンを聞くのはたまらないし、人目を構わず涙が出ます。
腑抜けの私に命を吹き込んでくれたのはあなたのご両親でした。
ご両親や妹さんに優しくされる度にやっぱり子供が欲しかったって思います。
今更の思いですが。
あなたがどんな気持ちだったか判っていたはずなのに、私が大甘だった。
この罪は拭えない。
最大の危機に気付かなかった自分が嫌で思い切り働いたりもしました。
いろんな人に出会って、助けられて、これからも誰かの為に、必要とされる
存在でありたい。
悪夢の日々は過ぎ去りましたがまだどこかでこれが日常と思いたくない自分。
LET IT BE を口ずさみながら、静かに生きて行こうと思います。

片付けをしていて見つけたゴルフの手袋と、コートのポケットにあった手袋は
今でもあなたがさっきまで居た様にふくらんでいます。パソコンの楽しさを教えて
くれてありがとう。隣にはwin95がまだ置いてあります。
あんなに幸せだった頃を思い出すのが辛くて、あの後の記憶とともに封印して
しまった私を許して下さい。そうしないともう堪らなかったから。

思いの何分の一かを書きなぐってしまいましたが、体調が悪くなっても働き
続けている人へ、少し自分を大切にして下さいとお伝えする事が、今の私に
出来る事です。



269 :大人の名無しさん :2005/07/16(土) 03:24:57 ID:3FzNPfO5
妻と、そして産まれたばかりの子供を失った。
もともと虚弱体質だった妻は、子供が産める身体ではなかったのだと思う。私はそれを理解してそれでも結婚したつもりだった。
ある日妻が妊娠を告げた。私は妻の身体を守りたかった。しかし妻は、これが最初で最後の機会だから私の子供を産ませて欲しいといった。素直に、嬉しかった。
大変な妊娠期間だった。それでもいろんな人の助けを借りて分娩までかぎつけた。
もちろん付き添った。しかし、途中で急に医師から退室するように言われた。


270 :大人の名無しさん :2005/07/16(土) 03:29:28 ID:3FzNPfO5
その後医師から聞かされたのは、子供の命を救えなかったこと。
そして、妻と最後の会話を交わして欲しいということだった。
確かに、覚悟していた結果だったのかも知れない。
なんとか泣かずに妻の横に立てた。
「やっぱり私は母親にはなれないみたい。でも、マキのこと、私の生まれ変わりだと思って、大切にして欲しい。
勝手に名前決めてごめんね。あなたの文字を一文字もらいました」
私は、どうしても妻に、マキがこの世に産まれてこれなかったことを告げられなかった。
勘のいい妻だった。いつも私の嘘を見破っていた。
「わかった。俺がお前の分もマキを幸せにしたる」
私が言えたのはたったこれだけだった。

妻は、にこっと微笑んだ。
そして、今までありがとう、マキをお願い、そんなことを言って眠った。

妻は、私の嘘にきっと気づいたのだろうな、と思う。最期くらい気づかなければいいのにと、幸せなまま、逝ってくれたらよかったのにと。
マキ…妻はいったいどんな漢字を当てるつもりだったのだろう。聞きたかった。



273 :大人の名無しさん :2005/07/17(日) 00:47:42 ID:kXoKoR42
私の弟が先日なくなりました。父親は私が高校生で彼が小学生の時に離婚し、
母はほかの男に夢中だったので、あまり家族として成り立ってないような家庭の中で、
私は弟には甘えを許さず、容赦なく正しいことを突きつける姉だったので、
弟にとってはうざったくてしょうがなかったと思います。

ただ、私が精神的にきつくて食べるのをやめてしまったとき、「どうして姉ちゃんは
自分だけにそんなに甘えをゆるすんよ!!!」と怒鳴られたりして、
よく言えばけんかするほど仲がいい、私は弟がとにかく大切でした。

 2年ほど前に私は病気になり、それを誰にも知らせずに家をでて、そのまま
ひとりで遠方にでたため、家には弟と母二人になり、弟はいつも一人でした。
ただ、弟が自分は捨てられたと思ってしまうのはもっといやだったと思ったため、
弟にだけは病気だといい、自分が病気だから、都会で働いて自分で手術台を稼いで治療する
ということにしていました。

腎臓が片方だめになってしまい、とることになるかもしれないが、私には手術をするお金もなかったので、薬で何とか持たせている状態でしたが
幸いなんとか腎臓がうごきはじめたため、ほっとしていたところに、弟が急性の尿毒症で、
もう持たないという連絡を祖母からうけました。すぐに実家に帰ると、弟は一人で入院していました。
弟のそばで、日記をつけながらついていると、弟が突然、いいました。


274 :大人の名無しさん :2005/07/17(日) 00:48:55 ID:kXoKoR42
「俺ねえ、弟ほしかったな。」

「私も。自分がいちばんうえやから、兄ちゃん姉ちゃんは無理やろ。
妹は自分と比べられたりするんがいややしへにょへにょ神経の細いお母さんみたいなのが生まれてもこまるけん、
どうしても弟がいるんやったんよね。どうだ、うらやましいだろう」

「俺、姉ちゃんの弟じゃなければ良かった。」

言われた瞬間は、凄くショックでした。それで言葉が続かなくて
「ごめんね、頼りなくてさ。ほんまごめん」
とだけ涙声でいうと、

「俺がねえ、こんなぐれたりしてなくて、もっと強くて、元気に姉ちゃんの病気も支えられるくらい
強かったら、おもいっきり姉ちゃんの弟でよかったって思うのになあ。
小さいころ、殴られてもお湯かけられても笑い返して俺にかぶさってた姉ちゃんがトイレで吐いてたのに、
俺こわくてなんも出来なかったょ。

大きくなったら、なんかしてやろうとおもったけど、俺ぐれたから頭も良くないし、
おこりとばす姉ちゃん無視したし、姉ちゃんの作る飯も残したし、姉ちゃんが病気なのに送ってくれてる金、
こんなこと(入院)につかうはずじゃなかったし、そもそも病気なのはねえちゃんなのにな。
なんだかんだいって、ねえちゃんは強く生きてるよ。」というので、

「ばかやろう!私は自分が病気になっちゃって、あんたを残して一人ぼっちにさせちゃって、しかも甲斐性もないし、
いつ死ぬかわからないのが私のほうだったとしても、ていうかリアルにそうなんだけど
あんたの姉で本当に良かったと思ってんだよ!!あんたがいてくれたことが、
生まれてきてくれたことが一番本当に一番うれしかったんだよ!!いてくれてありがとう。

あんたにとっては役に立てなかったかもしれないけど、お母さんに一番感謝してるのは、
あんたを生んでくれたことだ!!!!」

と、病室で怒られるくらい怒鳴ってしまいました。


275 :大人の名無しさん :2005/07/17(日) 00:49:32 ID:kXoKoR42
「だけど、俺いなくなるから、弟いなくなるから、弟ずっと欲しかったのに、俺じゃなかったらよかったよ。
俺が姉ちゃんの弟じゃなかったら、そんな想いさせることなかったのに、もっと生きたいのに」

「・・、あんたずっと私のことばっかり言うんね。あんたの望みやあんたの思惑がなんにもない。
優しくて悲しいねえ。私にくらい、自分の事をまもっていいのに、全部がまんして、
どうせ我慢するんなら、我慢ついでに私の弟であることも我慢してくれないかな。
私は、本当に弟のあんたを愛せて幸せよ。あんたが私に幸せと気力を与え続けてきたの。
私は幸せよ。あんたの姉で。」

弟が泣いているのを見たのは、久しぶりだった。
「俺、もうすぐ死ぬんだょ。死んじゃうんだょ。まだ何にもしてないのに、何にも出来なくて、
もうすぐ息もできなくなるんだよ。生きていられなくなる。いなくなる。おれ、生きられなくなるのが
悲しいんだ」 そういって、声を上げて泣いた。少しして、落ち着いたのか、

「もう、大丈夫。俺、姉ちゃんの弟でよかったよ。」そういって笑った。

それから、次の日、容態が急変して、チューブだらけの弟を医者が懸命に心臓マッサージして、
けど辞めるとすぐ動かなくなって、それをくりかえすうち、弟の閉じて動かない目から、
涙が一筋こぼれて、

「もう、結構です。有り難う御座いました。」とわたしがいっていた。


276 :大人の名無しさん :2005/07/17(日) 00:49:59 ID:kXoKoR42
静かになって、弟が穏やかな顔をして、少しだけ目を開けて息を吐いて目を閉じた。

死に顔が穏やかで、あんな母親でもその時は泣き崩れていた。
母を支えるのが大変だったので、私はその時は泣かなかった。

死んだあと、病室を整理していると、ゴミ箱ではなく、ゴミ袋に大量の紙くずが入っていた。
何も思わなかったが、燃えないごみと一緒になっていたため、紙を取って、何の気なしに広げてみると、

「姉ちゃんへ」と書いてすぐ上からげしげし消してあった。
夢中でほかの紙くずもひろげていくと、何十枚も、かろうじて動く左手で、震えて汚くて大きくて読めないような字で、
左上に「姉ちゃんへ」とだけかいて、けしてあるだけの手紙が出てきて、
たまに、「ごめ」(多分ごめんとかこうとしていた)とか、「自分が」とか、「ありがと」とか書いて消されていたが、
ほとんど「姉ちゃんへ」とだけしか書けずに捨てられたもので、
ごみと一緒に取り出したかかえきらないくらいの紙くずを思いっきりすがるように抱きしめて、
生まれてきてから、笑い泣きながら過ごした弟を思って、叫ぶように泣いていた。
ごみだとわかっていても、まだその弟が書いた手紙にならなかった思いを捨てられずにいます。

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