2chまとめサイトモバイル

涙がでちゃうコピペ

Facebook Twitter LINE はてなブックマーク
Part2
61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 16:11:57.39 ID:N7IUHMEb0
俺を生んでくれた母親は俺が2歳の頃に死んだ。後の親父の話では元々、体が丈夫な人じゃなかったらしい。
俺が6歳の頃に親父が再婚して義母がやってきた。
ある日、親父が「今日からこの人がお前のお母さんだ」といって連れてきた。新しい母親は俺を本当の子供のように可愛がってくれた。
家族とか血縁とかまだ分からない頃の俺にとって義母が本当の母親だった。
それから、何年か経ち俺が中学の頃、今度は親父が事故で帰らぬ人となった。
親父の葬式の席で親族が集まりこれからの俺たち家族の事で話し合うことになった。
親父の両親(俺から見て祖父母)は既に無く親戚づきあいも疎遠で葬式には親父の親族は誰も来なかった。
後から知った事だが親父はガキの頃に両親を亡くし親戚中をたらい回しにされ。おまけにひどい扱われようだったらしい。そんな事もあり自分が大人になって働き出してからは一切、縁を切っていたらしい。
まあ、そんな状況もあり今後の俺たち親子の事を生母、義母側双方で話をする事になった。
元々義母の両親は義母と親父との結婚に反対していた。まぁ親としては娘の結婚相手にコブ付きだとやっかむの当然かもしれない。
また生みの母の両親は、まだ若い義母の事を考えて俺を引きと取ると言い出した。
双方の親の利害が一致して俺は生母の家に引き取られると決まりかけた時。それまで双方の話を聞くだけだった義母が口を開いた。
「この子は私の子です。例え血が繋がって無くても私の子供です!」「お願いですから、この子は私に任せてください。」物腰の柔らかい義母が珍しく語気を荒げていた。
出会ってからはじめて見たそんな義母の姿に俺は驚きを覚えた。最初は難癖を付けていた双方の両親も最後には義母に折れる形となり。
俺は義母と二人で生活することになった。稼ぎ頭の親父が死んで義母は必死で働いた。受験で大変な時期の俺を育てる為に必死で働いてくれた。
高校3年の時、俺は家の事情もあり進路は就職すると決めていた。
しかし、その話を聞いた義母は「大学に行きなさい。」と言った。「お金は母さんが何とかするからあんたは大学に行きなさい。」
なんで、実の息子でも無いのにそんなに俺に一生懸命なんだろう?俺は半ば呆れながらそんな義母の言葉が嬉しくて思わず泣いてしまった。
そんな義母の言葉に背を押され少し遅れて受験勉強。家の事情を考えると浪人は出来ないし、そんな事で義母を落胆させたくなかった。
元々、勉強は出来るほうじゃないので入れた大学も大した大学じゃなかったが、それでも合格と聞いた義母の涙混じりの笑顔は今でも忘れられない。
大学に入ったが俺は生活費分ぐらい自分で何とかしようと決めていた。高校の時もそうだがアルバイト三昧の日々で良く留年しなかったものだと今でも不思議に思う。
大学も何とか無事に四年で卒業が出来、就職も決まり俺は晴れて社会人になった。最初の初任給で義母にプレゼントを買った。
さすがに俺のプレゼント(たいしたもんじゃないけど)には参ったのか、ありがとう、ありがとうと言いながら泣く姿に俺も思わず貰い泣き。
ほんと、感謝しなきゃならないのは俺の方です。
それからは二人でつつがなく暮らしていたが、俺も30の手前で結婚したい相手が出来た。最初は俺の結婚を義母がどう思うかと思っていたが大喜びで歓迎してくれた。「あんたもこれで一人前だね」と言われて照れくさいやら恥ずかしいやら。
最初は一緒に暮らそうと言ったが「お嫁さんに悪いから母さんはここで暮らすよ」と断られる。
いやいや、かみさんも賛成してくれてるんだけど...。
何度か話はするもののの結局、離れて暮らすことに。でも、結婚して一年経って義母が倒れた。幸い大事に至らなかったが、今後、同じ事が有ってもいけないと思い。断っている所を半ば強引に同居することに。
その間、孫の顔も見せることが出来たしかみさんとも上手くやってるしで本当に幸せそうだった。
でも先月、その義母が他界。くも膜下出血であっけなく死んでしまった。
通夜の席でかみさんが義母の話をしてくれた。正直、この年になるまで義母のそれまでの人生を聞いたことが無かった。かみさんは義母から色々、聞いていたらしい。
義母は親父と結婚する前に子供が生めない体だったらしい。
最初はそんな事もあり結婚を断っていたそうだが、親父はそんな事情を承知で「俺たちには子供がいるじゃないか、俺の息子の母親になってくれないか?」の言葉に義母は涙ながらに承諾。
親父も人前も憚らず泣いていたそうで。義母曰く「あんなみっともないプロポーズは無かったけど嬉しかった」との事。その話を聞いて俺はやっと理解できた。そして言葉にならなずに涙だけが溢れて仕方が無かった。
今までかなり泣いたけど息が苦しくなるほど泣いたのは初めてだった。
ぶっきらぼうな親父の優しさもそうだが、親父のプロポーズを最後まで純粋に受け入れた義母に、言葉に出来ない思いがこみ上げてきた。かみさんもそれ聞いた時は涙が止まらなかったそうで俺に話しながらまた号泣。
子供たちも泣いてる俺たちを見てつられて泣き出す始末。義母いや、母さん、血は繋がってないけど貴方は俺にとって本当の母さんです。生みの母には悪いけど、俺にとって貴方以上の母はいません。
親父、そっちで会ったら誉めてやってください。貴方が選んだ人はとても素晴らしい人でした。最後に母さん、もし生まれ変われるならまた貴方の子供に生まれたい。今度は貴方の本当の子供に生まれ変わりたいです。
突然に逝ってしまって改まって感謝することが出来なかったけど、本当にありがとう。

72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 16:20:28.00 ID:hqfFpOlG0
カーチャンの七不思議
夜には疲れた顔してたのに朝には早起きして弁当作っててくれる
夜遅く帰っても他の家族は寝てるのにカーチャンだけ起きてる
俺が疲れてるの何故か把握してて栄養剤出してくれる
俺が逆切れしても困ったように笑ってる
俺が自分で言ったのに忘れてた事をずっと覚えてる
いまだに俺の誕生日祝ってくれる
俺より長生きしてくれない

80 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 16:49:30.72 ID:uDaXQgOz0
阪神・淡路大地震のあと、阪急電車の復旧を沿線の人々は待ち望んでいた。うちもその一軒。
夜を徹して行われる作業、騒音や振動をこらえてくださいと、電鉄会社の人が頭を下げに来た。
「何を言ってるんだ?我慢するに決まってるじゃないか。それよりも一刻も早い復旧を。」
うちも含めて、沿線の人々はみなそう言って、電鉄会社の人を励ました。
阪急は国の補助も受けず、少しづつ復旧・部分開業していった。
そして最後に残された西宮北口〜夙川間の高架部分の再開によって、
ついに神戸本線は全通した。
再開の日に、もちろん漏れも乗りに行った。神戸で逝った友のもとへ行くために。
運転台の後ろは人だかりだった。みな静かに鉄道の再開の喜びをかみ締めているようすだった。
夙川を渡るそのとき、川の土手に近所の幼稚園の園児たちが立ち並んでいるのが目に飛び込んできた。
手書きの横断幕を持って・・・。
「あ り が と う  は ん き ゅ う で ん し ゃ」
運転手が普段ならしないはずのそこで敬礼をした。
そして大きく「出発進行!」と声を上げた。
その声は涙声になっていた。漏れも泣けた。
ときよ、上越新幹線よ、もまいを待っている人々がいる。
復興のために、そして人と人をつなぐために、よみがえれ、不死鳥のごとく。

713 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 19:25:12.69 ID:6XK5NMkeO
>>80
地元を田舎に持つ俺にはたまらん
あの地獄からの復活劇は奇跡の一言
死ぬほど泣ける

85 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 17:25:43.54 ID:N7IUHMEb0
私の父は無口で頑固で本当にこわくて
親戚中が一目置いている人でした。
家に行ってもいつもお酒を飲んでいて
その横で母がせわしなく動いていた記憶があります。
私が結婚する事になり、ドキドキしながら主人を連れて行くと
ずっと黙ったままやっと口を開くと
「ビールは何を飲むんや?」でした。
その日はなんとか無事に終わり、式の当日終始酒をつぎにまわってた。
その後、子供が生まれ少し育児ノイローゼ気味になった私を見て
なぜか毎日孫の世話をしに来るようになった。
当然子供の面倒など見たことないので、する事がめちゃくちゃで
イライラしていた私は嫌味ばかり言ってしまった。
2ヵ月後、あまり調子がよくないと言っていた矢先他界した。
なんでもっと優しくしてあげなかったんだろう?
紙オムツの仕方を聞かれて、それぐらいわかるでしょって
なんで冷たく言っちゃったんだろう?
あの日、自分でどうにかしようと思って変な形になったオムツが
残されてた・・・
その後、毎日つけていた日記が見つかり、式の当日
「あのバカ娘がとうとう嫁に行った。最後の挨拶では涙が出た。幸せになれ。」って書いてた。
おまけに家には主人があの日答えた「アサヒビール」が
押入れいっぱい詰められていた。


86 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 17:27:55.67 ID:N7IUHMEb0
私がまだ小学2年の頃、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。
特に苛められたとかそういうことはなかったんだけど、
なんだか馴染めなくて、いつまで経っても「お母さん」と呼べないでいた。
そんなぎくしゃくした関係だったけど、継母が私のために一生懸命だったことはよくわかってた。
小学校4年になった夏休み、私は継母の提案で二人で川に遊びに行くことになった。
あんまり気が進まなかったけど、断る理由もなく言われるままにしぶしぶついていった。
現地に着くやいなや、私は継母のことを放ったらかしで川に浸かって遊んだ。
しばらく水と戯れてた時、急に深みにはまって溺れて息が出来なくなった。
すごく苦しかった。
でもそのうち喉の奥が「クッ、クッ」と鳴ってだんだん苦しくなくなってきて、意識が飛んだ。
気が付くと、私は病院のベッドで寝ていた。
一時心臓が止まって危なかったんだよと涙ぐんだ父が言ってた。
ベッドの傍に、継母はいなかった。
私は父に「あの人は?」と訊いた。
父は一呼吸置いてゆっくりとした口調で教えてくれた。
私が溺れた時に継母が服のまま飛び込んで私を助けてくれ、
そのまま力尽きて下流まで流された。
その後救助されたものの、今も意識が戻らないのだ、と。
私は次の日に継母のいる病室に行った。
継母は機械に囲まれて、いっぱい管をつけられていた。
彼女は、そのまま我が家に戻ってくることなく…。
葬儀が終わって母の遺品を整理してたら、鍵のついた日記が出てきた。
私は父と一緒になんとか鍵を探し当てて、日記を読んだ。
そこには私との関係に悩む継母の苦悩など、私のことばかり書いてあった。
ずっと読み進めていくと最後のほうの日記に
「ちょっとはにかみ屋さんだけどとてもいい子。あの子なら、命かけてでも守れる自身がある。
 ○○ちゃんを私に託してくれた△△(実母の名前)さん、本当にありがとうございます。」
継母は、あの日記を書いた数日後に命と引き換えに私を守ってくれた。
いつだってとても優しい目で私を見てくれていた。
いつも私の目線と同じ高さになるように中腰になって話し掛けてくれた。
そんな気持ちはちゃんと伝わってきてたのに私はあの人に何一つしなかった。
愛情をもらいっぱなしでそれに答えなかった。
私は愛情どころかあの人の命まで奪ってしまった。
日記を読んではじめて、私は
「お母さん!」
と大声で叫びながら錯乱状態になり、
声が出なくなるまでごめんね、ごめんね、と言って泣いた。
ぐしゃぐしゃになって泣いても、後悔ばかりで気持ちは晴れなかった。
年月が過ぎても、私は未だに「母」に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
数十年経った今でも夏になるたびに思い出す。

89 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 17:33:28.70 ID:N7IUHMEb0
妹が亡くなって2年の歳月が流れました。
妹からの最後のメールを見て命の尊さ、居なくなって残された者の悲しみがどれほど苦痛か・・・
白血病に侵され、親、兄弟でも骨髄移植は不適合でドナーも見つからず、
12年間苦しむだけで短い生涯を終えた・・・
14才でした・・・。
妹が2才半のとき、微熱が続き、病院に行ったときには「白血病」と診断・・・
その日から母は毎日病院と家を往復する日々が続き、
大型連休で家族そろってレジャーに行く日なんてありません。
妹の面会が我が家の大型連休の消化日課でした・・・
「妹がいなければ遊びに行けたのに!!」
当時は妹に憎しみさえ抱いたほどです。
でも、両親が妹ばかり世話し、愛情いっぱいあげてる姿に嫉妬したんでしょうね・・・。
その妹が亡くなって2年。
両親は抜け殻がとれたような静けさです・・・
私もですが・・・。
99年の12月中旬、突然妹が「携帯電話がほしい」と、言い出しました。
私がメールばかりしていたので欲しくなったんでしょうね・・・
もちろん大急ぎで買いに行きました。
そしてイブの夜に携帯電話を渡し、一緒にメールの送信方法も教えてやりました。
そして、私が家に帰る頃には正午を過ぎてクリスマスを迎えた寒い夜になっていました。
寝ようと思ったら妹からのメールです。
「さっきはイブだったけど、今日はクリスマスだよ。迷惑ばかりかけてごめんね。おにいちゃん。ありがとう」
・・・これを見た途端母が息を切らして階段を上がり、
「病院に行くから支度しなさい」
・・・さっき別れたばかりなのにまた行くの?なんで?と思いました。
病院に行くと、さっきまで元気だった妹が顔に白いクロスをかけられて亡くなっていました。
あとで看護婦さんに聞いてわかったことなんですが、
携帯電話を強く握り締めて離すのにたいへんだったと・・・
それを聞いて涙がいっぱいあふれました・・・。
妹の携帯電話は解約しましたが、2年経ったいまでも遺影の横にそっと置いてあります。
妹は、私にだけはきちんとお別れして逝きました。
天国でも携帯電話が使えると良いなぁ・・・

99 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 17:41:29.62 ID:N7IUHMEb0
  Λ,,Λ
 (´・ω・)
.c(,_uuノ
おかーさん。なんでボクだけ、ハダカんぼうやったん?
おかーさん。なんでボクだけ、シッポついてたん?
おかーさん。なんでボクだけ、おててつかんとあるけへんかったん?
おかーさん。なんでボクだけ、つくえでゴハンだべられへんかったん?
おかーさん。なんでボクだけ、みんなとオシャベリでけへんかったん?
おかーさん・・・。なんでボクだけ、さきにしんでしまうん・・・?

102 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 17:43:39.81 ID:N7IUHMEb0
なにぐずぐず言うてんの。よう聞きや。
世の中どうしようもない事があるねん。いちいち愚痴言わんといて。
よう考えてみぃや。かーちゃんとあんたらは目ぇが二つ、耳も二つ、鼻は一つで同じや。
お口かて一つで中も同じような形してるがな。体かて同じようにぬくいやろ?
同じ様にできてるんや。
死ぬ時っちゅうのは、たまたま早いか遅いかの違いで、かーちゃんもちゃんとそっちに行きます。
心配性な子やな。誰に似たんやろ。
あんたらはかーちゃんの子やから。いつでも、いつまでも、かーちゃんの子やねんで。
不足言わんと、もうちょっとええ子にして待っといてちょうだい。

106 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 17:47:30.36 ID:N7IUHMEb0
母が死んだ。
43歳だった。
10日まで元気だったのに。急に逝ってしまった
11日の朝、いつもみたいに御飯作って母さん起こして「ごはんできたぞ」と
でもいくら呼んでも返事がなかった。いつも文句言いながらも絶対に起きてくるのに
おかしいと思って見に行ったら母さんはもう冷たくなってた
俺がまだ2歳のときに父親が死んで女手一つで俺を育ててくれた母さん。
よく口論もしたし引っ叩かれもした。ほんとよく喧嘩した
会社の帰りに飲みにいって終電なくなると毎回俺が呼び出された
あきる野に住んでるってのに新宿だ、吉祥寺だと。アホかと。
そして金きついのに大学いかせてくれた。
金ないんだから働くよと言ったら、引っ叩いてまで俺を大学に行かせようとした母さん
今年大学をキッチリ卒業して就職してこれからやっと親孝行できる身になったのに
なのに母さんは急に死んでしまった
友達や親族とかにこの顔見せるのはさすがに辛いからここだけで叫ばせてくれ
かなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしいかなしい
どうしよう。なんかもうなにしていいのかわからない
今年の夏は母さんを旅行に連れてってやろうと思ってて
もう計画だってちゃんと立っててあとは7月待つだけだった
結局俺はなにもしてあげられなかった。
母さんの生命力吸い取るだけ吸い取って。
一人前に俺がなると生命力吸われすぎて交代のように母さんだけ消えてしまった
やっと親戚も全員帰ってくれてこれでやっと一人で泣ける
なんか泣くのガマンしすぎた
これ書きながら涙とまらない
母さん幸せだったのかな。幸せにしてあげたかったな。

110 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 17:56:33.68 ID:c/c7aL9m0
サキちゃんのママは重い病気と闘っていたが、死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。
その時、サキちゃんはまだ2歳。
「あなた、サキのためにビデオを3本残します。
 このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。2本目は小学校の入学式に。
 そして3本目は…○○○の日に見せてあげてください」
まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。
そして、サキちゃんの3歳の誕生日。1本目のビデオがかけられた。
(ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される)
「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。
 でもママはね、テレビの中に引っ越したの。だから、こうやってしか会えない。
 パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。だったら、ママ、また会いに来ます」
サキちゃんの小学校入学の日。2本目のビデオ。
「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。
 サキちゃん、ちゃんと聞いてね。
 ママが今住んでいるところは、天国なの。だから、もう会えない。
 でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、ママ、もう一回だけ、会いに来ます。
 じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ!
 ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるようになりました」
そして3本目のビデオ。そのタイトルは、こう書いてあった。
新しいママが来た日のサキちゃんに
そしてサキちゃんが10歳の時、パパは再婚し、新しいママが来た。
3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。
なつかしいママの顔が映し出された。
「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。えらかったね。
 でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。
 ……
 サキちゃん。今日で本当にお別れです。
 ……
 サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。
 (泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る)
 ママ、もっと生きたい…。
 あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。
 あなたの成長を見つめていたい…。
 じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。
 それは、『ママを忘れる魔法』です。
 ママを忘れて、パパと、新しいママと、楽しい暮らしをつくってください。
 では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」
そこでビデオは終わった。
しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。
パパと、新しいママにも効かなかった。
ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。
そして今度は、サキちゃんが主役の、4本目のビデオがつくられたのだった。
天国のママに見てもらうために

206 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 00:15:44.00 ID:CFygqH2l0
>>110
初めて見た。もうダメだ涙が止まらん

116 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 18:15:06.63 ID:c/c7aL9m0
「犬との十の約束」
1.私の一生は10〜15年くらいしかありません
ほんのわずかな時間でも貴方と離れていることは辛いのです
私を家族に迎える前に、どうかそのことを考えて下さい
2.あなたが私に望むことを理解できるようになるまで、少し時間をください
3.私を信頼してください。 私にとって、それがいちばん大事なことなのです
4.私を長時間叱ったり、罰として閉じ込めたりしないで下さい
貴方には仕事や楽しみがありますし、友達だっているでしょう
でも...私には貴方だけしかいないのです
5.時々は私に話しかけてください。 あなたの言うことはわからなくても、 私に話しかけるあなたの声はわかるのです
6.あなたが私にどんな風に接しているか、私は決して忘れません
7.私を叩く前に思い出して下さい。私には貴方の手の骨を簡単に噛み砕くことができる歯があるけれど私は決して噛まないようにしていることを
8.私のことを言う事を聞かないだとか、頑固だとか、怠け者だとか叱る前に、まずは自分に問い掛けてみてください。 きちんと食事を与えてましたか?太陽の下に長く放置しておきませんでしたか? もしかすると、年をとってどこか弱っているのかもしれません
9.私が年をとってもどうか世話をして下さい。貴方も同じように年をとるのです
10.最期の旅立ちの時には、そばにいて私を見送って下さい
「見ているのが辛いから」とか「私の居ないところで逝かせてあげて」なんて言わないで欲しいのです。貴方が側にいてくれるだけで、 私にはどんなことでも安らかに受け入れられます
そして......どうか忘れないで下さい
私が貴方を愛していることを

121 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 18:26:42.40 ID:c/c7aL9m0
俺は小学生の頃に母の作った炊き込みご飯が大好物だった。
特にそれを口に出して言った事は無かったけど母は判っていて
誕生日や何かの記念日には我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。
高校生位になるとさすがに「又かよっ!」と思う様になっていたのだが
家を離れるようになっても、たまに実家に帰ると待っていたのは母の
「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」の言葉だった・・・
会社に電話が来て慌てて向かった病室には既に近くの親戚が集まっていた。
モルヒネを打たれ意識の無い母の手を握り締めると母の口が動いた。
何かを俺に言いたそうだった。母の口元に耳を近づけると
「炊きこ・・・たよ。たくさ・・・・さい」と消え入りそうな声で言っていた。
それが最後の言葉だった。
「ママの作ったスパゲッティー大好き!」口の周りを赤くして
スパゲッティーを食べる娘とそれを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に
母の炊き込みご飯が食べたくなる。

160 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 20:11:06.40 ID:yMmDDwW70
もうね、鼻ぐしゅぐしゅ。
何回も見てるコピペなのになあ。

163 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 20:14:57.98 ID:ZuxWfwLJO
お弁当ものはやばいな…
気分的に疲れてたけど泣いたらすっきりした
ありがと

165 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 20:19:08.50 ID:Q0YWTUwe0
動物系がいいなあ、犬とか

167 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 20:29:45.92 ID:yS4BnmtoO
久々にティッシュを本来の目的に使ったわ

194 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 23:08:15.67 ID:rYtMw86eO
泣くのは体にいいらしいな

199 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 23:51:05.80 ID:2mhQ1tzT0
ここまで読むのに3時間かかったw


187 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 21:14:33.83 ID:KjCPIKMs0
秋もだいぶ深まってまいりました。ディズニーランドのスタッフの皆様、いつも私たちにステキな夢をありがとうございます。
今月、数年ぶりに主人とディズニーランドに遊びに行かせていただきました。
実はこの日は、一年前に亡くなった私達の娘の誕生日、そして命日でした。
身体がとても弱かったために、生まれて間もなくこの世を去ってしまい
主人と二人、ずいぶんと長い間、深い哀しみにおりました。
助けてあげられなかったこと、何一つ我が子にしてあげられなかったこと
いまでも悔やんで仕方ありません。
生まれてきたら、このディズニーランドに連れてきてあげたいという私たちの夢も
果たすこともできず、主人と話し、この日、娘の供養のために来ることができました。
事前にガイドブックを見て、かわいいお子様ランチがあることを知り、娘に食べさせてあげたいと思い
ワールドバザールにあるイーストサイド・カフェに入りました。本当は8歳以下でないと注文することが
できないものでしたが、お店の方に事情を話すと、快く注文を聞いてくださいました。
そして隣の4人掛けのテーブルに子供用のイスまで用意してくださって、「3名様、こちらにどうぞ」と
席を移してくださったのです。
「本日はよくきてくださいました。ご家族で楽しんでいってくださいね」と、まるで我が子がここに一緒に
いるように私たちをもてなしてくださり、主人も私も感激で胸がいっぱいになり、涙があふれました。
娘を亡くしてからはじめて、「親子3人でいる」ということを味わわせてくださって、本当に感謝しております。
娘が生きていてくれたらどんなに幸せだったろうという思いでいっぱいです。
お店の方々にとても親切にしていただき、そしてかわいいお子様ランチも食べることができて
娘もさぞ喜んでいたと思います。思いもよらぬ皆様の温かなおもてなしのおかげで、とても良い想い出ができましたし
娘のためにも、とてもよい供養ができたと思います。
親子3人で楽しいひとときを過ごさせていただきまして、本当にありがとうございました。あの時のお礼を言いたくて手紙を書かせていただきました。
娘は天国へ行ってしまったけれど、私たちのかけがえのない宝です。これからも愛し続け、一生ずっと一緒に生きて行こうと思います。
また娘を連れて遊びに行かせていただきます。ステキな夢を見れる日を楽しみにしています。
 
スタッフの皆様、日ごとに寒さが加わってまいりますので、お体を大切に、これからも私たちのために頑張って下さい。

395 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 15:43:15.03 ID:91lsHELMO
結婚する前の嫁とシーに行った時の話
俺はおっさんながら、ドナルドが大好きで、嫁もそれを知ってた
平日だった為、客も少なくガラガラだった。
誰もいないゲート前の地球儀の前、2人で写真を撮っていたら、いつの間にかドナルドが近づいてきた
2人を撮ってあげようか?みたいなジェスチャーで冗談を言ってくれた。2人ともびっくりした
嫁は喜び抱きつきに行き、俺はカメラを構えた。嫁が俺においでおいでと言っていたが照れて抱きつきに行かなかった。
俺が嫁とドナルドの2ショットわ一枚撮った所で、ドナルドが近づいて来て俺の手を握り、持っていたカメラをキャストに渡して撮って撮ってとキャストにアピってくれた。
握ってくれた手は優しいながら力強く、写真を撮った後に抱きしめてくれて頭を撫でてくれた。
おっさんなのに泣きそうになった。
ドナルド…大好きだ

243 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 03:56:22.88 ID:r75+lPrR0
保守

623 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 12:59:26.00 ID:7gibjbMW0
>>243
ちょっと和んだw

624 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/11/01(土) 13:03:27.41 ID:YLbmiL/ZO
どう和んだwwwww

625 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 13:17:18.11 ID:T6cCOAmA0
>>623-624
お前らのやりとりで和んだw
泣き疲れたから部屋掃除してくるわ
明後日は両親の結婚記念日
花でも買ってあげよう

257 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 08:36:45.44 ID:O91jZiqXO
50:おさかなくわえた名無しさん:2006/09/08(金) 03:00:46 ID:QAt0Hee6
ところでさ、一人暮らししてる人は年に何日実家に帰ってる?
俺は仕事が忙しくて夏休み3日正月休み3日の、計年間6日位なんだけどさ。
俺のカーチャン今50歳で、考えたくないけど
女性の平均寿命から考えてあと30数年とするわな。
単純計算すると、あと180日位しか会えないことになる。
冷静に考えてみたら、もう半年しかないんだぜ?
おまえらも数えてみ?
あと何日カーチャンに会える日があるか。

感動系の人気記事

感動・ほっこり短編シリーズ

あは。いっぱいします?

貧しくツラい環境の中でも健気に前向きに暮らす彼女と、その彼女を時には兄のように時には彼氏として温かく包み込むように支える主人公。次々におこる悲しい出来事を乗り越える度に2人の絆は深まっていき…、読んでいくと悲しくて、嬉しくて、涙が滲み出てくるお話しです。

クズの俺が父親になった話

結婚して子供が生まれても、働かずに遊び回り家にも帰らない、絵に描いたようなクズっぷりの>>1。しかし、ある日のこと、子供を保育園に迎えに行かなければならない事情を抱えるところから全てが始まる……。親と子とは何か? その本質を教えてくれるノンフィクション

今から何十年も開かずの間だった蔵を探索する

よくある実況スレかと思いきや、蔵からはとんでもない貴重なお宝が…!誠実な>>1と彼を巡る奇跡のような縁の数々。人の縁、運命、命について考えさせられ、思わず涙するスレです

妹の結婚が決まった

両親を亡くし、男手一つで妹を育て上げてきた兄。ついに妹が結婚し、一安心したところに突然義母から「元々妹なんて存在しなかったと思ってくれ」という連絡を受けてしまう。失意のどん底に居た兄を救う為、スレ民が立ち上がる!

急に色々気づいたら、死にたいって思った

積もり積もって七転び八起き◆3iQ.E2Pax2Ivがふと考えついたのが 「死にたい」 という気持ち。そんな中、一つのスレが唯一の光を導き出してくれた。書き込みしてくれる奥様方、なにより飼い猫のチャムちゃん。最後にはー‥七転び八起きとはまさにこのこと。

番外編「I Love World」

昨日、嫁の墓参りに行ってきた

>>1と亡き嫁、そして幼馴染みの優しい三角関係。周りの人々に支えられながら、家族は前に進む。

介護の仕事をしていた俺が精神崩壊した話

介護とは何か。人を支えるとは何か。支えられるとは何か。色々考えさせるスレでした。

過去の自分に一通だけメールを送れるとしたら

永遠に戻ってくれない時間。それでも、、